第15話 雨




 僕が部長に追いついたのは校門前だった。

 というか、綾乃部長はこちらを向いていて、待ってくれていたようだ。


「すみません、お待たせしました」


 駆け足で走り寄って僕がそう告げると、綾乃部長は鞄からスマホを取り出した。

 画面を少し操作して、曇り空を数秒見上げたのちに、こくんと一つ頷く。


「ねぇ一樹君、今から時間はあるかしら」


「……? はい、部活もほとんどしなかったですし、今日はバイトもないので」


 どういう問いか計りかねた僕は、疑問符を浮かべながら答える。

 綾乃部長はスマホを鞄にしまい直すと、右手の人差し指をピンと立て、口角を上げた。


「それじゃあ今から、また小説のネタ作りをしましょう?」


「ネタ……合作小説のってことですよね? でももう帰るんじゃ──」


 僕が言い終わる前に部長は僕の手をさっと取ると、軽く引っ張ってきた。


 柔らかくてすべすべとした綾乃部長の手の感触に、僕は全意識を左手に集中させる。僕の右手は若干手汗が気になるのに、なぜ部長の手はこうもさらさらしているのか。


「そうよ。今から帰るのだけど。このまま私の家まで一緒に帰らない?」


「…………」


「無言で手をにぎにぎしないで。動きが気持ちわるいわ」


 引き気味に眉を寄せた部長に言われ、僕は部長の手を握る手から力を抜く。


「すみません、つい。──つまり放課後デートってことですか」


「ええ。付き合いたての恋人としては鉄板じゃない?」


「付き合いたてってイメージなんですね」


 綾乃部長は僕の言葉に、何を言っているの? とでも言いたげな表情を作った。


「高校生カップルなんて、付き合いたての初々しい時期を過ぎたら、相手とえっちなことをすることだけ考えてるか、お互いに飽きちゃってだらだらとSNSで連絡とってる、でも別れは切り出せなくて結局浮気するか自然消滅……みたいな感じでしょう?」


