第2話 ブラックホークダウン

 魔素が指先に集まり、ゆらりと蜃気楼のように空気が歪む。


焔の弾丸ブレイズショット!」


 声と同時に放たれた炎は俺を串刺しにしようと真っ直ぐに向かってくる。とはいえ軌道も単純で溜めの時間もあるので、相手の動作や魔力の揺れを観察していれば躱すのは容易だ。チッと舌打ちする音が聞こえる距離まで詰め、あらかじめ掌に込めておいた魔力を解き放ち、視界を奪う影を相手の全身に貼り付ける。


目眩の暗闇ブラインド


 言ってしまえば単なる目眩しだ。攻撃だと思って一歩退いた相手の動揺が、明らかな魔素の揺らぎとして感じられる。昼間の戦闘では闇の魔素が満足に使えない。そのため闇魔法はほとんど使い物にならないのだ。確かにこの簡易的な魔法の効力はわずか3秒ほど。しかし戦闘時の3秒は致命的にもなる。クソ!クソ!と吐き捨てながら放たれる無数の炎輪を無視して後ろに回り込み、魔力を集めて放つ。感情が分かりやすい人間は容易に行動が読める。それは命取りだ。迷うことなくトドメを刺す。得意ではないがこの場では一番使いやすい風魔法で良いだろう。正直に言おう。そのとき俺は気を抜いてしまった。そう、放たれた炎輪の1つがたまたま俺の方にものすごいスピードで飛んできた……。



「そこまで!」


 教官の声と共に試合は終了した。俺の負けか。まだ戦えるんだが……。


「クソ!まぐれじゃねえか」


 そんな罵声を無視して息を整えながら歩き、フィールドに一礼をした。整備係の生徒に場所を譲り立ち去ろうとすると後ろから言葉を投げつけられる。


「覚えとけよ」


 赤髪ロン毛のその男は、体とその周りの魔素を激しく揺さぶりながら、それを隠すでもなく早足で歩き去っていった。勝ったのはお前なのに、なんで悪態をつかれなきゃならないんだか……そう不満に思いつつも、勝ち負けに特段の執着はないので、やれやれと嘆息を漏らしつつ興味深そうな試合を探しながら歩き始める。それにしても、アイツは模擬戦闘にしては殺意がこもりすぎだ。あれが焔の弾丸ブレイズショットだったなら、死ぬところだったんじゃなかろうか。

 

 とにかくだ。もうすぐこの学期末の模擬戦式テストが終わるのは素直に喜ばしい。夏休みが来れば好きなだけ勉強ができるのだ。こんなご時世でなければ学生の本分は勉学であったに違いない。そんないつもの愚痴を頭の中でこねくり回していると、おつかれー!と聞き馴染みの深い声が後ろから聞こえてくる。振り返れば一人の女子生徒がサクラ色のショートヘアと、右手をブンブンと忙しなく振って走ってきた。


「お疲れ様っ!見てたよさっきの試合。あれは実質勝ちだよね〜残念」


 白地のシンプルな制服は夏服仕様のため半袖で、胸元にはワンポイントの紅一点とも呼べる赤いリボン。ひらりと揺れる膝丈ほどのスカートは灰色を下地にしたチェック柄で、短く白いソックスに黒い革靴。極めてオーソドックスな制服だが、その素材はどれも軍服のそれに近く、丈夫かつ動きを損なわない。


 彼女は周囲の魔素をパッと輝かせつつ、人懐っこい子犬を彷彿とさせる屈託のない笑顔で走ってくる。表情という人類の過去の遺物とでも呼べるだろう身体機能をフル活用しているのは、ある種エネルギーの無駄だと感じない事はない。しかし、ドキリとしてしまう自分がいるのも事実だ。そんなことを悟られないように魔素の揺らぎをコントロールしつつ返事をする。


「あいつは単純すぎるんだよ。あんな見え見えの攻撃なら当たるわけがない。最後のはちょっと油断したが……」


「あれは運が悪かったね〜。でもさ、トバリくんみたいに魔素の揺らぎを正確に見れる人って実はあんまりいないよ?」


 下の名前で呼ばれるのは相変わらず少しむず痒く感じつつ、ムスッとした声を作って返す。


「そんなこと言うが明光は余裕で俺に勝っただろ?」


「えへへ。まあそれはまた別の話だよ〜。私はトクベツだからね。というか、昔みたいにカンナちゃんって呼んで良いんだよ?」


 明光カンナはこの学校で最強の呼び声が高い。少なくとも生徒たちの中では、いや先生たちを勘定にいれたとしても、トップレベルだろう。その上、学業成績も優秀で社交的ときている。弱点を探すのが難しい稀有な人間だ。天は二物を与えずとはよく言えたものである。その圧倒的なまでの魔力量に加え、属性適正も汎用性の高い光と風に秀でているのだから、俺のような落ちこぼれには立つ瀬がない。


「闇魔法は昼間の実戦じゃかなり使いづらいのにすごいよ。というより使ってる人トバリくん以外にいないし。まあ、適性がそもそもいないしね……トバリくんに必要なのは自信だけじゃない?それだけで絶対に強くなれると思うよ!」


