第46話 深淵を覗くとき
俺はいま自分が動いているのか、突っ立っているのかも、よくわからなかった。どうやら体は動いているらしい。感じるのはただ完全な静寂だった。
「
一瞬膨れ上がったツクヨミの魔力が1か所に集約され、刀はその手に握られていた。それは雅と呼ぶのが相応しい美しい刀。瞬間ごとに形を変える周囲の炎がまるで彫刻のように様々な姿を宙に刻んでいる。対して俺の手にあるのは朽ちかけた短剣だ。禍々しいオーラこそ放っているものの、特筆すべき特徴もない。だが、それでも美しいと感じる。なにより俺の手になじむ。俺は静寂を切り裂くようにツクヨミに詰め寄って、そのまま突きを放つ。
「ふむ、動きも随分マシにはなったの。だが、保って1分と言ったところじゃな」
突きから連続して切りつける。体がとても軽い。いや、もはや意識だけが宙に浮いているようで、妙にリアリティがない。だが、それら会心の攻撃すらも彼女をとらえることはできなかった。でも段々と次にどう動けばいいのかを直感的に理解できてくる。前よりもさらに鋭く、もっと素早く、腕だけに頼らず全身のばねを使って、脱力して力と魔力を効率よく伝える。その繰り返しがとても心地よかった。
「これも捌いてみろ。
剣での打合いから瞬時に距離をとったツクヨミの両手から、紅炎を宿すつがいの龍が向かってくる。面白い……今なら即座にそれをまねることができる。どう魔力を使って魔素を構築するか、イメージが克明に脳裏に描かれる。だが、アーティファクトを保ちながらでは1体が限界か。
「
俺の左手から現れた真っ黒な龍が、周囲を焦がすその赤い竜と真正面からぶつかり、巨大なエネルギーの渦が発生する。赤と黒が混ざり合って溶けていく。後もう1体。俺は向かい合って短剣を構え、すんでのところでその攻撃を躱して文字通りとった獲物を捌くように切っていく。ツクヨミの元へ走りながら、尾の先まで切断しふたたび剣を交えた、はずだった。俺は倒れ掛かり膝をついていた。魔力切れ……か?途端にさっきまでの万能感は消えうせ、どっと疲れが押し寄せてくる。
「限界のようじゃの。まあ、よう動いた方じゃ。まったく魔力を抑制できておらんかったから効率が悪すぎるがな。その感覚をよく覚えておけよ。だが……正直に言ってまだ底までは達しておらん。なにか心に大きな引っ掛かりがあるようじゃな」
押し寄せてくる吐き気と頭痛、倦怠感……全身が熱を放ち意識が徐々に混濁していく。これは夢なのか現実なのか。わからなかった。
「しかし……この短時間でアーティファクトまで習得するとはの……カンナの魔力も影響しておるな……やはり特異な力が……まだ逆位置……」
俺は意識が消えかかる中、ツクヨミの生み出した大きな狐かなにかによって自室のベッドまで運ばれていた。そして間もなく意識が途絶えた。
――
目を覚ました時、すでに日が高く昇っていた。起き上がろうとするが身体が全くいうことを聞かない。金縛りというやつだろうか。いや、どうやらそういった類のものではないらしい。全身がとにかく重たく、疲労感で埋め尽くされていた。無理をしすぎたのだろうか。だが、意識というか心はとても静かだ。ずっと胸につっかえていた、なにかしこりのようなものが外れたように、いつもより深く呼吸ができた。
「おはようございます、マスター。ツクヨミ様よりメッセージが届いております。再生してよろしいですか?」
身体を動かさないまま目線を少し横に向ける、とベッドの真横でふわふわと宙に浮くソフィアが話しかけてきていた。ツクヨミからメッセージ?直接言えばいいような気がするがとにかく再生してもらうことにする。
「頼む」
「了承しました。以下、メッセージです。『寝すぎじゃボケが。わしらはもう作戦行動を開始しておる。意識が戻り次第、道化に合流しろ。位置情報はテキストしておく』」
「ちょっと待て、このメッセージはいつ受け取った?というか俺は何日寝ていた!?」
「このメッセージは今朝受け取ったものです。マスターはおよそ丸2日間寝ていたことになります」
すでに決戦当日ということか?俺は驚きのあまり飛び起きていたが、全身の痛みで硬直する。くそ、本末転倒も甚だしい。幸い作戦行動は始まったばかりのようだが、まだしばらく動けそうもなかった。回復を早めるには……瞑想で全身に意識を巡らせて、魔力を循環させるのが最も効率的だろう。この状況では他にできることもないと言った方が正しいが。
俺は全身に張り巡らされた痛みを見つめる。おそらく今までため込んで我慢してきたツケを払わされていると言ったところだろう。そう、これらすべて、見ないようにしてきた、目を背けてきた感情たちだ。今ではそれがわかる。善も悪もない、ただ俺に向かってサインを与えてくれていたものたち。俺を守ろうとしていただけの存在たちだ。俺はそれを拒絶し、嫌って、仕舞い込んだ。それらを優しく包み込むように、いたわる様に、感謝を告げながら細かく意識を向けていく。だんだんと魔力が流れ、身体を巡り、環を描き、俺という輪郭を形作っていく。
焦らず、俺は想いを馳せた。ツクヨミと相対したときの感覚。まるですべてと繋がって、自然に自分が溶け合って、それでも確かに俺という主体が残っていたあの感覚。不思議なようで当たり前だ。俺が見ている世界は俺が処理した情報とイメージの掛け合わせなのだから。この感覚もすべて俺が生み出しているのだから。目を閉じて巡らせる。意識を広く深く。道化には悪いと思いつつ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます