第15話 消えゆく翼と
「そこまでだ!その生徒を放せ!」
自分の無力さに絶望感を覚えていたその時、一般の人々を誘導し終えたらしい先生たちが駆けつけてきた。赤口と卯月先生の姿も見える。どうやら軍人たちを連れてきたようだ。軍の人間たちは魔導武器である小銃を構えて黒ローブの男に狙いを定めている。
「貴様らに用はない。そこで跪け」
途端に重力の範囲は広がり、全員が跪いた姿勢にさせられる。ただ一人を除いて。
「全く……悪魔のように傲慢ですね」
卯月先生はいつの間にか男の目の前に現れていた。この重力をまるで無視している。一体どうやって……。
「貴様は……!?フフハハハハハ……!驚いたぞ!よもや生きていたか。ツクヨミに殺されたと思っていたぞ、
「昔話はよしましょう。アンダカさん。生徒は返してもらいます」
先生まで奴らを知っているのか……何がどうなっている?
「まあいい。貴様の首も持ち帰るとしよう。いい手土産が増えたな」
アンダカと呼ばれた男は魔導武器のナイフを取り出したが、先生の方が早い。風のオーラのようなものを全身に纏った先生は、神速とも思える正拳突きを放った。それは瞬時に出された闇のバリアを突き破り、またもや仮面の男は後方へ吹っ飛び、ナイフが地面を転がる。しかし、自らの重力をコントロールしたのか、わずかな距離で着地し、流れるような動作で銃剣と小型の拳銃を取り出した。両手に構えたそれらから数発の弾丸を射出する。
「魔導武器の性能は高くなったようですが、まだまだ遅いですね。そんなものが当たるとお思いですか?」
先生は無数の弾丸をまるで何事もないように躱してにじり寄ると、軽い動作で蹴りを入れ、連続で拳を叩きつける。ローブの男はそれを闇の壁で防ぎつつ、魔道武器を背中と腰に戻した。そして、闇でできたナイフを両手に生み出して、凄まじい攻防を繰り広げる。流石にこれだけの広さで重力をあやつるという大規模な魔法を使いながらでは、武器魔法以外を使う余裕はないようだ。俺たちの削りの成果だとも思いたい。
「長月君。その重力は闇魔法です。あなたなら反転重力を使えるはずですよ。自分の頭上に強力な重力場があるイメージを持ってみなさい」
卯月先生は激しい格闘戦を繰り広げながら俺に対して優しく教え諭す。実力は拮抗しているように見えるが、若干先生が押されているようにも見える。とはいえ、あまりにもハイレベルな戦いだ。
「明光さんを頼みましたよ」
「は、はい」
「チッ。老いぼれが余計なことを……」
俺は目を閉じて意識をイメージに集中する。戦闘のことは一旦頭から追いやる。カンナを救う役割は、今この場では俺にしかできない。真っ黒い重力の塊が俺の体を上に引っ張り上げるイメージ。闇の魔素が集まってそれが重力場を形成するはずだ。質量が重力という空間の歪みを生む。だから大量の魔素が一箇所に、ぎゅうぎゅうに敷き詰められているような……そこに向かって俺の体が引き寄せられるような……そうだ。今感じているこの重力を上側に変えればいい。実感があるからとてもやりやすい。できる。そう確信した。
「
魔法を発動すると体が自由を取り戻す。むしろ、以前より軽くもできるらしい。なるほど、先生はこれを使っているというわけか。しかし、先生は風魔法の適性者であるはずだが……。考えるだけ無駄だ。今はそんなことを考える暇はない。俺にはまだこれを維持するので精一杯で、このまま戦うなどもってのほかだ。
「やはり老いるとは無様なものだな」
「はぁはぁ……老いることも良いことですよ。自分の傲慢さが分かります。自身で何かを為すよりも、未来へ託すことが楽しみになりますから。なんでも自らでコントロールしようとするのは虚しいものです」
やはり、先生でも及ばないらしい。でも今は先生を信じるしかない。俺はカンナを抱きかかえて走りだす。振り向かず、とにかく走る。魔力はもう空になりそうだ。でも、カンナを守りたい。その一心で気力を振り絞る。息が切れ、倒れそうになりながら、ようやく軍人や他の教員たちがいるところまで来ることができた。ここを抜けたならおそらく安全圏だ。やつから、なんとかカンナを救い出して逃げることができた。
しかし、安心したのも束の間、急激な痛みによって俺は地面に伏せていた。銃弾が一発、腹部を貫いている。激しく魔力が流出し、俺の体を形作っている魔素が空気中に飛び散っていくのが見える。後ろの戦況をなんとか確認すると、卯月先生が組み伏せられて、銃剣の銃口がこちらに向いていた。
「諦めろ。貴様らの誰も、我には勝てぬ。絶対にだ。全員死ぬのだよ。惨めにこの世界から消え去れ」
突如として周りが赤く照らし出された。光の原因を探ると、戦艦の巨大な魔法陣が赤く発光している。周辺の魔素が異常なほどに集められているのが、その歪みからわかった。ここまで抗ったのに、結局死ぬのか。何もわからないまま。奴が何者なのか、カンナが何者なのか、何も知らないままに俺は死ぬのか。嫌だ。死にたくない。痛い。苦しい。意識が朦朧としてくる。
