第8話 ウェイオブウォーター

 補習を終えた俺たちは家路を歩いていた。なぜか世界はいつもよりも眩しく感じる。祭りの準備などで賑わい始めている街には、夏の暑さと相まって華やかな雰囲気が漂っていて、それがいつもと違う印象を与えているのかもしれない。戦争の空気はまだどこにも感じられなかった。会話には出ても、どこか遠くで行われていることのように皆が感じているようだ。

 

「如月と戦いたいと思ってる」


 昨日から考えていたことを口にする。如月レン。言わずと知れた学校でもトップレベルの実力者だ。学期末に行われた模擬戦で当たった際にはほとんど何もできなかった。でも逃げてばかりはいられない。


「レンくんと?」

 

 意外そうな表情を一瞬浮かべるが、何か合点したように頷く。

 

「ああ。カルラとの模擬戦でたくさんの課題は感じたし、もっと実力者たちと戦いたい」

 

 今の俺はとにかく早く強くなりたい。それも本音だ。だけど一番の理由ではない。如月だけはこの手で倒したいとレース試験の後からずっと思っていた。


「いよいよルナンも戦争に突入したからね……」


 カンナは忙しない街の喧騒をどこか儚げに見つめている。


「そうだな。俺も少しでも強くなりたいんだ。徴兵までまだ時間はあるとはいえ油断はできない。本土に攻め込まれることだってあり得なくはないんだからな」


 今の技術では本土まで攻め込まれるにしてもかなりの時間がかかるだろう。基本的な動力源となる風の魔晶石は貴重な上、大軍勢を送るには相当な量が必要だ。とはいえ用心に越したことはない。生き残るためには手段を選んではいられない。今までは毛嫌いしてきたことだが、向き合わなくては。もちろん嫌ではあるが。

 

「とにかく実戦ってことだね!」


 いつもの和やかな空気感を取り戻した、いや、取り繕っているのかもしれないカンナが楽しそうに告げる。


「そこで、実はお願いしたいことがあるんだが……」


 カンナは「ん?なになに?」と愉快げな表情だ。これは絶対に察しがついているだろうなと思いつつも続ける。

 

「実は如月との連絡手段なんかがないんだ」


 それを聞いて笑みを浮かべたカンナはパンパンと胸を叩いて大袈裟に胸を張る。


「私に任せなさい!社交的なカンナちゃんがうまーくセッティングしてあげるよ」


 そんな仕草はいつものことなので特に触れることなく淡々と話を続けた。会話は生産的なもののほうがいい。


「じゃあ、任せていいか?試合はいつでも大丈夫だ。相手の都合に合わせてもらっていい」


「楽勝だよ!あ!それと、多分だけど……」


 カンナは何かを言いかけて止める。一番気になってしまうパターンなのでやめてほしいものだ。

 

「なんだ?」

 

 そう聞き返すが、言うべきか言わざるべきかと一瞬の思案の後、予期していた答えが返ってくる。

 

「ううん。やっぱり何でもない!」


 えっへへと照れ隠しのように笑う顔はいつ見ても可愛い。そんな思考を見なかったことにして、はぐらかされた内容に思考に意識を向ける。何か少し嫌な予感めいたものを感じるが、おそらくは如月以外とも勝手に模擬戦を設定でもするつもりだろうなと考えて口にしてみる。


「如月以外とでも、もし可能なら日程を設定してもらって構わない」


 え!?といちいち大きいリアクションを内心少し期待していたのだが、どうやら当ては外れたらしい。


「オッケー!いいねえ〜じゃあ誰にしよっかなあ」

 

 言いかけたことは何だったのか……いよいよ手詰まりだ。そして余計なことを口にしてしまったと少し後悔する。カンナは心底楽しそうに指を折りながらあれこれ画策しているようだ。しばらくはそれを眺め、如月と戦うための作戦なども軽く練りつつ並んで歩く。ふと思う。こんな時間が続いてほしいと。昔から実はそうだった。カンナと一緒にいられる間だけが、生きている感覚にしてくれる。

