第16話 プライベートライアン
カンナがいなくなってから5年が経った。大陸の帝国シナンとの戦争は激化して、俺も戦地へ赴いている。エウロパの方でも戦果は広がり、すでに世界大戦の様相を呈していた。俺はあの事件のあと徴兵を受け、そのまま軍に居着いている。俺はカンナの足跡を探したかった。奴等……正体はほとんど不明だが涅槃(ニッヴァーナ)と名乗る者たちの後を追って。
だが、ほとんど役に立つような情報は得られなかった。噂は眉を顰めたくなるような陰謀論めいたものばかりだ。近現代の魔導回路革命において裏で糸を引いていただとか、魔導大戦自体も彼らの実験場だとか、人体を魔晶石に変えるため戦地で魔力の大きな人間を集めているだとか。だが、火のないところに煙は立たない。仮面の男が持っていた兵器は何処の国のものとも違う圧倒的な性能だった。
あの日に浮かんだ数々の疑問をどうにか解き明かしたくて、少しでも足取りが掴めそうな軍に身を置いて今も情報を集めている。昔に描いた夢はあの日以来、俺の心に浮上してくることはない。今はただ奴らの正体を突き止めたいだけだ。この靄がかかったような心の内を、少しでも晴らしたいだけだ。
俺自身が釣り餌になってでも尻尾を掴んでやる。そう思い戦果を重ねてきた。人を……大勢殺してきた。あの日々は戻ってこないと知っていても、俺が生きる意味は今のところこれだけだから。
「長月中尉、少しお時間よろしいでしょうか」
独りで夜空を眺めそんな思いに耽っていると、部下の一人が声をかけてくる。感情の読み取れない表情と魔素の揺らぎ。長い艶やかな銀髪は背中あたりまで伸びているものの、前髪はその碧い目にかかる辺りで切られている。軍服が様になっている凛とした印象だ。その女性、霜月リオコは分隊の副隊長を務めている。この隊で唯一まともに話が通じる相手であるが、美人なことと真面目で冷淡な性格も相まって、軍では規律を乱す存在として疎まれていたようだ。詳しくは聞いていないが色々とあったらしい。
今は昼間の偵察と見回りが終わり、夜の20時を回ったところだ。時間には多少余裕がある。無駄な報告をするようなタイプの人間ではないので話を聞く価値はあるだろうと判断し、先を促した。
「どうした?敵に動きか?」
「いえ。ですが気になる報告が……」
シナンとの戦争は長期化している。最初こそ戦況はルナンが有利に進め、主要な都市を占領したまでは良かった。しかし現在は、敵軍のゲリラ的な奇襲による補給物資の断絶や、統一政府側の国による軍事支援を背景として戦線が硬直している。俺たちの部隊は最前線での任務であり、いわば捨て駒だ。特殊部隊に属するが、逸れ者の集まりとでも言おうか。全くもって扱いにくい隊員5名で構成されている。その隊長を仰せつかった俺も例外でなく扱いにくいと判断されたのは間違いないが。俺は声を少し抑えて問いかけた。この深刻な様子はもしかすると……。
「涅槃に関してか?」
「確信はないですがおそらくは。嵐山隊員から、奇妙な人物と接触したとの報告がありました。餌に食いついたと考えていいかもしれません」
嵐山ハヅキ。正直、苦手な隊員の筆頭だ。簡単に言えば理性的な話ができない。はたから見れば元気なスポーツ少女とでも呼べそうな出立ちだ。エメラルドグリーンの髪は短めに切られており、癖毛のため毛先は軽く跳ねている。考えなしに敵へと突撃していく上に、命令や規律を無視して暴走しがちだ。その性格は軍隊に全くもって不向きなのだが、その風魔法の腕だけは確かなためこの隊に配属された。いやでも目立つ彼女は、まさに餌としてはうってつけではあるので何事も一長一短だ。
「嵐山の報告か……情報は確かなのか?」
「虚偽ではないと推測されますが、何せ彼女のことですので重要な情報は全く握れていません」
「まあ……仕方がないな。内容は?」
「不可思議な仮面を付けた人物から誘いを受けたそうです」
話をまとめると、こういうことらしい。今日の作戦行動中、いつもの如く単独で勝手な行動をしていた彼女は、道化師の仮面を被った黒いローブの男と遭遇した。ちなみに接触地点すら判然としていない。曰く「なんか走ってたら変な奴いたんで、ぶっ倒そうと思ったんですけど無理でした〜!すみません!」とのこと。あやふやすぎるが、嵐山に無理だと言わせるほどの手練れであり、仮面と黒ローブというのは、あの時遭遇したアンダカと共通の特徴だ。少なくともシナンの兵士や民間人である可能性は低いだろう。決定的なのは魔素の揺らぎを一切感知できなかったという報告だ。涅槃の1人である可能性は高い。ようやくだ。ようやく奴らの尻尾が掴めるかもしれない。俺は少し高鳴る魔力を抑えつつ話を続ける。
