第9話 ライフイズビューティフル

 水無月との戦闘を終えた日の夜。久々に家で親父を見た。昔からそうだったが、いつも機嫌の悪そうな顔をしている。常に張り詰めた空気をその魔素揺らぎによって作り出しているのだ。


「いよいよ祖国が宣戦を布告した。これは列強の圧政に苦しむ諸国を解放するための戦いだ」


「あなたも戦地へ行くの?」


「当たり前だ。しばらくは帰れんだろう」


 両親の会話に俺の入る幕はない。聞き耳を立てるのもあまり気が進まないが、聞かずにはいられなかった、やはり戦争は本格的に始まったようだ。シナンでの戦闘が激化しているらしく、親父も戦地へ駆り出される。伊達に30年以上もの間軍部にいるわけではないので、前線に出るような立ち位置ではないだろう。もちろん、危険がないとは言えない。


 その知らせを聞いて複雑な気持ちが湧いてくる。死んで欲しいとは思わない。だが、生きて帰ってきて欲しいのかと問われれば、よくわからなかった。心のつながりのようなものを感じたことはない。父親は無条件に尊敬すべきだという社会の風潮や、家族愛を美しく語る数々の物語は枚挙にいとまがない。しかし、それらは逆に俺の心を冷ましていった。感じるべきことと、さまざまなノイズが入り混じって、どれが本音なのかわからない。声をかけるべきだろうか。いや、俺が親父に何か言ったところで何も変わらない。そうやって自問自答をしているうちに、結果として自室にこもって話の成り行きを見守ることになった。


「明朝、出立する」


 母は何も答えない。どんな表情をしているのか、覗きたい衝動もあるが、そんなことはできる空気ではなかった。このたった少しの沈黙が息苦しい。流れる時間の存在を告げているのは母の咽び泣く声だけだ。しばらくあった重苦しいその静寂を破ったのは親父の意外な一言だった。


「トバリの件だが……好きにさせてやれ」


 言葉が一瞬飲み込めない。耳を疑わすにはいられなかった。あの親父が本当にそんなことを言ったのか?


「な、何を言ってるの?あの子は来年には徴兵でしょう」


 母は鼻声で驚きの声をあげる。当然の反応だ。今まで頑なに譲らなかった主張を急に曲げたのだから、何か勘繰らない方がおかしい。何より、親父のそんな言動を聞くのはこれが初めてだった。深呼吸がはっきりと響く。何か言いづらいことを口にするときの、覚悟を決めたような深い呼吸だ。


「お前だけには正直に言おう。この戦争はおそらく負ける」


「ちょっと!何を言っているの?」


 母の金切り声が響く。オロオロと動揺する母の姿が目に浮かぶ。俺も激しく混乱していた。ありえないことだ。冗談でもそんなことを口にするわけがない。ましてや明日から戦地へ発つ人間であり、軍上層部の人間なのだから。


「それでも我々は威信を見せなくてはならない。徹底的に戦い、列強国からの譲歩を引き出すまでは終わらないだろう。おそらくは、今までにない血みどろの戦いになる。これまで漁夫の利を勝ち取ってきた戦争とは違う。俺も……死ぬ覚悟はできている」


 落ち着き払った声音はいつになく真剣な緊張感が混ざり、厳粛な響きを湛えている。覇気のないと言えばいいのか、こんな言葉が親父の口から出るとはつゆとも思っていなかった。そこまで見えていたのか。今までの俺は、率直に言えば親父のことを見下していたのかもしれない。命令に従うだけの何もわかっていない愚かな人間なのだと。だが違ったのだ。冷静に考えれば、外部から見ているだけの俺が気づくことに、軍内部の、それも将官の階級にいる親父が気づいていないわけはない。


「だったらなんで戦争なんて仕掛けたのよ!負けるとわかっているならオカシイじゃない!」


「我々は引き下がれないのだ。風の魔晶石が禁輸されてから、この道しかなくなった。独立同盟内で自給自足の形を作ることが理想だったが、その進捗も芳しくない。踏み切るしかなかった。可能ならこのままその同盟を広げていければ良いが、列強国はそれを許さないだろう」


 表向きの大義を皆が信奉し、それを鵜呑みにしているとばかり思い込んでいた。俺が一番愚かじゃないか。魔素が揺れる。声を出さないよう必死に抑えながら、流れてきた涙を拭う。自分が優れていて、誰もが馬鹿ばかりだと思いたかっただけ。親父が俺のことを見ていないんじゃなく、俺の方が親父を見ようとしていなかったんじゃないか。それでも、過去に受けた仕打ちにはどうしようもなく腹が立つ。くそ。頭がごちゃごちゃとして考えがまとまらない。


「我々は、火の魔晶石が潤沢だったために勘違いをしてしまった。独立し列強国と肩を並べられると本気で信じていた。だが、魔導大戦はもはや単純な武器の火力が問題になるのではない。空軍だ。その資源が乏しい我々に勝ち目は薄い……。この話はもういいだろう」


 親父が話を止めると、母親の悲鳴にも似たすすり泣きが聞こえてくる。負けるとわかっていても、覚悟を持って戦場へ向かう。そんな強さは想像もできないし、したこともなかった。俺が一番、現実と向き合っていなかった。何か一言でいい。親父に向かって言いたかった。その言葉を必死で探す。複雑に絡み合ってしまった糸のようで、言いたいことが綺麗な形にならない。


「では寝る」


 親父は自室へと戻っていった。

 俺は……何も言えなかった。


 ――


 日が上り切らない明け方。俺は玄関口で親父を待った。一言でいい。何か言いたかった。だけど何を言いたいのか、その輪郭はまだ定まっていない。ただ、顔を合わせれば、その目をまっすぐに見ることができれば、きっと氷解してこぼれ出す何かがあるのだとそう思いたかった。しばらくの間、照らし出されていく街に、ハッキリとした陰影がつき始めるのをじっと眺める。そのうち家の中から声が聞こえてきた。


「トバリを起こしてきますね」


「いや、あいつはもう外にいる」


「あら?本当だわ」


 そう言って2人が玄関から顔を出した。深緑の軍服に身を包む父に続いて質素な和装姿の母。その当たり前の光景が、もはや当たり前でなくなるのかもしれない。俺はこの人たちが嫌いだ。まだ、好きになれない。それでも、何か、腹の底のあたりから込み上げてくるものがあった。揺らぎそうになる魔素を抑えて、親父の鋭い目つきを睨む。一言。ただの一言。


 俺は敬礼をしながら思い切り叫んだ。


「いってらっしゃい!」


「ああ。行ってくる」


 すれ違う時、親父は一瞬だけ笑ったように見えた。


 俺は、去っていく背中が消えるまで敬礼をやめられなかった。ただ、全てを知ってなお戦地へ向かうその背に、純粋な尊敬を覚える。その魔素は少しだけ、少しだけだが確かに、いつもよりも揺らいでいた。


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