第6話 赤と黒

 クソ!


 クソがっ!


 なんでアイツなんだ。


 オレの方が優れている。絶対に。

 家は金持ちで、なによりも。オレには力があった。

 いつからオレはこんな風になった?

 何もかも思い通りにならねぇ。

 クソつまんねえ勉強だけが取り柄のアニキに跡取りは任せればよかった。オレは自由だったはずだ。なのに……


 親に無理やりコネで入れられた高校はクソつまらねえし、偉そうな先公ばっかだ。やっぱ軍学校に入るべきだった。合法的に人をぶっ殺せるから。


 何よりも気に食わねぇのは俺より強えやつがいることだ。如月も水無月も明光も。

 模擬戦では落ちこぼれにすら実質負けたに等しい。


 オレが最強でなきゃいけねぇのに。

 ありえねぇ。いつから狂った?


 そうだ。そもそもあの女さえいなければ。

 こんな気持ちを抱かずに済んだ。


 イライラする。すべてぶっ壊してぇ。

 まずはアイツをぶっ殺す。

 そのあとは……。


 ――


 夏休みに入って数日。俺と明光は毎日せっせと魔法を練習し、オーリーボード、いわゆるオリボーもそこそこ乗りこなせるようになってきた。週に2日ある補習の際にも成果が現れて、他の補習生たちの中では上位に入れるようになってきている。カンナ様、さまさまだ。そんな補習を受けたある日。真夏の喧騒が支配するグラウンドでも一際に存在感を放つ赤髪の男が話しかけてきた。珍しく真面目に補習に出席しているのかと驚いたが、それに加えて話しかけられるとは全く想定していなかったため、驚きを隠せない。


「おい、クソガリ勉野郎」


 そんな呼ばれ方をするのは初めてだったが、俺のことだろうとは察しがついたので振り返ると、弥生カルラがジロリと睨みつけていた。イラついているのか、やはり魔力が干渉する周りの魔素はバチバチと火花を発している。そこまではいつものことではあるのだが、話しかけてくるのは意外だった。


「聞いてんのかよ」


「ああ。なんだ?」


 素っ気のない返事をすると単刀直入な言葉が戻ってくる。


「バトルしろ」


 軽く驚いて気押されぬように身構えているとカルラは続けた。


「模擬戦だよ」


 それでも押し黙る俺に構わず話を進める。


「前回言ったろ。覚えとけってな」


 確かにそんな捨て台詞を投げつけられていたっけ。程よくあしらおうと思ったが、考え直す。これから先、戦場を生き残るには戦闘経験はあった方がいい。明光との戦闘ばかりをするよりは、たくさんの実践経験をデータとして蓄積するに越したことはないだろう。あまり乗り気にはなれないが、ここは潔く経験値を積んだ方がいいのかもしれない。


「おい聞いてんのか落ちこぼれ」


 少し間を空けすぎてしまったことで元々険しかった眉間の皺がさらに深くなっている。なんならその凶暴な魔力に当てられた火の魔素たちはところどころ炎を灯していた。


「わかった。いつだ?」


「どうせオベンキョーくらいしかしてねえんだろ?明日だ」


「先生の許可は取ってあるのか?」


 バトル用のフィールドを使うには当たり前だが許可が必要だ。それに安全確保のためにも監視役となる先生の都合もつけなくてはいけない。そんな容量のいいことはこいつに期待できないとは分かりつつも、一応尋ねてみる。


「はあ?んなもんいらねえだろ。そんなダリイことしてられっか。オレんちにこい」


「お前の家?」


「あ?弥生家を知らねえほどバカじゃねえだろ?」


 そう言われたがすぐには思い至らなかった。弥生家と言われて浮かぶのはひとつだけだが、まさかそんなことがあり得るのだろうか。天下に名を轟かす弥生財閥のことか?その御曹司だとでも言うのか?財閥などというのがあまりにも現実離れした存在だったため、名前と結びつけたことはなかった。誰がこの不良と財閥を結びつけられるだろうか。


