第5話 3人の怒れる男たち
はぁ……とついついため息が漏れる。今日はテスト返却ののち三者面談がある。しかもよりにもよって父親が来るというのだから憂鬱さも極まれりだ。こんな状況下で良く都合がついたものだと皮肉の1つも言いたくなる。俺にとっては不運としか言いようがない。
「どうしましたか長月くん。何か答案に不備でも?」
答案用紙を返却される時に指摘されるほどには、憂鬱さが現れてしまっていたようだ。すぐに魔素の揺らぎを整えて答案に目を落とす。
「いえ。少し考え事をしていただけです。失礼しました」
担任でもあり歴史の担当教諭でもある卯月先生は、シワの寄った細い目から見透かすような眼光を光らせ、悟ったように頷いたあと続けた。
「ふむ。三者面談の事ですね。本日はお父上がお見えになると伺っていますよ」
流石というべきか、やはりこの先生には敵わない。
「ええ。まさしく仰る通りです。まだ進路希望などを伝えていないものですから」
本当は学者を目指したい。その気持ちはある。しかしながら父親は断固として反対するであろうことも分かっていたし、俺には決定権なんてない。
「どうあれ私は君の意見を尊重しますよ」
丸いメガネの奥に見える細目には、そんな気持ちまでつぶさに見透かされている気がする。
「ありがとうございます。面談までにはもう少し考えをまとめておきます」
実際のところ、まとめるべき考えなど特にはない。世界に定められたレールを行くしかないのだ。高等学校に入学する時には母がたまたま説き伏せてくれたが(俺を慮ったわけではなくむしろ不信感によるものだが)今回ばかりは難しいだろう。ふと思う。俺はなんで学者なんて目指しているんだろう。親父への反発。世間への反発。何よりも……。
――
「軍学校へ入れ」
中学卒業後の進路希望を書いた紙を一瞥し、一言だけ親父は発した。希望などハナから考慮に入れていない。
「で、でも父さん俺は……」
立ち去ろうとする親父を引き止めるように、声を振り絞って食い下がる。しかしそんな弱々しい響きはバッサリと切り捨てられる。
「それ以外は認めん」
凍てつくような視線と声の圧にいつものように俺は縮こまって何も言えなくなる。
「でもアナタ、今じゃ高等学校を卒業した方が上級士官になりやすいそうじゃない。それにこの子は戦いなんて向いていないんだから。今までみたいに軍学校を投げ出してしまったらそれこそ、世間様に顔向けできないわよ」
「ふん……落ちこぼれが。そうやって母さんに守ってもらえるのはこれで最後だ。よく覚えておけ」
俺は生まれた時から落ちこぼれだった。逃げてばかりの卑怯者。「闇魔法など卑劣な魔法が得意なのは、お前の根が卑劣だからだ」そう言われて何度も他の属性魔法を練習した。格闘術や魔法訓練の道場なんかにも通わされたが、大抵の場合は適正が闇だと言うだけで差別に晒されたし、長続きはしなかった。どこに行っても俺は落ちこぼれで弱者だった。
だけど魔法は好きだったし、仕組みを知るのは楽しかった。才能はなくても、もっとたくさんのことを知りたかった。だから良く本を読んだ。図書館に通って外で本を読むのが唯一の安らぎだったとも言える。そんな折、彼女……カンナちゃんと出会った。
闇魔法の使い手は歴史的にも忌み嫌われていたし、俺も例外ではなく虐められていた。生まれてきた意味なんてないと何度思っただろう。それでもカンナちゃんはそんな俺を守ってくれた。光魔法を煌めかせ、いつもいじめっ子から助けてくれるヒーローだった。なんの偏見もなく接してくれた初めての人だったかもしれない。初めて会った日、彼女はヘンテコな仮面をつけて俺の前に現れた。
「おともだち!なろ!」
いじめっ子たちの魔法を光の盾で弾き返し、逃げ帰るのを見届けた後、カンナちゃんはキラキラとした笑顔を向けて言った。当時から他の子供たちよりも魔法の腕前は卓越していた彼女は、素直にカッコよかった。俺は「うん」とも言えず、ただコクリと頷くことしかできなかった。
「その、おめんは、なに?バッタ?」
俺は正直に言って少し怖かった。見慣れない緑のお面の目は赤く、触覚なのか角なのかわからないが、額から2本突き出している。
「これはね!かめんライダー!っていうせいぎのみかたなの」
初めて聞いた名前だった。高校生になった今でもなんだったのかよくわからない。どこか外国のヒーローキャラクターか何かなのかもしれない。
「なまえはなんていうの?」
「ぼくはながつきトバリ。きみは?」
「わたしはあけみつカンナ!よろしくね!」
それから俺たちはよく魔法を一緒に練習した。と言っても、本で得た知識を偉そうにひけらかしただけで、教えたことをするすると実践できるのはカンナちゃんだけだった。
――ひかりのゆみや!これカワイイね!