 有能な彼女に評価されるのは嬉しいが、俺のことをあまりに過大評価はしている節は否めない。


「そんなことを言われても戦闘にはあまり興味がないんだ。隙を作って逃げられればいいと考えて編み出したのが目眩しってだけだよ。かっこ悪いだろ」


 そんな自虐的な答えにも、明光はブンブンと大袈裟に頭を横に振って応える。


「生き残るのは大事なことだよ!大体みんな攻撃が防御みたいな判りやすい使い方ばっかりだもん。そんな使い方するなんて、さすが未来の魔法学者さま!」


 魔法学者か……そんなものになれると本気で思っているのは明光だけだよ、とは言えない。こんな世の中で、こんな時代に生まれて、こんな境遇で、学者を目指すことそれ自体が許されない。


「来年は徴兵の年だし、そんなこと今は考えられないよ」


 それは言い訳の一側面過ぎないのだが、分かりやすい理由だ。明光を包む魔素の揺らぎが明らかに小さくなり、表情に陰りが差す。感情が分かりやすいのも彼女の魅力だろう。世界が戦争の空気に染まってきている中で魔法学者を目指すなんて馬鹿にされて当然なのだが、それを理解してくれているのは彼女だけ。その事実に俺はまたも揺らぎそうになる魔素たちを必死で宥めながら話を続けた。


「戦いなんていったいなんの意味があるんだろうな。俺はただそんなことより沢山の本を読んで、沢山の魔法を知って、この世界の真理みたいなものに触れたいだけなのに。なんで巻き込まれなくちゃいけないんだ」


 こんな話をできるのは明光だけだからだろうか、つい考えていることをそのまま吐きだしてしまう。


「仕方ない……よね。世界はいろんな思惑が絡まり合ってるから。同盟国が参戦してるし、私たちも遅かれ早かれ戦う事になる。もしかしたらすぐにでも……」


 第三次魔導大戦。後世ではおそらくそう呼ばれるであろう戦いが、遥か西方エウロパの国々で始まっていた。俺たちの国ルナンは十年ほど前に【世界統一政府】の不条理な差別に耐えかねて孤立している。その後、他にも不満を募らせていた国々と同盟を結び、自分たちを【独立同盟】と呼んで統一政府と睨み合っていた。不平等な条約によって経済的に搾取されていたのだから、独立する事自体は理解できる。とはいえだ。国力を余計にすり減らす戦争なんて本末転倒だろう。ましてや統一政府の軍事力は計り知れないのだから。


 軽い沈黙に身を浸しながら頭はそんなロジックを延々と紡ぎ出している。


 すると、わぁあ!と、歓声が上がり現実に引き戻された。どちらともなく目の前で繰り広げられる試合へと注意がいく。かなりの盛り上がりを見せているのは、後輩や一部の男子に熱狂的な人気がある女子生徒が戦っているからだろう。


土の槍アースランス!」


 声を張り上げた小太りな男子生徒は細長い土の塊を次々と地面から突き出していく。模擬戦のため先端は丸くしてあるが、直撃すればひとたまりもないだろう。それに相対する女子生徒は高い運動能力でそれらを避けつつ、突き出された一本を掴むと車輪の要領で回転し、足先から美麗な水の鞭を振り回した。青い艶のあるポニーテールとキラキラと光の粒を反射する水の鞭が確かな品位を感じさせる。遠心力を利用したその攻撃は土の槍たちを薙ぎ倒し、ぽっちゃりした腹に直撃した。


 ぐふぅと悲痛な声を漏らし腹を押さえてうずくまる男子生徒。周りのざわめきを制するように、そこまで!と教官が声を張り上げて試合が終了した。少し乱れた前髪をかきあげた水無月ルリはふんっと見下すように男を一瞥しフィールドを出る。クールだ……と感嘆する男子生徒たちには目もくれず、鋭い目線を刺すようにカンナに向けて言い放った。


「次はアンタにも勝つから」


 冷たく鋭い声音と怒りにも似た魔素の揺れがかなりの圧を放っており、隣にいる俺の方が思わずすくんでしまう。しかし明光は全く動じることもなく笑顔で言葉を交わす。


「さっきの凄かったね!でも私も負けないから!」


 暖簾に腕押しとはまさにこのことだろう。水無月はその空気を切り捨てるようにサッと勢いよく振り返って去っていった。


「ルリちゃんカッコよかったね!足からウォーターウィップを出すなんて私じゃイメージできなかったよ!」


 おそらく明光に負けたから新しく編み出したんだろうが、それは言わないでおこう。とはいえ実に興味深い。つい言葉が溢れてしまう。


「魔法はイメージの力だからな。工夫次第で自由度がかなり高いのも本当に興味深い。魔素の性質もまだまだわかっていないことばかりだし、魔法が発現する原理すら曖昧だ。俺たちの身体器官だって不思議なことばかりだし何より……」


 魔素揺らぎ同士がぶつかった感覚を感じて明光に顔を向けると、ニタニタと笑っている。気づかぬ間に揺らぎが大きくなってしまったようだ。


「な、なにが可笑しいんだ?」


 恥ずかしさを隠しきれずそう問いかけると彼女は笑みを崩さずに言う。


「別にー?やっぱりトバリくんは魔法学者が向いてるなって」


「そんなことより、次は明光の試合だろ」


 落ち着きを取り戻し言葉を返すと、彼女も少し引き締まった顔つきになる。


「そうだね!行ってくる。見ててくれる?」


「ああ。勉強させてもらうよ」


 彼女はニっと笑顔を残してフィールドへ歩いていった。

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