第7話 プラクティカルマジック

 目を覚ますと見知らぬ部屋のベッドだった。天井は白い魔晶石が魔法陣に反応して光を放っている。俺は……記憶の糸を手繰り寄せる。そうか、カルラと戦い、魔力切れを起こして意識を失っていたらしい。あまりにも酷い戦い方だったし、危うく人を殺しかけた。罪悪感や自分の弱さに軽い絶望を覚える。やはり使うべきでなかった。延々と後悔の念が頭を支配する。魔力もまだ回復し切っていないし、思っていたよりも傷が多かったようだ。反芻される暗い思考。それを断ち切ってくれるのはいつも……。


「おはよ!体の具合はどう?」


「まだ気分は良くないけど、大丈夫そうだ」


 俺は上体を起こして、周りを見渡す。部屋はシンプルな内装だ。勉強机には開かれたテキスト。本棚には幅広い種類の書籍が立ち並び、大きな窓には淡い色のカーテン。衣装ダンスの上にはぬいぐるみや魔晶石を細工した間接照明が光り、後は鏡台と夏用の送風魔道具がちょこんと置かれている。壁紙をはじめ色味は白を基調としており、心地よい花のような香りもどこからか漂っているようだった。俺の家がまだ前時代的なルナンの様式であることと比べると非常に先進的である。


「あのー、トバリくん、そんなジロジロと見回さないでくれないかな?ちょっと恥ずかしいよ」


 ここはやはり明光の部屋だった。布団でしか寝たことがない俺にはベッドの柔らかさとリラックスしてしまう匂いがとても新鮮に感じられる。そして唐突に思い至った。普段はここで明光が寝ているのだ。そう思うと、なんだかとてつもない罪を犯しているような気分に襲われる。


「すまない。すぐに家に帰るよ」


 そう言って立ちあがろうとするが、めまいがしてベッドに腰掛ける形になった。


「もう少し安静にしてなくちゃダメ。あれからせいぜい5時間くらいしか経ってないもん」


 膨れっ面をする彼女の目は優しくて、本気で心配してくれているのが伝わってくる。


「そんな顔も愛らしいな」


 ふと口が滑った。今まで押さえつけてきた魔力を解放してしまったツケだろうか。感情のコントロールもまだ覚束ないらしい。あまりの恥ずかしさに周りの魔素がサワサワと揺らぐのを感じる。くそ、今までの努力はなんだったんだ。


「ふーん。トバリくんって本当はそんな風に思ってたんだ」


「ちが……」


「違うの?」


「くはない」


 ニヤニヤした顔も可愛らしい。などと自分の思考の声が聞こえる。ああ本当に今の俺はどうかしているようだ。一刻も早く家に帰らなくてはならない。


「とにかく俺は帰る。早く帰る。なんとしても帰らなくちゃならない」


 また立ち上がるが体が大きくよろける。ひどい立ちくらみだ。頭を抱えてクラクラしている俺の体を明光が支えてくれる。人に触れ合う感触とキラキラと揺らぐ光の魔素が、安心感を与えてくれる。小さい頃から、母親にも触れてもらえなかった、そんな過去を思い出して涙が出そうになるのを必死に堪えた。


「仕方ない、かな」


 呟きが耳に響く。このままずっとこうしていたい。思考が頭を掠める。心地よい少しの沈黙。そして次の言葉は普段のハキハキとしたそれに比べて、あまりにもか細く途切れ途切れに続いた。


「いいよ……トバリくんになら。私の……魔力を分けても」


 そう言った顔はなぜか赤みを帯び、恥ずかしげに視線を逸らした。それよりも……。人に魔力を分け与えるなんて芸当が可能だとは知らなかった。今まで読んだ本にもそんな記述はなかったように思う。


「とにかく座ろう」


 ふたりでベッドに腰掛け、俺は純粋な疑問を口にする。


「そんなことが……できるのか?」


 明光は周りの魔素を揺らしながら、ゆっくりと小さな声で答えた。


「できるよ」


 魔素の揺らぎが大きくなる。


「キス、とかで」


 聞いた途端、一瞬思考が停止する。その後に魔力が大きく揺れて……。


「は?」


 裏返った間抜けな声が漏れる。


「だから……キス。チューしたりすれば魔力を分かち合えるの!」


 強い口調で責められているように感じるが、そんな話は聞いたことがない。俺が無知なだけなのか?そうだとしてもその手段はあまりにも緊急時に限るだろう。キスなんてものをするくらいならもう少しゆっくり寝ていた方がマシだ。マシ……なはずだ。


「トバリくんってドーテーでしょ」


 続け様にじとっと上目遣いにした顔を向けられる。ドキドキと体の芯が熱くなり、鼓動が聞こえてくる。俺だって子供の作り方くらいは知っている。夫婦の魔力を混ぜ合わせながら空に放つと、コウノトリがその魔力を受け継いだ赤ん坊を運んできてくれる。そう小さい頃に本で読んだ。


「赤ちゃんはコウノトリだかペリカンだかが運んできてくれるわけじゃないんだよ?」


 張り詰めた糸が弛緩して安らぎが戻ってくる。しかし、なぜか思考を読まれていた。というよりその話は本当だろうか?


