第35話  風立ちぬ

 槍が風を裂く。それはただ字義通り虚空を貫いた。本気の一撃だったのだが、卯月先生はいともたやすく避ける。まるで私の動きを完璧に読んでいたかのようだ。


 「鋭い、良い突きですね。殺気が駄々洩れなのはいただけませんが……」


 ”殺気”などというのはこの世界には存在しないはずだ。それは設定を確認してある。私の体の動きの予備動作や目線、いわゆる”起こり”を見極められたということだろうか。私は槍を瞬時に収め魔法を放つ。反撃はさせない。そして、これは避けられはしないだろう。


 「追尾光子フォトンホーミング


 私の周りの光魔素たちが形を結び、軌跡を刻む複数の弾丸となって先生へと迫る。とっさに身をひるがえして距離をとったが、至近距離からの包囲攻撃だ。防御魔法を使わざるを得ないだろう。私は即座に距離を詰める。


風龍魔樹タツマキ


 詠唱した直後、足元から暴風が吹き荒れ、竜の形を成して光の追尾弾幕を切り刻みながら飲み込む。先生は悠然とそれに乗り、上空へと舞い上がった。大規模な魔法……流石と言ったところか。私は光の翼を創造し、それを追いかける。すさまじい風。それは空を切り裂く轟音を叫び、辺りにはその上昇気流にともなって雲まで生成されている。


「意外と派手好きなんですね、先生」


「ふふ、昔はやんちゃでしたから……こんなこともしてましたね。風龍魔樹タツマキ!」


 私の背後から轟音が響く。それはもう一頭の竜。なかなか規格外だ。彼も本気ということだろう。やはり生きたいに違いない。心の底に意地悪い心が芽生えるのを感じた。本当の死に際したとき、どんな顔をするだろうか。あの悟りきった顔を歪めてやりたい。そんな卑屈な願い。そんな身体の反応を冷静に眺めてはいるが、それに乗り気な私もいる。明光カンナにもこんな黒い感情が芽生えるのだなと面白くも思いつつ。今はとにかくこのうるさい竜を叩き落さなくては。


雷帝神の光柱インドラズピラー


 発生していた雨雲から高密度の光魔素を放出し、背後の竜へとぶつける。それは神々しく巨大な柱。天から地へと聳え立つ塔のようにも見える。それに触れた風の魔素は形を保てなくなり、あっけなく崩壊していった。私は続けざまにその光の柱を先生の乗る竜へと放つ。巨大な光の柱がもう一頭の竜を飲み込み、地面には美しい円形のクレーターが形成されている。さて、先生は……やはり生きていたか。地面に目をやるとその形成されたクレーターを興味深そうに眺めている。まあ、あんな魔法で殺せるとは最初から思っていない。


 私は急降下して地面へと降り、再び向かい合う姿勢になる。振出しに戻った形だが、老いた彼にそこまで魔力が残っているとは思えない。


「凄まじいですね。タツマキは自信作だったんですがよもや一撃とは……少しばかりショックです」


「私はトクベツなんです。ショックを受けないでください。先生はすごいです」


「少しは尊敬してくれましたか?」


 尊敬……私には縁遠い感情だ。くだらない気もする。それは自分の無力感からくる敬意だ。人間は完ぺきではない。だからこそ、きっと誰しもに尊敬できる側面が存在している。だけど、私は普通の人間とは違う。私には真に尊敬できる対象なんていない。正確には、尊敬したところで何の意味ももたらさない。だれも私と同一の生を生きてはいないのだから。私は……どこまでいっても孤独なのだから。


「尊敬に値するとは思います」


「はっきりと言ってはくれないんですね。たしかに、私はあなたの抱える苦悩を解消することはできない。なにか力になれればと思ったのですが、今さら遅い……あまりにも遅すぎた」


 早いも遅いもない。たとえ学生のころに手を差し伸べられていたとしても、何も変わっていない。この運命は絶対的で、決して変わらない。だから、すべてが無意味ともいえる。もはや語らう意味もない。


「無駄話はもういいです。もう魔力もそんなに残されていないんじゃないですか?」


「ええ、もう大したことはできません。もう体もずいぶん鈍ってしまいましたからね」


 私は光の弓矢をつがえ、射る。かなりの連射だが避けられる。しかし、あきらかに体の動きは最初より悪い。やはりもう魔力切れに近いのだろう。こちらに接近してきてはいるが、微々たるものだ。私もその分距離を保つように動く。


「避けているだけじゃ、そのまま疲れて死んでしまいますよ?」


「ふふ、人が悪いですね……では……」


 軽くおぞけが走る。なんだろうか。本能的な恐れ。ありえない。まあ、明光カンナの身体が脊髄反射的にそういう反応を見せているだけだ。でも、こんなことは今までにほとんどなかった。なにかが……くる。


草薙之嵐刀くさなぎのらんとう風波かざなみ


「あり……えない」


 その刀の周りにまとう風が私の放つ矢をすべて退けていく。まるで高圧の風のバリアが張り巡らされているようだ。あれはまさしく、神殺しの武器アーティファクト。ロンギヌスに匹敵しうる武器の一角だ。いくら元涅槃といえども、扱える人間がいるとは思っていなかった。どれだけの研鑽を積んだのだろうか。一体どれだけの時を生きているのだろうか。私には遠く及ばないと知っていても、驚きを感じずにはいられない。これは、初めて感じる尊敬と呼べるものかもしれなかった。


神殺しの槍ロンギヌス


 神をも殺す刀と槍の衝突は、周囲の魔素を激しく揺らした。発せられる激しい光と風。それは外から見ればまるで大嵐の中で雷鳴がとどろいているように見えたかもしれない。幾度となく交わるその攻防は、だが数分ののちに決着がついた。先生の魔力切れ。対等な条件であれば、私も負けていたかもしれない。この武器を維持するためには莫大な魔力を使う。きっと温存しておいたのだと思うけれど、さすがに長くは持たなかった。


「はぁ……はぁ……。参りました……完敗ですね」


「先生、最後に言い残すことはありますか?」


 私は槍を突き付ける。結局、最後まで顔を歪ませることはなかった。魔力が切れかかり、もう倒れんばかりなのにもかかわらず、不敵にも優しげにも映る笑顔を向けてくるだけ。どうして、そこまで幸福そうなのだろうか。私は聞きたくなる衝動を抑える。死ねることがうれしいのかもしれない。私だって、死ねたならきっとそんな顔ができる。作り物ではない本物の笑顔が。


「最後の……言葉ですか」


 彼はまた私の幸せを願うのだろうか?それとも、恨み言の1つでも言うのであろうか。一陣の風が私たちの間を吹き抜ける。空白の時間。ただ、風の音だけが鼓膜を揺らす時間を経て、最後の一言を発した。

 

「後悔だけはしないようにしてください。私みたいにね」


 少なくとも、後悔しているようには見えなかった。安らかに見えた。その裏に見えぬ後悔があったのだろうか。疑問がいくつか頭をかすめる。だけど、それを振り切るように槍を突き刺した。私はそれを手放す。この槍に貫かれれば、一瞬で体を構成する魔素は消えていく。だが、先生は体に槍が突き刺さったまま、私を一度抱きしめた。意味が分からなかった。そうしてはっと伏せていた目を上げると、もはや彼は粒子だけになっていた。


「おお……き……なっ……カン……」


 なぜかわからない。けれど、消えていく先生の声には涙が混じっているように思えた。私は、心の底が波打つのを少しの間ながめる。その天へと消えていく風を見つめながら。

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