――すごい!すごい!やみまほー!
――ここにまりょくをあつめて……えい!
今にして思えば、そんな時間が人生で唯一の楽しい時間だった。たくさん学んで、もっと褒めてもらいたかっただけなのかもしれない。自分が好きなことで役に立てる事があると分かった。だから俺はいつしか魔法学者になりたいと、願っていたのだ。そういえばこんな会話をしたことがあった。なぜか記憶にハッキリと刻まれている。
「ぼく、しょーらいは、がくしゃさんになるよ!まほーをたくさんケンキューするんだ」
「すごいねトバリくん!いいとおもう!」
「カンナちゃんは?しょーらいのゆめ!」
「わたし?うーん……しに……なんでもない!まだわかんないよ」
その時感じた違和感はまだ胸のどこかに残っている。彼女はなんと言いかけたのか。まだ覚えているだろうか。今度聞いてみたい。とにかく、俺の純粋な願いは変わっていない。学者を目指すこと。それを伝えてみなくては始まらない。まだ親父には言ったことがなかった。きっと親父は認めてくれないだろうけど、ぶつかってみるしかない。これは彼女がくれた勇気だ。俺一人ならとうに全てを諦めていたに違いないのだから。
――
「息子は徴兵に行きます。他の選択肢はありません」
三者面談の開始直後、親父は卯月先生に向かって単刀直入に言い放った。
「だけど親父!俺は……」
そんな言葉はすぐに遮られる。
「黙れ。徴兵逃れなどと言うふざけた真似は絶対に許さん」
いつもこうだ。俺の話なんて何も聞こうとしない。
「まあ、落ち着いてください。息子さんの希望も一度聞いてみても良いのではないですか?」
やはり先生は優しさと鋭さが両立する不思議な圧力を持っている。白髪に丸メガネという風貌ながら、修羅場を潜り抜けてきたような落ち着きが、魔素揺らぎや態度から垣間見えるのだ。そんな眼光に睨まれた親父は少し怪訝そうな顔をしている。
「聞いても無駄な事です。これは決定事項ですから。家庭のことは家庭で決めます」
「俺は学者になりたいんだ」
不意に口を挟むと、親父にジロリと睨みつけられ、メラメラと燃えるような魔素揺らぎが痛みをともなって胸を締め付ける。小さい頃から体に刻まれてきた恐怖から体が硬直し、緊張から軽く震え始めていた。
「そうでしたか。私はトバリくんなら立派な学者になれると思いますよ」
そんな空気をほぐすように先生は緩やかな笑みを浮かべて続ける。
「学者になるには公立大学へ行くしかないので、進路希望は公立大学への進学ということですね」
たまりかねた親父が俺に向かって声を荒らげた。
「この面汚しが!もうすぐ戦争が始まるんだぞ!国のため、聖主陛下のために尽くすのが男だろうが!それを何が学者だ!男なら戦え!戦って潔く去ね!」
根っからの軍人である親父には全く理解できないのだろう。国のために戦って死ぬのが人の定めだと本気で思っている。それが幸せなのだと。二度の大戦を経験し、それでも戦争が正しいと信じている。俺は目を閉じていつものように魔素を落ち着ける。そして沸騰している親父の魔素に気圧されないようゆっくりと話し始める。
「俺は……死にたくない。もっと生きて沢山のことを知りたいし、沢山のことを発見したい。国のためにそうやって尽くす道もあると思う。戦うだけじゃなく」
途切れ途切れになりながらも、痛いほどの視線や魔素揺れに真っ向から対峙する形でなんとか話し終える。すると卯月先生はフォローするように俺の後に続けた。
「私は、トバリくんの意見を尊重しますよ。どんな形であれ、より良い未来のため、国や人々のために自分の意志で進むのは強い人です。お父上もそう思いませんか?」
親父は背筋よく腕組みし、眉間に皺を寄せる。鋭い目を一層鋭くした険しい顔つきをしつつも不承不承に応えた。
「徴兵期間が終わったなら考えてやる。とにかく徴兵逃れだけは絶対に許さん」
もう一度怒鳴りつけられると覚悟していたので、一瞬ハッと驚いて目を丸めた。どうやら譲歩を引き出せたようだ。親父に対して初めて意見を聞いてもらうことができた。あの親父に考えてやると言わせた。俺は少し現実離れした、浮き立つような気持ちを感じ、周囲の魔素がフラフラと揺れて蒸発するような感覚になる。
「俺は、生きて、学者になります」
学者になるためには、まず戦場を生き残らなくてはならない。もう少し戦闘技術を磨く必要はどうしてもありそうだ。夢のために必要ならば、なんとかやってやる。やるしかない。こうして俺の最も憂鬱だった三者面談は終わりを告げた。
――
「明日から夏休みに入る」