「嘘だろ?でも童貞だとか赤ん坊だとか、そんなのが魔力を分け与えることとなんの関係があるんだよ」


 明光はほとほと呆れ果てたというように首を振る。


「もう!本当に男子高校生な訳!?女の子にそれ以上言わせるのは本当の本当にサイテーだから」


 なんだかわからないが本気で怒っている様子だ。魔素が激しく波立っている。


「すまない。なんて言ったらいいのか、本当に、わからないんだ」


 困惑も伝わっていたからか、仕方ないと覚悟を決めたように真っ直ぐ目を見つめられる。一瞬の間。それが何か重大なことであることはあまりにも無知な俺でも理解できた。


「じゃあ、私のこと、好き?」


 たくさんの考えが頭の中を駆け巡る。好きだ。人として、尊敬している。俺とは釣り合わない。俺なんかが。申し訳ない。いや、聞かれているのは女性としてだ。わかっている。そして、俺はずっと。心の底のずっと閉まってきた想い。ぼやかしていたそれが、今はハッキリと輪郭を帯びていた。この揺らぎを彼女も感じていて、彼女の揺らぎを俺は感じている。同調してひとつの波になり場を満たしている。白と黒の魔素が鼓動と共に揺れる様は、まるで2匹の蝶が空を揺蕩って踊るようで美しかった。


「カンナが、好きだよ」


 なんの偽りも衒いもない言葉。それしかなかった。


「目を閉じて」


 俺はゆっくりと目を閉じて、ぬくもりに身を浸す。お互いの魔力が溶け合って、ひとつになって流れている。時間も空間も、身体も魔法も、全ての境界がなくなって、どこまでも、どこまでも流れていく。



 ――


 蝉時雨。そしてざわめくグラウンドの喧騒は眩しく照りつける陽光と共に夏の匂いを引き立たせている。そんな活発な生命活動が支配する傍で俺たちは歴史の補習を受けていた。俺たちと言っても、志願制の補習に参加する物好きは俺とカンナだけである。受け持つのは白髪を撫で付け、陽光を丸メガネに反射している卯月先生だ。先生は歴史、魔法基礎学、さらには文学や哲学なども教えている。俺がこの学校で最も尊敬している人物だ。今日は夏休みに入って最初の補習で、教科は歴史。大いに胸が高鳴る。


「人類の歴史は魔法や神学、哲学と密接であり不可分と言っても過言ではありません。ですからそれらについても触れながら、今日は人類の成り立ちを一緒に考えていきましょう」


 こういった教え方をしてくれる先生は稀だ。素晴らしい。現在の教育カリキュラムによって通常の授業では深い話を掘り下げることは許されず、こうして補習という形でしか学べないのは実にもったいない。俺は感動のあまり不躾ながらついつい口を挟んでしまう。


「素晴らしいです先生!そもそも魔法とは、ひいては人間とは何なのでしょう?」


 卯月先生はいつもの如く全てを見通すような深い目を向けてくる。昨日のこともあったので、何というか、恥ずかしさや後ろめたさのようなものを感じて魔素が揺れる。先生は優しげとも意味深とも取れる笑みを浮かべていた。


「フフ……少し雰囲気が変わりましたかね、2人とも」


「え!?ああ〜!そうですね!いろいろありましたから!」


 何の誤魔化しにもなってないぞ、と心の中で不満を垂れながら、俺はあたふたと返事をする赤みがかった横顔を睨んでしまう。その視線に気付いてか、カンナはさらに余計な言葉を並べていた。


「その〜……バトルとか練習とか本番とかたくさんしたので!」


 それ以上は言うだけ墓穴だ、と思いながらやれやれと首を振る。


「わかりますよ。青春ですね」


 先生には明らかに全て見破られている気がするが、さすがは俺が最も尊敬している大人である。淡々と授業へ舵を戻した。


「さて、補習に戻りましょうか。簡単に言えば魔法とは、六属性の魔素を人間の魔力と想像力を通して具現化したものですね。しかしながらこれは現在の人類、いわゆる『ホモ・マギア』である私たちにしか使うことができません。そのため、古くから神によってこの力が授けられたのだと長く信じられてきました。それはルナンに限らず、どの国でも共通しています。人智の及ばぬ世界については神の御技だとされてきたわけですね」


「ルナンは今でも現人神の聖主から与えられた力が魔法だと言われていますね」


「ワタシも本来はそう教えるべきなのでしょうね。とはいえ、全てを神のお陰だとしてしまうのでは、人は考えることをやめてしまいます。ですからなるべく中立的な、客観的な立場で物事の本質を伝えることが教師の役目だと思っています。それをどう解釈し発展させていくのかは、若い世代に任せてしまおうという訳です」