 

「なあ、この後ちょっと付き合ってくれないか」


 気づけばそう口に出していた。


「なになに?もしかして……デート?」


 真面目な顔をしてそう切り返されるとなんだか悪いことをしている気になる。埋め合わせはしたいものだが、しばらくは難しいかもしれない。

 

「いや、違うんだ、すまない。ただ模擬戦のことで色々とアドバイスを受けたいと思ったんだ」

 

「そっかあ。いいけど、模擬戦が終わったらデート連れてってね」


 半ば冗談めいて、半ば本気で言われていることは繋いだ手から伝わってくる。期待に応えられるのかはわからない。だけど。

 

「わかった。約束だ」


 照りつける日差しを白雲が覆い、歩む道に影が射す。それがただ心地よかった。


 ――

 

 明光に模擬戦セッティングの依頼をしてから3日が経つ。今日は模擬戦を設定してくれた初日だ。「四天王とバトルをセッティングしておいたから覚悟しておいてね!」そう笑顔で告げた後、「家族で旅行だから1週間くらい会えないんだ、ごめんね」と寂しそうな顔をして去っていったのが昨日の出来事。家族旅行とは、少し羨ましいような不思議な気持ちだ。


 カンナにも当たり前だが家族がいるんだと再認識する。長い付き合いだがそういえば一度顔を合わせたことがなかった。この前に訪れた時にも誰もいない様子だったし、カンナの部屋以外の全てが妙に整いすぎていて、生活感が全くと言っていいほど感じられなかったのが記憶に新しい。どんな家族か、いつか会ってみたい。


 そんなこんなで、今日の俺は相手が誰だか知らされぬままに学校を訪れていた。まあこの方が実戦的ではあるなと思いながら、『四天王』が誰か想定する。如月は確実として、あとは誰だろうか。模擬戦の実力で言えば、弥生カルラ、睦月コウタあたりか。それに水無月ルリ?この4人が妥当なラインだろうが、カルラとはこの前戦ったばかりだし、水無月もこういった話には乗らないだろう。そうなってくるとなかなか予想が難しい。なんせ今日含め4戦あると言うのだ。

 

 しばらく考えを巡らせながら歩くが、さっさと予想を諦める。誰が相手であろうとできることはそう変わらない。相手を観察し、対策を練り、特訓の成果を発揮するだけだ。いよいよフィールドに辿り着くが、まだ誰も現れていない様子だった。まだ試合予定から10分前なので致し方ないか。特訓で得たことを反芻しつつ、相手を待つ。5分ほどして卯月先生が顔を見せた。


「今日はワタシが審判の立ち位置になります。よろしくお願いしますね、長月君」


「はい!よろしくお願いします」

 

 姿勢正しく柔らかな笑みを浮かべる先生に向かって深く礼をし、それとなく相手が誰か尋ねるが、明光に止められているらしく教えてはくれなかった。そこから戦争に関して考えていることを話し込んでいると、ゆっくりと人影が現れた。時間はちょうどといった頃合いだろうか。

 

「水無月?」


 青いサラサラとした長髪を、束ねずに肩の辺りまで垂らしている。今日はポニーテールではないようだ。そんな水無月ルリは相も変わらず冷たい視線で睨みつけてくる。何だか周囲の気温が下がったような感覚になるのはなぜだろうか。魔力干渉が届いているわけでもないはずなのだが。


「まさかお前が相手とはな。正直驚いた。俺との模擬戦なんかに興味はないと思っていたからな。とにかくよろしく頼むよ」

 

「ふん。あなたに勝ったら明光さんが再戦してくれる約束なの」


 なるほどと合点がいく。カンナはなかなかに交渉もうまいようだ。

 