「偏見が凄い。別に、そうじゃないカップルもいると思いますけど……」


「それに小説のネタとしては、付き合いたてくらいの甘くてじれったい方がいいじゃない?」


「まあ、それについては僕も同意します」


「──それで。立ち話はもういいでしょう? 一樹君は私を家まで送ってくれるのか、それとも私に家まで送って欲しいのか、どっちがいいの?」


 ……いつの間にか放課後デート自体は確定していた。というか僕が家まで送ってと言ったら着いてきてくれるつもりらしい。

 まあいつもの如く断る理由もないため、僕は頷くだけなんだけど。


「前者でお願いします」


「ふぅん……私の家を知りたいってことね。でも残念ね。私は一人暮らしじゃなく実家暮らしだから、夜に忍び込んで襲おうと思ってもお父さんに止められるわよ?」


「僕は基本合意を得て行動するタイプなんで、そんなことにはなりませんよ」


「っ……。まさか、お父さんを籠絡ろうらくするつもりなんて……想定外だったわ」


「いや忍び込んでから合意を取るって意味じゃないですからね⁉ 襲いませんから!」


 好きな子の家に夜這いに忍び込んで、お父さんと対談するって。

 どんな鋼メンタルの持ち主だ。


 話の途中で、綾乃部長は僕の手を握ったまま歩き出す。僕も突っ立っているわけにもいかず、いつも帰るのとは反対方向の道へと、腕を引かれるまま足を踏み出す。


ちなむと、一番楽な侵入経路は二階の窓よ。夏場はたまに開けてあるから」


「防犯意識。エアコンはつけないんですか?」


「んー、そうね。空調ってずっとつけてると体調が悪くなるというか……」


「冷房病、とかって言いますよね。僕も詳しくは知りませんが」


「だから夏場はエアコン以外のもので涼むようにしているの」


「へえ、そうなんですね。どんなのがあるんです?」


「扇風機がメイン。あとはそうね……触れたら冷たいあの……冷色折檻?」


 折檻せっかんて。言い間違えか覚え間違いか、どっちにしろ怖い。


「多分、接触冷感ですね」


「そう。それよ。ところで一樹君」


「なんでしょう」


「放課後デートって、帰る以外に具体的に何をするものなのかしら」


 言われて、まだ特に何もしていないことに気付く。


 後ろから乗用車が走ってきて、ひゅんと風切り音を立てながら僕らの隣を走り抜けていく。田舎の道は狭くて、歩道も二人で並んで歩くとかなり距離感は近くなる。


 それだけでも僕としてはデートっぽいなとは思うのだけれど、部長は何やら不満らしい。


「んー……僕も経験豊富な方ではないのですみません、分かりません。こうやって手を繋いで、話しながら一緒に帰るだけじゃダメなんでしょうか?」


 僕は部長に繋がれている左手を持ち上げ、今のままでいいんじゃないかとアピールしてみる。すると部長は呆れた風に首を横に振って、それからはぁ、と短く嘆息たんそくした。


「一樹君。読者がドキドキしてくれないと恋愛小説ではないのよ?」


「……確かにそうかもしれません」


 僕としては綾乃部長と手を繋いでいるという事実だけで心臓が鳴りやまないのだが、小説としてみれば確かに刺激が少ないと感じる人が大多数を占めるだろう。


 でも、意図的に刺激を増やそうにも、僕程度の恋愛経験値では何も思いつかない。綾乃部長も歩きながら頭を悩ませているようだったが、良い案は浮かばない。


 ぶつぶつと案を口に出しては、部長は首を横に振っている。


「わざと足をくじいて、一樹君におんぶしてもらうとか……」


「ダメですよ。部長に怪我なんてさせられません」


 綾乃部長を背負えるということはその体の感触を背中全面で味わえるということであって。僕としては役得でしかないけれど、そもそも部長が怪我をする必要があるというだけでダメだ。


 ……いつか、偶然そうなったりすると嬉しいとは思いつつ。

 ただそのためには部長を背負って軽々歩けるくらいには鍛えないといけない。綾乃部長は見るからに軽そうだけれど、僕のひょろひょろボディで支えられるかは別の話だ。


「あーあ。せめて雨でも降っていればねえ……」


 ふと呟かれた言葉に僕は聞き返す。


「雨ですか?」


 確かに空はかなり暗くて、雨模様ではあるけれど。


「そう。相合傘ができるじゃない?」


 相合傘。ややベタな気はするが、確かにそれなら恋愛小説のネタにはなるだろう。

 だけど部長は左手に鞄、右手に僕の左手を握っていて傘は手にしていない。

 少し考えて、ピンときた僕は一面の曇り空を見上げながら呟く。


「ああ、折り畳み傘とか持ってるんですね」


「持っていないわ。今日は天気予報もずっと晴れだったし、置いてきたの」


「降ったらダメじゃないですか」


 と、僕が言った瞬間。ぽたり、と僕の手の甲に水の粒が降ってきた。それはぱらぱらとあっという間に勢いを増していき、歩道のアスファルトに染みを作っていく。


「降ってきたわね」


「降ってきましたね……」


 あまり気にした様子のない部長とは違って、僕はやや歩行速度を上げる。部長もそれにつられて早歩き気味になる。綾乃部長は顔が小さくてスタイルは完璧だが、僕よりも身長が低く、そのぶん足は短い。必然足を動かす回数も多くなり、小走りになっている。可愛い。


 ……いや、今は悠長ゆうちょうにそんなことを考えている場合じゃないか。


「部長、ここから家までって大体どれくらいですか?」


「んー……急いで五分くらいかしら」


「なら急ぎましょうか。あまりびしょ濡れになると風邪ひいちゃうかもしれませんし」


「そうね。最近、あまり体力がないのだけれど……少し走りましょうか」


 そうして、僕らは降り出した雨の下を走り出した。



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