「何をボケッとクソ垂らしたみてえなツラしてんだよ。殺すぞ?」


「あ、ああ。弥生財閥の持ち家ということか?」


「クソあたりめえだろ。しばくぞ?」


 いちいち暴力的なやつだ。こんなので財閥の跡取りになれるのか?もはや弥生財閥も終わりか……そんな余計なお節介が脳内にこだまするが、とにかく返事をする。


「わかったよ。何時に行けばいい?」


「知るか。昼とかでいいだろ」


 あまりにも考えなしすぎる。まあそういうやつか。


「じゃあ13時に行けばいいか?」


「ああ。ぜってえ来いよ」


「俺は約束を守る男だ」


「クソ死ね。ぶっ殺される準備しとけよ」


 メラメラと音を立てた背中が遠ざかり、ようやく一息つく。はっきり言えば、全くと言っていいほど気乗りはしないのだが、やるしかない。あいつなら冗談でなく殺しにかかってくるかもしれない。流石にないと信じたいが、あの暴力脳に期待はできない。前回のような小手先の技では刃が立たない可能性もある。戦略を練る必要がありそうだ。


 ――


「え?トバリくん知らなかったの!?」


 ほとほと呆れ果てたとばかりに愕然としているのは桜色の髪をした少女、明光カンナだ。最近では”モダンガール”を略して”モガ”などと言われている列強諸国の影響を受けたファッションで、アッパッパというなんだか間抜けな名前の、ゆったりとしたワンピースのような服装をしている。対する俺の服装はと言えば古くさい黒い甚兵衛だ。


「あいつと弥生財閥なんてどう考えても結びつかないだろ」


「いやいや、クラスでも散々噂されてたよ?跡取りには優秀なお兄さんがいるみたいだけど」


「クラスメイトと会話なんてろくにしないもんでね」


 少し嫌味を返しつつ何故かホッとする。アイツが跡取りじゃないならよかったという安堵だ。


「それは改善が必要として……とにかく明日バトルなんでしょ?」


「ああ。それで相談なんだが、もし可能なら念の為に試合の審判のような形で同席してもらえないか?」


「いいよ。最近とくにイライラしてるもんね〜カルラくん。下手すると本当に危ないかも?」


「ああ。助かるよ」


「何か作戦は考えてあるの?真昼間じゃ闇魔法が使い物にならないんじゃない?」


 それから2人で対策や使えそうな魔法について意見を交わし合った。学者になるのために動いているはずだが、酷く遠回りをしている気持ちだ。しかし、実戦の経験がいつかの研究に活きるはずだと自分を鼓舞して、心の準備をする。集中しなくては生き残れないかもしれない。本当に命懸けなのだ。


 ――


 「ようこそお越しくださいました。ワタクシ弥生家の執事長を務めておりますスティーブンスと申します。いやはや、おぼっちゃまがよもやフレンズをお連れになるとは、執事歴がスリーダースにも及ぶワタクシも初めてのことに大変に感激しまして……」


 スーツを着こなした老執事は白いカールした口髭を撫でながら丁寧な口調で語りかけてくる。なぜかハンカチを取り出して目元を拭っていたが、長々と先の続きそうな話を遮るように怒声が轟いた。


「うるせえクソ執事!さっさと始めろ」


 執事はコホンとわざとらしい咳払いを一度すると再び話し始めた。


「失礼いたしました。つい感激してしまいまして。それでは気を取り直しまして、紳士淑女の皆様方、本日はお集まりいただきありがとうございます。とは言いましてもオーヂエンスはレディお一人のようですが。今回の模擬戦、一切の邪魔立てがないよう……」


 えへへと苦笑を浮かべて見守る明光。時間をもらえてありがたいとばかりに集中力を高める俺。そして、こちらにまでガリガリとした歯軋りが聞こえそうなほど苛立ちを見せる赤髪の不良。三者三様の反応を見せる中、バチバチと爆ぜ始めた魔素に呼応するように、限界を迎えたカルラの一声が試合の始まりを告げた。


