第4話 ファストアンドフューリアス

 『オーリーボード』と呼ばれる長方形の金属板に刻まれた中央の魔法陣に、足先から魔素を流し込むと、下方へ風が吹きつけて空に浮かび上がる。後方の魔法陣にも魔素を流し、波乗りのような要領で前へ進む。ちなみにオーリーボードは開発者のニックネームが名前の由来らしい。


 俺は重心移動がうまく出来ず、突っ立っているのが精一杯だ。やはりなかなかバランスを保つのが難しく、俺には不向きだと認めざるを得ない。授業で何度も使って慣れてはきたが、まだ初歩レベル。障害物を避けながら進むこの競技は今まで一度も落ちずにゴールしたことすらなかった。


 それに比べて家柄のいい連中は幼少期から親しんでいるためか、空中で回転したりと、アクロバティックな技を披露している。


「集合!」


 ガヤガヤとした空気は一瞬で張りつめて、規則正しく整列する。


「さて、全員ボードに乗ったようだな。では期末試験を開始する。練習通りグラウンド3周でゴールだ。組み合わせは決めてあるな?」


 教官の赤口は眼光鋭く全員を見渡し声を張り上げる。


「ハイ!」


 軍学校でもないのに声を揃えて返事をする。一人を除いて。


「おい、弥生カルラ!なんだその態度は!いつもいつもこれだから協調性のないやつは……」


 そう言うと赤口はおもむろに土の球を魔法で生み出し、カルラに向けて放つ。いつにもまして球速が速いのは、日頃の鬱憤を晴らすためだろうか。


「クソっ!なにすんだ!」


 すんでの所で躱したが、ボードから転げ落ちて倒れる。そこに向かって、上から見下すように教官の怒気を含んだ冷たい声が響いた。


「いつも警告しているはずだ。次は本気で当てるぞ?」


「ってえな!」


「黙れ。さっさとボードに乗り直して列に戻るんだな。返事は?」


 カルラの周りにある魔素がバチバチと火の粉を発して揺れている。歯軋りをして抑えてはいるようだが、爆発寸前なのは誰の目から見ても明らかだ。


流水滝アクアフォール


 教官の声と同時に、文字通り頭上から冷や水を浴びせかけられている。


「秩序を乱す奴はさっさと出て行け」


 ずぶ濡れの体を持ち上げて立ち上がったカルラは、手に込めた魔力を炎弾に変え、地面にクレーターを作った。そして罵詈雑言を吐き捨てながら去っていく。水に濡れながらあれほどの炎魔法を操れるのは、やはり才能と言えるだろう。勿体無い限りだ。


「厄介者は消えたな。では試験を開始する」


 かなりの魔素を揺らしながらも、淡々と授業を進める赤口に皆が沈黙している。


「おい返事は?」


「ハイ!」


 俺たちの授業風景はいつもこんな感じだ。全く、座学の授業が待ち遠しい。この実技テストも今日で終わるのだからなんとか乗り越えるとしよう。


 ――


 さて、俺の結果はと言えば散々だった。

 四人一組で行われた、最初のレースでは4位。その後にそんなビリ同士で行われたレースではかろうじて3位である。実力で言えば下から2番目というところか。まあ前回は圧倒的なビリだったのだから成長したということにしよう。初めて一度もボードから落ちずにゴールする事ができた。逆に言えばこのグループではいかにして落ちずにゴールをするかの戦いでしかない。それに比べて……。


 実力者たちの争う1位決定戦は俺の目から見れば凄まじくハイレベルなものだった。スタートと同時に圧倒的出力の風魔法で轟音と共に加速する。あんなスピードを出したら俺の実力では最初の障害物でリタイアすることになるのは間違いない。それにあのレベルの魔力消費でスタミナが持つのは限られた人間だけだろう。


 最初にトップへと躍り出たのはやはりと言うべきか、明光カンナだ。膨大な魔力量にものを言わせて文字通り風を切っている。少し遅れて如月。そして水無月が続く。4位に位置するぽっちゃり男子、睦月コウタはあのペースにはついていけないとばかりにマイペースなスタートだ。しっかりと分をわきまえているのは好感が持てる。