魔法の重力なのか、俺の体がただただ言う事を聞かないだけなのかわからない。とにかく重たかった。カンナ……。目を閉じているカンナをきつく抱きしめて、唇にそっとキスをする。
するとカンナの魔素が微かに揺れた、ように見えた。俺の視界が歪んだだけなのかもしれない。カンナを地面に横たえ、俺は仰向けに倒れた。赤い光は強さを増している。あんなものが放たれれば一帶が焼け野原になるだろう。でもそれを見る前に、きっと俺は死ぬ。カンナだけでも、どうにか逃がせる手はないのか。でも、もう体に力は入らない。
「トバリ……くん?」
朧げになっている視界にカンナの姿が見える。意識を取り戻したのか。よかった。
「眼を……覚まし、たんだな。逃げろ……ここはもうすぐ……」
「ごめんね。全部、私のせい……」
つぶやいた声は思っていたような悲しい響きではなく、何か決意めいたものを感じさせた。俺は何も知らない。ずっと身近にいて知った気になっていたけれど、彼女のことを、なにもわかっていなかったのかもしれない。
「トバリくん、私の魔力を、受け取って」
魔力が溢れ出している傷口にカンナは口付けをした。魔力の流出が穏やかになり、意識が少し安定する。
「ごめんね。今はこれが限界。じゃあ、行ってくる」
「ま、待って……くれ!」
引き留めようと手を伸ばす。何度だって。そう思っても体は動かない。
「茶番はここまでだ。最後の選択肢をやろう。我々とともにこの世界を統べるか、ここでモブたちもろとも消えるかだ」
男はカンナの目の前に立ち、銃口を突きつけている。卯月先生も駆けつけてきているが、間に合わない。
「私は、戦う」
「そうか。なら死ね」
放たれた銃弾は、まっすぐに見つめたカンナの頭に命中する直前。その軌道を逸れた。
「バカな。魔法に干渉されない銃弾だぞ?」
「空間自体を歪めたから。弾はまっすぐに飛んだだけ」
空間を歪めた?重力魔法か?闇魔法のはずだ……そうか。俺の魔力。そして、カンナは卯月先生にも劣らぬほど素早い動きで接近し、空中に飛び上がると回し蹴りを放つ。男は片手で受け止めたものの、その直後に頭上から出現した光の魔槍によって貫かれた。
「神殺しの
「貴様……神殺しの
そう言い残し、男は串刺しのまま動かなくなった。すると今まで全く見えなかった魔素の揺らぎがはっきりと見え、魔力が流出していくのがわかる。それを見たカンナは迷いなく光の翼を生やすと、戦艦へと一直線に飛んでいった。なんというあっけない幕引きだ。今までの攻防は一体なんだったのか?なぜ最初からあの魔法を使わなかったのか?疑問はまた氷解することなく積み重なっていく。今日を生き残ることができたら、たくさん聞かなくちゃいけない。でも……彼女は振り向きざまに告げた。さよならと。
「さよなら、トバリくん……でも、もしかしたらまた……」
遠くに消えていく彼女は微かな声で言い残した。俺はただ小さくなっていく背中に手を伸ばすことしかできない。彼女は全身に真っ白な光を纏い、獲物をとる鷹のように迷いなく飛んでいく。戦艦の魔法陣の中心へと向かってまっすぐに。彼女を取り囲む光は周囲の魔素を飲み込んで、魔法陣の魔素も吸収すると、そのまま戦艦を貫いた。
一瞬の間を開けて轟音とともに巨大な爆発が起こる。しかし、その爆発は周囲へ広がる前に一点へと収束した。そして、空には何も残らなかった。塵一つ。突如生まれた巨大な空白を埋めるように、暴風が音を立てて渦巻くだけ。
重力が元に戻って解き放たれた慌ただしい喧騒の中、卯月先生が、意識が消えかける俺に向かって声をかける。
「明光さんのことは、本当に申し訳ありません。私も、もうここにはいられない。君とも会えなくなります。涅槃は強大です。関わることはお勧めしませんし、全てを話している時間はありません。ただひとつだけ……彼らは戦争の裏に必ずいます」
それだけ言って卯月先生は俺にナイフを持たせた。アンダカとか言うあの男が持っていたものだ。
「先生……は何者、なのですか……?」
「私は、単なる老いぼれです。全てを投げ出してしまった哀れな老人ですよ……それでは、達者に生きてください」
そこまで聞いたところで俺の意識は暗転し、目を覚ました時には、世界の何もかもが変わってしまっていた。カンナのいない世界だ。そう。彼女は二度と戻ってこなかった。失って初めて気づくなんて、ありふれた言い方だけど真実だから仕方がない。彼女が俺の生活をどれだけ彩ってくれていたのか。彼女の存在が、どれだけ支えとなってくれていたのか。あの退屈で不満ばかりの日々が、どれだけ幸せなことだったのか。それなのに。俺はそれを示せていただろうか。彼女にきちんと伝えられていただろうか。浮かぶのは後悔と虚無感ばかりだ。
俺の唯一の希望は、彼女が残した言葉だけ。状況的には死んだとしか思えない。でも諦めたくなかった。最後に残した言葉、そして、彼女のことをもっと知りたいと思ったから。俺が、カンナを愛していたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます