第18話 〇〇〇
脱衣所とはいえ、女友達……それも好きな人の家で服を脱ぐのは抵抗がある。
といってももう決めてしまったわけで、やっぱりやめときますなんて言えるはずもなく。
僕はきれいに片付いた脱衣所の床に濡れた制服を畳んで置き、お風呂を借りる。
そこで僕は、またも
すりガラスの開き戸を閉め、数秒立ち尽くす。……これは。
「…………」
湯船には、半身浴ができる程度のお湯が張られていた。
おそるおそる湯船に近づいて中を覗き込むと、お湯は完全に透き通っていた。
てっきり部長はシャワーだけで済ませたと思っていたのだが、湯船に浸かったのだろうか。だとするとこれは部長が入った後のお湯というわけで。
……などと考えてしまい、雑念を振り払うように思い切り首を横に振る。
シャワーの蛇口を最大まで捻り、出てくるのがお湯なことを確認してから、頭から被る。そうして僕が頭を洗っていると、がちゃりとドアが開く音が聞こえた。
多分、開いたのは脱衣所の扉だ。すりガラスの向こう側に人の気配を感じる。
「は……⁉」
一瞬にして思考をフリーズさせた僕。
まるでその思考を読んだかのように、部長はなんでもなさそうな声で告げる。
「ご期待に沿えず申し訳ないのだけれど、覗きとか入りに来たわけじゃないわよ?」
「……ああ、そうなんですね」
部長はなにやら脱衣所でごそごそと動きながら、僕に話しかけてくる。
「むしろさっきは意外だったわ。待ってたのに、まさか一樹君が覗きに来ないなんて」
「いや……ラノベならまだしもリアルで覗きなんてするわけないじゃないですか」
「つまり、興味がないってことかしら?」
「興味がないかと言われると噓になりますけど……そんなことはしません。紳士なので」
「筋金入りのチキンね」
「今のは貶すところでなく褒めるところのはずです」
「そう。シャンプーとリンスだけれど、ピンクのやつならご自由に。ボディソープはオレンジので、泡立てネットが壁にかかってるから、それで泡立ててから洗うといいわ」
「ありがとうございます。そしたら使わせてもらいますね」
「あと、着替えもここに置いておくから」
「着替えって、体操着じゃ」
「私の服でちょうどいいのがあったから。体操着は洗濯機に入れたわ」
ピッ、と機械音が聞こえ、脱衣所にあったドラム式洗濯機が動き始める音が聞こえてくる。
「え、ちょ……っ⁉」
多分、回っているのは僕の体操着なのだろう。風呂上がりの着替えがなくなった。
……いや、部長が貸してくれるとは言ってるんだけども。
「ああ、気にしなくて大丈夫よ? 流石に下着までは貸せないから」
「そういう心配じゃなく」
「だって一樹君のブラサイズと、私のサイズは違うでしょう?」
「なんで僕が上着けてる前提なんですかね……⁉」
悲鳴じみた声を僕が上げると、綾乃部長はふふっと面白そうに吹き出した。
それからすっと平常時の声音に戻して、
「……ってことは、一樹君って学校ではノーブラなの?」
「また悪意ある言い方を。……部長と違って僕は男なんで、家でも学校でも着けてません」
「どうして、私と違って、と言い切れるのかしら。見たってこと? 変態」
綾乃部長は明らかに本気で引いているような冷たい声で呟く。
「いや見たわけじゃないですけど……! 普通ならそうだろうなって前提です!」
「量子力学では、この世のあらゆるものは観測されるまでは存在が確定しないのよ?」
「シュレディンガーの猫みたいなこと言わないでください」
「言わばシュレディンガーのブラジャー……なんだか語弊が生まれそうな言葉ね?」
「…………」
エルヴィン・シュレディンガーも死後、こんな話題で取り上げられるとは夢にも思わなかっただろう。勝手ながら僕から
それより。
「……部長は僕に服貸したりして、本当にいいんですか?」
僕に服を貸すということへの、部長の気持ち。そこが一番の問題だ。
「そりゃあ一樹君が私の服を着たまま帰って、それを色んなことに使うってなると困るけれど……体操着なら扇風機に当てて一、二時間もすれば乾くでしょう?」
「……なるほど」
部長の軽口をスルーして、僕は頭に温水を浴びながら考える。
つまり体操着が乾くまで家にいて、それからまた着替えて帰ってと言うことらしい。
……それなら、ぎりぎり許容範囲内な気はする。
身長を考えると丈は足りないだろう。ただ、誇れることではないけれど、僕も男子の中ではかなり細身な方だ。服が伸びてしまうなんて事故は起こらないはずだ。
まあ綾乃部長が普段着ている服を身に纏って、僕の心臓が持つかという話は残るけれど。
「わかりました。なら、それでお願いします」
部長は「分かればいいのよ」と告げ、それから小さな声でぶつぶつと呟く。
「……上はシャツで、下は──ミニスカートとショートパンツ。どっちが似合うかしら……」
「不穏な二択で迷わないでください……! 冗談ですよね⁉」
僕が思わず声を上げると、部長はなんてことのないような声で訊いてくる。
「一樹君はどっちの方が着てみたいの?」
「どっちかは着てみたがってるみたいな言い方はやめてください」
「ごめんなさい。でも、一樹君が着たい服はきっとないわ。メイド服とか……」
「その僕に対するメイド服のイメージって、一体どこで付いたものなんですかね……⁉」
というか着る方でもいいのかよ、僕。イメージ内の僕のメイド服への愛が凄すぎる。
「さあ、どうだったかしら。でも困ったわね……。どっちかでいいから穿いてくれないと、一樹君が恥ずかしがってる顔が見られないじゃない」
どれだけ僕の羞恥に悶える顔が見たいのだろうか。……いや、部長の望みであればできるだけ叶えてあげたい。でも、それを許すと僕の尊厳に関わる。
「……そこはもう、想像で補ってください。それでもいいんで……」
「なら、お言葉に甘えて。一樹君が○○○の格好をして、○○○喫茶でほかの○○○と一緒に、オムライスに「萌え萌えきゅんっ!」ってしてる想像で我慢しておくわ」
「伏せて言ってる意味あるんですかねそれ……⁉」
「ちなみに伏字の中には同じ言葉が入るわ。メで始まってドで終わる」
「……いや想像はつきますけど」
つい想像してしまう。脳裏に地獄のような光景が広がった。
「やっぱりそう? 正解はメギドよ」
「…………」
違った。メギド喫茶、どちらかというと戦場的な意味で地獄のような光景だった。
……どうでもいいことだけど、メギドとは古代パレスティナの遺跡都市のことだ。かつては戦地であり、人類最後の大戦──ハルマゲドンの語源ともなっている。
「それじゃ、ゆっくり温まってから出てね。下はお楽しみにするといいわ」
「待ってください部長、スカートもショートパンツも嘘ですよね⁉」
僕の悲鳴もむなしく、綾乃部長は脱衣所を後にした。
これでスカートがあったらどうしようかと悩みながらシャワーを浴びて、葛藤の後、お風呂に浸かって上がると、制服の横には丈が長めの黒シャツと白いジャージがあった。
尊厳を
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