 待ち受ける最初の障害物は水の柱ウォーターポール。狭い等間隔で立ち並ぶ水の柱を交互に避けていく。左右の重心移動バランスと小回りを利かせた魔力操作が必要だ。水に触れれば当然バランスを崩してしまう。あの速度を保ちながら、あんなふうに繊細な風魔法の操作は俺には真似できない。


 先頭を走る明光は少しスピードを緩めると、丁寧に回避する。そこでスピードが落ちないのは、如月と水無月の力量だろう。如月は洗練された無駄のない動きで何事もないかのようにスルリと通り抜け、続く水無月も抜群のバランス感覚で離れずに食らいついていく。最初の障害物を抜けた時点で順位が逆転し明光は3位。如月、水無月の順で次の障害物へと突入した。


 ウォーターポールが横のバランスならば、次のアーススライダーは縦のバランスとでも言えるだろう。入り口はトンネルのようになっており、中は起伏の激しい凸凹とした地形だ。天井も高くはないため出力する魔力をうまく調整しながら進む必要がある。後方に魔力を送り過ぎればぶつかってしまうし、上手く前方と真下へ風を送らなくてはいけない。トンネルの中は外から見えないため、出口に全員の視線が集中する。


 わっという歓声と共に一番に飛び出したのは、やはり如月だ。こんな速度で抜けられるものなのかと愕然とする。中でどんな動きをしているのか実に興味深い。続いて飛び出したのは明光だ。やはり身体的なバランスよりも魔力操作のスキルがずば抜けている。少し遅れて水無月が出てきた後に、しばらく間を開けてコウタが飛び出してくる。彼には気の毒だが殆どの観衆の目が先頭集団に釘付けなのは致し方ない。


 トンネルを抜けて目の前に現れるのは、炎の壁だ。もちろんまっすぐ突っ込むことは失格である。水魔法を駆使したり風魔法や土魔法で穴を作ることはできるだろうが、ここでは飛び越えることが要の障害だ。タイミングよく下方への出力を上げ、思い切り飛び上がる。


 これが割と恐怖だ。俺は本当にやりたくない。だがそれを軽々とこなすのがこのトップ集団である。1位の如月は華麗に飛び上がって空中で2回転する。嫌味に感じてしまうのだが、周りの女子たちは大興奮だ。それに続く明光と水無月もスピードを大して緩めずに危なげなく飛び越え、コウタもマイペースではあるがミスなくこなす。ここまでは全員が順調だった。そして大波乱となった4つ目の障害に差し掛かる。


 この障害物は最も落下率が高い。四方からファイヤボール、ウォーターボールなど小型の魔法が飛んでくるのだ。それを避けるか自らの魔法で対処するかは自由だが、使って良いのは武器を生み出す近接魔法だけ。他の生徒に当たりかねない投擲魔法は禁止である。しかし、他の生徒が避けた魔法に当たってしまうなど、かなり視野を広げつつ臨機応変に対応しなくてはならないため、かなりの難易度だ。


 これは実際の戦場を考慮しているのだそうだが、こんな乱戦になるようなら戦争も末期に違いない。ちなみに俺はこの種目だけそこそこ得意なため、今回は3位になることができた。


 先頭を颯爽と走る如月は手に風の剣を持ち、手際よく魔法を切り捨てている。後ろに迫る明光と水無月もそれぞれ光の槍と水の刀を手にし、舞うような華麗な動きだ。その姿は用の美とも言うべきか洗練された美しさすら感じる。遅れるコウタは両手に大きな土の盾を構えて魔法を弾いている。わざと重くすることで、球に当たっても揺らがないようにしているのは賢い。そこそこ魔力と体力は使うだろうが、最も安全策とも言えるだろう。