「いくぞクソ落ちこぼれ!」


 弥生カルラは赤い髪を靡かせながら右手には炎の大剣、左手からは低威力の魔法弾を飛ばして走り込んでくる。接近戦がご希望というわけか。


「乗ってやるよ」


 それは好都合だった。こちらも接近戦が希望なのだ。想定していた通りフィールドには水や土の魔素が少なく、俺の適性では満足な魔法が使えそうもない。だが、魔力干渉の範囲内で使用できる武器魔法ならば比較的まともにやりあえる。俺が魔力を右手に集中させて生み出したのは大振りの斧。黒く鈍く光る刃を振り回し、後退を牽制していると思われる炎の弾丸を切り捨てながら走り寄る。


「クソ勇敢じゃねえか!力比べといこうぜ」


 今まで弾丸に込めていた魔力が右手に集まる。笑みを浮かべたまま放たれる上段からの大振り。ここは一度、相手の思惑にのってやる。衝撃と音。そして周囲の魔素が黒と赤の閃光を発し刃が交わる。なんとか堪えるが、足が地面にめり込んだような錯覚を感じる。それほどに強烈な一撃だった。これは想定以上だ。


「意外とやれるじゃねえか!クソヒョロガリ野郎!」


 何度も繰り出される重たい蓮撃をギリギリ受けていたが、横薙ぎを受けて体が大きく投げ出された。受け身を取りつつ武器を解除して目眩し魔法ブラインドを放つ。前回はうまくいったが果たして。


「同じ手が通用すると思ってんのか?閃光ブライト!」


 放たれた光魔法によって、黒い霧は無惨に散った。流石に対策されているとは思ったが、光魔法まですんなりと使えるとは、やはり魔法や戦闘のセンスは頭抜けているようだ。前のようにイライラもしていない。思い返せば、前回の模擬戦は何戦かした後の状態だったしな。などと言い訳がましい考えが頭をよぎる。


「やっぱそんなもんかよ!クソ雑魚が!」


 カルラは体勢を崩したままの俺に向かって、炎の弾丸を飛ばしてきた。なかなか容赦のない一撃だ。必死になって転がりながらも、全ては避けきれずに食らった傷口から魔力が流れ出し、留まっていた魔素が拡散していく。炎の雨が止み、なんとか立ち上がるが長くは戦えそうにない。そこにカルラは追い打ちをかけるが如く蹴りを入れてくる。何度も蹴り上げられて、意識が飛びそうだ。吹っ飛ばされて霞む両目に赤い影が迫ってくるのが見える。


「ここまでにしましょう!闇使いのボーイ!」


 ヒゲ執事が問いかけてくる。しかし、俺が応える前にニヤリと残忍な笑みを浮かべたカルラが、手に大剣を取り出した。


「おぼっちゃま!これ以上は……!」


「うるせえ!クソ引っ込んどけ!」


「トバリくん……」


 そんなやりとりを半ば夢心地で聞いていた。魔力も流出し、思考に意識がとられて余分なことに意識が向けられない。わかってはいたことだが、やはり単純な力比べや魔法の勝負では分が悪かった。そして、どうやらこのまま降参して終わりというわけにもいかないようだ。気分も最悪なのでなるべく使いたくはなかったのだが、使うしかあるまい。


 俺は息を大きく吐いて、普段はひたすらに抑え込んでいる魔力の制御を止める。魔素の揺らぎは大きくなり、駆けてくる男を揺れ動く闇が包み込んだ。


「あ!?く、クソッタレ!」


 長身の炎を纏う体が、大剣を振り上げたままの姿勢で震えながら立ち止まる。その表情は怯えた少年のそれで、なんだか見ていて爽快だった。


「オーマイゴッド!あれほどの広範囲まで魔力干渉できるとは……」


「久々に見たけど、前より広くなってる……」


 それぞれの魔素は人間の感情に大きく作用する。体質に合わない魔素を当てられるとその効果は高まり、感情が大きく揺さぶられるのだ。火の場合は情熱や怒り、水の場合は冷静さや冷たさなどだが、闇の場合は恐怖や不安。闇魔法の適性者が古くから忌み嫌われてきた要因だ。近づくだけで気分が害される。そんな存在に近づこうとする物好きは普通はいない。そして俺は体質なのか呪いとでも言えばいいのか、際立って魔力干渉の範囲が広かった。通常なら干渉範囲が広いことは武器になる。干渉範囲からしか魔法は生み出せないのだから。


