第34話 グッドウィルハンティング
「よくここがわかりましたね」
語りかけてくる老人はにこやかだ。きっと、この後に起こることを予期しているだろうに。
「なかなか骨が折れました。流石に
私もにこやかな作り笑顔で語りかける。この場面だけ切り取れば、元生徒と恩師との和やかな再会とも思われたかもしれない。だけど、今日私は卯月先生を殺さなくてはならない。そう、これはこのゲームの規定。表に出さない私の感情は激しく揺れているけれど、こんなものにはもう惑わされたりしない。まったく、なぜ設計者たちは私に感情などというものを与えたのだろう。いつもいつも、肝心な時に邪魔をするだけなのに。
「お茶でもいかがですか?久しぶりに会ったんです。積もる話も……あまりなさそうですね」
「先生は私がなぜここに来たのかも聞かないんですか?」
先生は最後に見た時よりも少し老け込んだように見える、そのしわの深い目を細めにこやかな表情を崩さない。その目はあのころと変わらなかった。何もかも知り抜いているかのような深く悟りきった目だ。正直、私は気に食わなかった。昔から。私の方が何もかも知り尽くしているはずなのに、なんで。
「私は、先生のことが嫌いでした」
なぜ私はこんな余計なことを話しているのだろう。話したって何にもならない。私の苦悩など誰もわかってはくれないのだ。知ったような顔をして、薄っぺらい共感を見せるだけ。
「なんでも悟りきったような顔をしているその顔が、たまらなく苦手でした」
先生はそれでも表情を崩さない。まるで幼子を見守るような愛情こもったまなざしだ。それがたまらなく私の感情を逆なでする。
「何か言ったらどうなんです?言いたいことはないんですか?私は今日、あなたを殺しに来たんですよ?」
体の反応に従って取り乱す。それも理性の範囲だけど、揺さぶりをかけるにはいいだろう。でもなぜ私は先生の心を揺さぶりたいのだろう。あの、悟りきった態度が羨ましいから……否定したいけれどそれがすべてだった。先生はしばらく私たちの間に沈黙を置いてから声を発した。
「言いたいこと……ですか。どうか幸せになってほしい。それだけです」
どうぞ、とお茶を差し出される。私はわからなかった。なぜ。これは本音なのか?むしろ私が乱されている。そう、でもそれは私の身体データの単なる反応。私には理性がある。これが本音でも嘘でも大した問題じゃない。このゲームのバグを排除し続けることだけが問題だ。私はお茶を優雅に飲み干す。いや、一息に飲み干すのは優雅とは言い難いけれど。
「そう……ですか。私は幸せですよ?誰にもできない使命を全うしていますから。先生には残念ですけれど、それだけなら死んでもらいますね」
私は椅子から立ち上がり、
「私が死んだら……」
歩いて近づく。しかし先生は武器を取り出すわけでもなく手紙を一通取り出した。遺書だろうか。まったく抜け目のない老人だ。
「手紙を読んでもらえますか。そして、読んだ後はここに置いてもらえたらうれしいですね。他にも読んでいただきたい人がいますし」
それをそっとテーブルの上に置き、腕を後ろに組んだまま優しげな表情を崩さない。彼はどこまで知っているのだろう。私の事を。本当に何の疑問もないなどありえない。先生はこの世界しか知らないはずなのだから。
「黙って殺されてくれるんですね」
「カンナさんが戦いたいなら、戦ってもよいですが……こんな老いぼれを相手にしても面白くもないでしょう?」
「手合わせはしてみたいですよ?腐っても元涅槃なら、どの程度の力かぜひ試させてください」
そうだ、いくら先生とはいっても本音は生き残りたいに決まっている。戦う以外に生き残る手段がないこともわかっているだろう。私もこのままただ殺すんじゃいかにも味気ないと思っていた。戦えば少しは先生の深い部分が見えるとも期待していた。
「そうですか。では移動しませんか?お好きなところでいいですが、自然豊かな場所がいいですね」
「
ここは世界最高峰の山岳地帯。周りは広大な草原と湖が面しており、澄んだ冷たい風がほほを撫で、髪をと草たちを揺らす。蝶が舞い鳥が歌う、まだ人間の手がほとんど入っていない場所だ。邪魔も入らない。思う存分、殺し合える。
「素敵な場所ですね。こんなところを座標登録しているとは、なかなか粋じゃないですか」
実のところ私は座標登録など必要としないけれど、旅の中で印象に残った場所であることは確かだった。ここなら先生の得意な風魔法も使いやすいだろう。どうせなら、全力の相手を倒す方が良い。
「じゃ、戦いましょうか、先生!」
「ええ。期待に応えられるかはわかりませんが。まあ、人生最後ですからね。後悔だけはしないようにしますよ」
そよ風が吹き抜ける。それはとてもひんやりと、しっとりと、それでいて優しい。それを掻き切るように私は武器を手に踏み出した。
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