「だからおとなしく死んで?」


 続けて告げられる言葉が重たい。いや、死?などと言いかけるが、全く冗談には見えない無言の圧力を感じ、言葉を噛み殺す。


「ふむ。お互いやる気は十分なようですね」


 卯月先生はなぜかノリノリだった。どこか達人めいた雰囲気を普段から醸し出しているが、やはり戦闘が好きなのかもしれない。恐ろしい一面を覗いた気になって、少しヒヤリとする。今日はやけに肝が冷える日だ。


「さっさと始めるわよ」


「ああ」

 

 先生は俺たちが位置につくのを確認し、試合の開始を告げた。


「それでは、始めてください」


 水無月は無表情なまま流麗な動きで近づいてくる。周りの魔力が揺らぎ、水のクナイを次々と飛ばしてきた。俺は漆黒の盾を生み出してそれらを受ける。人間は手に意識を集めやすい。そのため威力の大きな魔法は手元に集中していれば、ある程度予測ができるのだ。ただし、水無月の場合はそうとは限らない。彼女は飛び上がると回転蹴りを放ち、そこから鋭い水の刃が飛んできた。流れるような動きと、チラと見えてしまうパンツについ見惚れる。盾で受け止めたものの、魔素が四散して消えてしまった。


 着地した直後、その遠心力を殺さぬままに飛び上がると空中で回転して第二、第三の刃を飛ばしてくる。無駄な動きにも思えるが、彼女の中ではイメージと結びついているのだろう。魔法は想像の力が威力などに直結する。実際、遠心力に比例するような形で威力やスピードは増していた。


 俺は魔力の揺らぎを少し解放する。カルラと戦った後からは揺らぎのコントロールを中心に訓練してきた。その干渉された魔素の範囲から前面に黒い壁を生み出して繰り出される刃を受け止める。水の斬撃は弾かれるわけでも霧散するでもなく、闇の中へと溶けて消えた。虚無のヴァニティウォール。高度な闇魔法ではあるものの、動かすこともできず魔力をかなり消費する。昼間でも使えるのは修行の成果だ。保ってせいぜい5秒というところだが。


 「思ったよりしぶといわね」


 これだけでも相手の想定は超えたはずだ。しかし、水無月はほとんど動揺も見せることなく、水の刀を取り出して歩いてくる。結局は接近戦か。水無月相手では正直に言えば分が悪いのはこちらだ。身体操作にずば抜けている相手を出し抜くのはなかなか難しい。純粋な力比べではどうしようもない。また魔力を解放するのもいいが、それでは芸がない。それに水無月の場合は普段から他人の魔力に干渉されにくくしている人間だろうと思われる。普段から感情を見せない似たようなタイプだから何となくは想像がつくのだ。単純な実力では及ばぬ以上、相手の予測を上回る一手が必要になる。


「悪いが、簡単にはやられるわけにはいかない」


 右手に黒きブラックアックスを取り出して歩み寄る。ゆっくりと互いの武器が交わる距離へと近づく。


「潔いわね。じゃあ、死んで」


 右手に構えた刀を両手で構え直し、ゆらゆらと揺蕩うような青い魔素の残像を残して切りかかってくる。右上段からの剣戟を斧の刃で受け流すと、続け様に、目を見張るような速さで放たれる連撃。後退しながらかろうじて致命傷を避け、魔力の揺らぎを広げて相手を包む。一瞬の動揺が走り、目に見えて剣速が鈍った。そのわずかな空隙に目眩しのブラインドを放つが、すぐに反応されて避けられる。しかし距離を空けることができた。一度呼吸を整えて、魔力を練る。やはり一筋縄にはいかない。


「いいわ。強くなったことは認める。でも……」


 そう言うと水無月は深呼吸をして左手にも刀を取り出した。二刀流。単純にあの手数が増えるだけでも確実に捌ききれない。付け焼き刃ではあるが試すしかないだろう。俺は斧を収める。