「それでその道化師から、どう誘われたと?」
「それが……」
霜月は言いにくそうに躊躇したが、一度大きくため息をついた後に付け加える。
「お茶でも行かないかとルナン語で言われたとのことでして……」
「お茶……?」
「つまり……異性交友の相手として外出を誘われた、ということでしょう」
一体全体どういった話の流れなのか、よくわからない。誘いとは、茶屋へ一緒に行こうという誘いなのか。戦地の最前線でそんな会話が交わされるなど狂気の沙汰としか言いようがない。俺は多少の戸惑いを感じつつも話を促す。
「……それで?」
「丁重にお断りしたところ、また来ると言い残して姿を消したと」
「みすみす逃したのか」
「いえ、姿形が文字通り一瞬にして消えたと……」
姿を消す魔法か何かか?突如としてルナンの都市部に現れた戦艦と同じものかもしれない。なんらかの魔導兵器の可能性も捨てきれないが、そのような技術は軍の情報網を持ってしても聞いた試しがないのだから、やはり。
「奴等と見て間違いはなさそうだな。ひとまずは任務を続けつつ、接触を待つ形か」
「そうですね。嵐山隊員に気づかれず尾行するような形が望ましいかもしれません」
そして俺たちは当面の作戦を話し合った。嵐山は演技や駆け引きなどができるタイプではないため、好きに行動させつつ、察知されない形で尾行する。今の任務は偵察と見回りが主であるため、相性は悪くないだろう。接触した際はどんな手段を使ってでも身柄を取り押さえてみせる。
――
明朝の6時、ブリーフィングを開始した。嵐山はいつも起きてこないのでこの際ちょうどいい。俺と霜月に加え、嵐山以外の2人にも作戦を伝える。1人は北条サツキ。長い茶髪を後ろは三つ編みにして、前髪はほとんど顔を覆っている。メガネをかけた女性の隊員だ。非常に無口で表情もないが、魔素の揺れでなんとなく考えは読める。そしてもう1人。こいつはもはや腐れ縁だが、最も扱いにくい人材だ。赤い髪は相変わらず長く伸ばしており、常に殺気だった目をして周囲を睨みつけている。
「普段はお前らの自由行動を暗黙しているが、今回ばかりは協力して事に当たりたい」
「くそダリいな。なんでだよ」
「その態度と言動、いい加減にしてください。弥生上等兵」
「あ?文句があんならオレより戦果あげてみろよ?それとも殺り合うか?クソマジメ女」
「黙れ。今回は涅槃に関することだ」
そう告げると全員が押し黙って緊張感が高まる。この隊の全員が、奴らの襲撃によってなんらかの犠牲を被っている。恋人、家族、友人、居場所……。あらゆるものが突如として奪われたものの、国は言い逃れのごとく列強国の仕業として片付けてしまった。自国の領土が侵されたというのに、他国に派兵している暇なんてあるのかと問い詰めてやりたい。当時は国の信頼がなくなりかけ、一部の市民からは当然の如く非難が殺到して非常に危うい状態だった。しかし、それ以降に攻撃がなかったことを国防の成果として宣伝し、今はなんとか国として体裁を保っている。とにかく、全員がそんな国にも愛想をつかせており、境遇も相まって、奴らに関しては非常な警戒感とそれぞれに思うところを抱えているのだ。
俺は昨日の出来事について要点を述べた後、作戦の内容を伝える。作戦などと大袈裟に言っても仲間の尾行に過ぎない。その上でシナン軍の動きも把握する必要がある。俺たちは大規模衝突の際の戦闘要員のため、他のことは期待されていないが、最低限、報告の責務はあるし、シナンに邪魔立てされるのも面倒だ。
「――というわけで暫くは嵐山にも勘付かれないよう、その道化師を誘き出す。また、もちろんだがシナンの動きにも注意して作戦を決行しなくてはならない。いつでも戦えるようにしておけ。いつも通り8時から作戦行動を開始する。以上だ」
俺たちは一度、朝食を取るため解散した。なんとしても奴らと接触しカンナの秘密も探ってみせる。そのためにここまで軍にいたのだ。魔法の鍛錬も欠かすことはなかった。魔力の高い人間を集めているという奴らの餌になれるように戦果を上げてきた。人を殺めてきた。覚悟を持ってやってきたことで、後悔はない。
でもあの日のことを思い出すといまだに胸がざわつく。複雑な感情が押し寄せてくる。強烈で暗くて重い何かがずっと喉の辺りに突っかかっているような……。だがその中に微かの期待がある。彼女が言いかけた言葉。また会えるかもしれないなんて、どうしようもなく諦めきれない希望。必ず……何かを必ず掴んでみせる。
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