 先生は茶目っけを交えてそう言うと、一呼吸の間を置いて続けた。

 

「さて、せっかくですからルナンの話をしていきましょう。現在は聖主が唯一絶対の神であるという、謂わゆる一神教的な世界観でワタシたちは生きています。しかし、昔のルナンは違った。物質それぞれが魔法的な力を持っており、そこから借り受けている力なのだと思われていたのです。いわゆる汎神論でありアニミズムとも呼ばれていますね」


「なるほど。では政治的な方針で現在のような信仰を作ったと言うことでしょうか?」


「そうですね。もっと正確に言えば、環境に適応して生き残るために、自然と形を変えたと言ってもいいかもしれません」


「どういうことでしょうか……?」


「例えば、さっき述べたようなアニミズム的な価値観は、閉ざされた島国ルナンという環境だからこそ発達したということです。全てのものに神聖さが宿る。だから恵みに感謝し、大切にして、次の世代へも残るように分をわきまえて扱う。土地に限界があるとわかっていた。つまり領土を広げる余地や侵略する先がないとわかっていたんですね。そうしてなんとか持続可能な形で生き残ってきたわけです」


「つまり、逆にいうとエウロパやシナンのような地続きの広大な土地では、他の国を侵略したりすることで物資を稼いだりしてきた。その大義名分のために一神教的な、絶対の神を政治的に利用して、他を異教徒として侵略していた、という感じでしょうか?」


「ええ。もちろん他にも気候や作物など要因は様々ありますが、意思の統一と他国への侵攻を正当化するために宗教が使われていたのは間違い無いでしょうね。古代のルナンでもホトケと呼ばれる超越者が全ての魔法の根源だとして、国をまとめるために使われてきた歴史もあります。しかしそれは、人々が団結して生き残るための鎹かすがいとでも言いますか、大きな共同体を繋ぐ共通の物語として宗教は機能してきたという訳です」


「その環境に応じて生き残るために、必要に応じて姿を変えてきたんですね」


「そうです。現代のルナンは、国としてひとつにまとまり、他国からの侵略を撥ね付けながら、力を示して生き残らなくてはいけない」


「だから一神教的な信仰が必要だと」


「そういうことになりますね」


 実に興味深い話だ。確かに宗教は人を動かすための大きな役割を果たしている。もはや、歴史のほとんどは宗教によって語られると言っても過言ではないのかもしれない。どうしても盲信的な部分を毛嫌いしてしまっていたが、しっかり学ぶ必要がありそうだ。俺が思考をワクワクと巡らせていると、カンナが口を挟む。


「先生!私たちが魔法を使えるようになったのはいつからなんですか?」


「いい質問ですね。これは非常に興味深いことなのですが、我々が魔法を使えるようになったのは歴史的に見ればつい最近のことなんです。一説には600年ほど前のこと。それ以前は魔法が存在せず、人類は単に物質的な暮らしをしていた。驚くべきことにその当時と今とでは身体の機能も全く異なっています。何が契機だったのかは全くの謎ですが、突如として人類は魔法を使えるようになり、君達も知っての通り、体は魔素と呼ばれる特殊な分子で構成されるようになりました。それ以前は人が死んでも骨や服装などが残り、墓と呼ばれるものに死体は埋葬されていたのです。想像もつかないでしょうね」


 魔法以前の人類というのを、あまり想像したことはなかった。俺たちが習う歴史というのは、基本的に魔法世界の話だ。言われてみれば本当に興味深すぎる。俺は思わず疑問を口にする。


「ですが、そんなことがあり得るのでしょうか。一挙に全ての人類がそんな風に変化するなんて……何か他の実例とか」


「他の実例ですか……今の所は思い当たりませんね。生き物というのは長い年月をかけてゆっくりと変化していくものです。現状だと、もはや神の気まぐれとしか言えない。なんとも悔しい限りです」


 先生でもわからないことがあるんだと少し安心する自分もいた。やはりまだまだこの世界には謎が満ちている。


「そして、関連してもうひとつ不思議なことがあります。魔法を使えるようになってから人口がほとんど増えなくなりました。本来であればこのように発展し安定した社会を築き上げたのですから、人口も爆発的に増えても良いはずなのですが……これは未来の魔法学者さんに解き明かしてもらうことになりそうですね」


「トバリくん頑張って!」


「し、精進します」


 やはりこの先生の補習は最高に楽しい。こうして、歴史の補習はかなりの脱線をしながらも、時間があっという間に過ぎていった。また次回が楽しみでしょうがない。これは意地でも戦争などに関わり合っている暇はない。まあ、徴兵を生き残れるくらいには強くならなければならないが……やはりまだ少し憂鬱だ。

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