「あら、諦めたのかしら。せっかく楽しくなるところだったのに」


「いや、降参はしない。俺も奥の手だ」


 黒旋棍ノワールトンファー。南方の島リューキューに伝わる武器の一種だ。親父が武闘家だったこともあり、剣技よりも格闘術に近い動きができるこの武器の方が扱いやすい。単純に捌ける手数も増える。リーチの差は、魔法武具なのである程度補うことも可能だ。


「へえ、初めて見たわ。関係ないけれど」


 お互いの集中力が高まり空気が張り詰める。歩みを進め、呼吸が重なり、間合いが詰まっていく。どちらともなく大きく息を吐ききると同時、刃と棍が交わる。二撃目。三撃目。それにしても凄まじい剣速だ。斧一本では確実に二撃目で切られていただろう。峰打ちとはいえ後遺症が残りそうだ。それにしても。舞っている黒と青の粒子が剣戟に合わせて踊っている。まるで舞踏を目の前で見ているかのような壮麗な光景。思考と体の動きがクリアにつながっている。不思議な高揚感にも似た感覚が心地よい。今ならできる。


 ここまでは防戦一方だが、集中してタイミングを見計らう。次だ。この刹那に全ての魔力を賭けるしかない。お互いの魔素で作られた武器両方が同時に触れて弾かれる瞬間。邂逅するその一瞬。

 

 「白光の雷撃ブランエクレール


 トンファーが消えると同時に、白く光る雷が水の両太刀を伝って流れる。水の魔素は通電しやすい性質が実際にあるのもそうだが、そのイメージも強い。イメージが容易であるほど魔法の成功率は高まる。危険な賭けだったが上手くいったようだ。雷撃は轟音と共に彼女を包み、武器が霧散した。水無月は膝をつき驚きに目を見張っている。

 

「そこまでですね」


 声が聞こえると同時に、卯月先生がいつの間にか俺と水無月の間に立っていた。やはり只者ではない。


「お2人とも見事でした。それにしても光魔法とは驚きですね」

 

 そう。これが俺の奥の手。要はトンファーはハッタリだ。真新しい武器を奥の手だと言って警戒させつつ、何度か刃をまみえることで生まれた警戒感のちょっとした緩み。念には念を入れて両手に同時に流せるタイミング。極限の集中力が必要だったが、なんとかやれた。俺はものすごい安堵感と満足感、そしてもちろん魔力切れスレスレの虚脱感に同時に襲われて、どさっと腰を下ろした。


「なんで、貴方がそんな魔法を?」


 当然の疑問だ。なぜこれほど高位の(といっても大した威力は出なかったが)光魔法を俺が使えるのか。それはカンナから分け与えられた魔力に起因するようだ。あの日以来、干渉できる魔素の色相が変化した。闇魔法の適性者で光魔法が使える人間は、知る限りではいない。闇魔法の使い手が雷撃を出すなどとは誰も思わない。その思い込みは利用できる。


「それは……秘密だ」


 あまり深くは触れてほしくない話題だった。どうにか誤魔化す手段を考えようと思いを巡らす。

 

「ふん、あっそ」


 特段の興味を覚えなかったようで何よりである。胸を撫で下ろす。

 

「私の勝ちですよね?先生」


 ん?どうだろうか。俺の勝ちだと認識してしまっていたが……。口を挟もうとするのを制するように水無月は続ける。

 

「私はまだ戦えて、彼はもう戦えない。そうですよね?」


 どうやら雷撃のダメージは想定していたよりもなかったらしく、立ち上がって刀を再び取り出していた。そして意見を寄せ付けない強い圧を出しながら先生に鋭い眼光を送っている。卯月先生のジャッジに任せるとしよう。

 

「そ、そうですね」


 ……どうやらこの勝負は俺の負けのようだ。まあいいか。だが、立ち去る際に少しよろけている水無月の後ろ姿を俺は見逃さなかった。

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