 そして、まもなく全員が順調にこの障害も超えると誰もが思った次の瞬間。きゃっと短い悲鳴が上がる。誰かが魔法を食らって落下した。


 それは明光カンナだった。


 明光は風魔法を太ももあたりに食らってボードの後ろへ振り落とされた。対応力は流石のもので、回転しながら上手く受け身をとって着地する。いっつつ……とぼやきながら少し顔をしかめたものの、光槍を振り回しながらボードまで走り、すぐさま飛び乗る。復帰の速さに皆が関心してはいるが落下の影響は流石に大きく、3人とは距離を離され最下位になった。


 その時、俺は怒りで震えていた。バレないと思っているようだが俺の目は誤魔化せない。如月レン。アイツが前方から明光に風魔法をぶつけたのだ。正確に言えば、アイツが斬り伏せるフリをして避けた風魔法を加速させたのである。


 あまりに流麗な動きだったし、魔素の流れも普通に見ていれば気づかないほど自然に見えた。だが、他人の魔素揺ればかりを見てきた俺にはその些細な不自然さが分かる。それに、明光カンナがあんな魔法を普通に食らうわけがない。それが一番の確信できる理由だった。すぐにでも如月を殺してやりたいと思ったが、必死に抑える。誰も俺の味方はしないだろう。きっと明光さえも。


 俺にはただ、レースを続けようとする明光に対して、頑張れと願うことしかできない。だけど遠くから見た彼女は少し笑っているように見えた。


 結論から言えば、レースの結果は驚くべきものだった。結果として1位は如月。幼少期からボードを使い慣れているし、風魔法が最も得意なのだから当然かもしれない。育ちの良さも窺われるスマートな乗りこなしだった。だが、明光カンナの落下がなければ順位は変わっていたかもしれない。何事も無かったかのように堂々と1位に甘んじているアイツの顔を見ていると、今にも怒りが溢れ出しそうになるが、なんとか揺れそうになる魔素をコントロールする。


 驚きに値するのは2位。明光カンナだ。一度落下したにも関わらず水無月とコウタを抜き去って、2位に返り咲いたのだ。圧巻だったのは5つ目の障害物、通称『流鏑馬』だろう。動き回る魔法の的を全て倒すことで前方にあるゲートが開く。単純だが動き回る的に攻撃を命中させるのは、ボードを乗りながらでは簡単ではない。しかし、明光は5本の光矢を全て的確に命中させ、スピードを寸分落とさずに駆け抜けた。


 そこからは勢いづいたように2周目の終わりにはコウタを、3周目の最後には水無月を抜いて、見事に復活した。1位の如月には流石に大きく離されてはいたが、普通ではあり得ないだろう。流石としか言いようがない。


「ヒヤリとはしたけど、まだボードの腕前は僕の方が少し上のようだね」


 抜け抜けと話す如月に皆が賛辞を送る中、俺だけは自分を抑えるのに必死だった。


「うーん、してやられたよー。でも次は負けないから!」


「ハハハ怖いな。でもまさかあの状況からあそこまで追い上げるなんて、本当に君はすごいよ……僕が嫉妬するくらいにはね」


 3位の水無月はそんな会話を続けている2人を鋭く睨みつけていた。魔力制御や運動能力には自信があるのだろうし、如月には大差で負け、明光にも実質的に大敗したようなものだから相当悔しいようだ。それに先日の模擬戦で足技をすぐに応用されたことも根に持っているのかもしれない。なんでもできる奴の近くにいると嫌になる気持ちは痛いほど理解できる。それを糧にして努力しているのが彼女の執念というか、強いところだ。4位のコウタはと言えば既に友人たちに混じって何やら愚痴っている。さもありなんとしか言えない。


「静かに!」


 教官の一言で華やかだった場に緊張感が戻る。静まるのを見た教官は、衝撃の事実を告げた。


「さて、これで学期末の実技試験は終了だ。だが、順位が半分以下だった生徒は夏休みに補習がある。詳細は後で通知する。以上。解散!」


 あとは筆記試験のみ!と浮かれかけた頭に不意打ちで打撃を食らってよろけそうになる。なんということだ。酷すぎる。俺は今日で一番自分の魔素が大きく揺れるのを感じた。すまない、明光。

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