 「悪いな。クソ不良のおぼっちゃま。ここで死んでくれ」


 動けないのはせいぜい2、3秒に過ぎないだろう。だがそのわずかな隙が戦場では命取りなのだ。皮肉にも前と同じか。とはいえ今回は俺が大きく魔素を揺らしているけどな。そう考えると笑いが堪えきれず声になる。制御できない感情のままに、言葉をぶつけ、黒斧で切りかかる。殺してしまってもいいだろう。その時はそう思っていた。


 ――


 この感覚だ。昔にも感じたこの恐怖感。クソ雑魚のくせに、落ちこぼれのくせに、オレに恐怖を与えてきやがる。


 ムカついてムカついてしょうがなかった。だから殴ったし蹴った。何度も魔法を浴びせた。闇の魔法使いは悪魔の子だとみんな知っていたから、誰も止める奴なんていなかった。それでも気が済まない。気に入らねえ。誰よりもクソ強いはずのオレが、全てが手に入ると思っていたこのオレが、こんな奴なんかに。


 そして、それを邪魔したのはあの女だ。明光カンナ。同い年のくせに、オレよりも魔法をうまく使える。いつもニコニコと楽しそうにしてやがるくせして、オレにはクソみたいに怒りを向けてくる。気に食わなかった。何よりもアイツ、長月トバリに対して恐怖を感じていないのが無性にムカついた。オレには分かる。あいつは偽善者だ。本当は守ってる奴のことが怖いくせに、その恐怖を向けられないように優しくしてるだけ。だからあの落ちこぼれの悪魔に立ち向かって、ボコってるオレの方が本当はヒーローだ。


 クソ、今はとにかく早く体を動かさねえと。殺される。目が合ったアイツは冷酷で残忍で、まさに悪魔だった。やっぱり殺しといた方が良かったんだ。それをあの女が邪魔した。チクショウ。体が強張って言うことを聞かない。なんでだ、クソッタレ!


 その瞬間はやたらとスローに感じた。アイツが笑いながら真っ黒な斧を振り上げて切り掛かってくる。オレは……目を瞑ってしまった。さっきまで余裕でぶっ殺せると思っていた相手に恐怖し、諦めの感情に支配された。オレはここで死ぬ。普段は煮えたぎっている怒りや苛立ちが嘘のように、今は恐怖と冷たい闇に心が呑まれていた。


 だが、オレは死ななかった。なぜだろう。妙に落ち着いた心地だ。強く瞑った目から微かに柔らかな光を感じて目を開けると、明光カンナが目の前に立っていて、眩い光の槍で斧を受け止めている。


「試合は終わりだね!大丈夫?」


 その女はオレと長月を交互に見て笑顔を向けてくる。


「すまない」


 そう一言だけを場に残して、長月トバリは力尽きた。魔力切れか。クソ、でも本来はオレの負けだ。


「おぼっちゃま、申し訳ございません。あまりの出来事にワタクシも動けず。執事として失格です。あのレディがいなければどうなっていたことか。ああなんと不甲斐ない。半世紀以上生きてきましたが、あんなのはファーストタイムでした。それにしても……」


 「クソ。もういい。オレの負けだ」


 クソみたいに安らかな心地だった。不思議と怒りは湧いてこない。


 「まあ、今回は引き分けってとこかな?カルラくんやっぱり強いね!」


 その笑顔がただただ眩しかった。

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