三学年の主任も務める赤口が相変わらずの軍人然とした口調で話している。一学期が終わり明日からは夏休みだ。実技や応用ばかりに特化した最近の学校はどうにも嫌になっていたので、ようやく落ち着ける。筆記試験の出来は悪くなかった。学年首位とは言わないが五指には入れている自信がある。とは言っても評価は応用や実技の成績に重点が置かれているため、通知表に期待をするのはやめておいた方が良いだろう。などと思いながら聞き流しかけていた話に注意を戻す。いや正確には話題に注意を引き戻された。
「しかし気を抜かないように。知っての通り我が国は目下、戦争準備が続いている。貴様ら高等学校生には今のところ関係は薄いが、遅からず影響はあるだろう。特に三学年の生徒たちは来年から徴兵となる。訓練は怠らず、国家に尽くせるよう励むこと」
戦争準備というが、もはや待ったなしという状況である。隣国であるシナンに対して軍部が何か事件を起こしたらしい。表向きには被害を受けたのは現地駐在のルナン人であると言うが、利害関係を考えればそんなのは建前だと誰でもわかる。参戦への大義名分が欲しいのだ。”戦争準備”とは内政的な面で、軍事力の強化や思想統一のためのプロバガンダのことを指しているのだろう。実際のところ外交的にはかなり前から動き出している。15年前に終結した第二次魔導大戦の直後から準備していたようだから、もはやこの戦争自体も予定されていたと言って差し支えないだろう。
特にコロナイズされた各国政府に独立同盟への参加を促す政策は終戦直後から積極的に行われている。統一政府からの独立および、同盟の発起自体も前々から計画していたとしか思えない。内部にスパイを送り込み、内部分裂を引き起こそうと画策するのは古くからの定石だが、各国のお偉いさんたちもわかっていて話に乗ってきているはずだ。発展途上の国からすればルナンからの支援は利用価値があるのだろう。お互いを利用価値でしか考えられないこのような繋がりは果たして長期的に機能するのか、などと言うのは目の前の戦争と言う出来事の前にはなんの意味もない問いである。
「歴史は繰り返す……か」
俺はボソリと呟いて全校集会の場を後にする。少し考えすぎてしまったようだ。周りはさっさと教室に戻っている。みんな表面的な事しか見えていないのではないだろうか。俺だけがこの国では異様なのかもしれない。聖主を崇拝することなんてできないし、国家のために死ぬなんてのもご免被りたい。こんな時代でなければと願わないこともないが、いつの時代だって人間は戦争ばかりしているとも思う。つまりこうやって思想の海を泳ぐのは、俺がある種のバカなのだろう。逆説的だが、考えなしに生きる方がはるかに賢い。だけど俺にはそれができない。
そして何よりこの戦争が馬鹿げているのは、俺たちが勝てないということが目に見えているからだ。こんなこと考えること自体が不敬罪に問われるだろう。だが、冷静に考えれば自明の理だ。たとえ植民地の国と協力関係を築けたとしても、統一軍の軍事力の足元にも及ばない。リベリカ合衆国の1つとっても勝ち筋は薄いだろう。強国が参戦しないことを願いながら戦争を仕掛けるなんて馬鹿らしい。俺たちは植民地にされる。間違いなく。
「おーい!早くしないとホームルーム始まっちゃうよ?」
思考が分断されて現実に引き戻される。いつだって彼女が俺を現実に引き留めてくれているような錯覚さえ覚えてしまう。
「また長々と考えごとしてたんでしょ〜!」
「ああ。ちょっとな」
「えっちなこと?」
「戦争のことだよ」
「ですよね〜まあいいや。いこ!」
明光は、はにかみながら俺の手を引いて歩き出す。彼女の手も魔素も、いつだって暖かい。俺とは真逆だ。
「俺さ、魔法学者を目指すよ」
前を歩く彼女は振り向いて不思議そうな顔をする。
「逆にそれ以外を考えてないと思ってたよ?」
「いや、俺は実技が不得意だしこのままじゃまず国立大学への進学も難しい。それに来年は徴兵に行かなくちゃいけない」
俺は恥ずかしさに呼吸が一瞬詰まる。人に頼るというのはどうしても苦手だ。
「だからこそ、俺は絶対に生き残りたい。もしよければ教えて欲しいんだ。実技とか応用魔法のことを」
「うん。もちろん。じゃあ夏休みは猛特訓だね!」
明光は心底嬉しそうだった。それを見て俺もほっとする。二人で魔法を研究した日々を思い出す。
「うわ!トバリくんが笑うなんて久々!なんか嬉しいなぁ」
どうやら知らぬ間に頬が緩んでいたようだ。俺としたことが。ニヤニヤと笑う明光にふんとソッポを向けて真顔に戻る。散々思考を巡らせていた俺にとっても戦争はまだどこか遠くの出来事だった。そんなことよりも、久々にワクワクするような高揚感に包まれている。この感覚の方がずっとリアルで現実だった。
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