第10話 アパレルショップ




 それから僕たちは、AION二階にあるアパレルショップにやってきた。


 映画館やフードコートもそうだったが、店内は空調がきいていて非常に快適だ。


 男女で選ぶ服が違うということで、店内で綾乃あやの部長と一旦別れる。


 提案しておいてなんだが、僕はそこまで服に頓着とんちゃくはない。今着ている服だって、一応部長とのデートということで気合を入れてきてはいるけど、無難ぶなんなものでもある。


 カジュアルめな白黒のサマージャケットにテーパードパンツ。鞄も安い肩掛けバッグだし、人混みにまぎれれば一瞬でいなくなれそうな無個性ファッションだ。


 そんなわけで新しく欲しい服も特になく、服を選ぶふりをしながら綾乃部長を眺めていた。


 と。ハンガーラックの隙間から部長と目が合ってしまい、部長がやってくる。

 その左腕にはハンガーのついた数枚の服が抱えられている。


「あら、一樹かずき君は欲しい服はないの?」


「そうですね……。僕は特には」


「やっぱりチャイナドレスは売ってなかったものね……そんなに落ち込まないで」


 綾乃部長はわざとらしく悲しげな表情を作って、僕の肩をぽんぽんと叩く。


「あいえ、落ち込んでないから大丈夫です」


「それじゃあ、私に着せてみたい服はないってこと?」


「そうですね……チャイナ以外の選択肢で良ければ選びますけど」


「残念だけれど、メイド服も猫耳も売ってなかったわよ?」


「部長の中での僕のイメージは、メイドかチャイナしかないんですか……⁉」


 猫耳メイドとか、いつどこで培われたイメージなのだろうか。

 僕を一通りからかった綾乃部長はくすくすと笑うと、試着室に向かって歩き出す。


「じゃあ、一樹君のセンスで選んで頂戴ちょうだい? 私はここで待ってるから」


 そう言って靴を脱ぎ、きちんと揃えてから、ベージュのカーテンの裏に消えていく。

 いくつか聞きたいこともあったが、試着室に入られては声のかけようがない。カーテン越しに質問するなんてそんないかにも彼氏っぽい立ち回りは、チキンな僕には到底無理だ。


 一人取り残され、仕方なくレディースのコーナーに移動する。

 当然、僕はレディースの服なんて選んだことがないからよく分からないんだけど。


 でも多分、綾乃部長なら大抵の服は着こなしてしまうだろう。

 小柄で華奢きゃしゃなため可愛らしい服が似合うのは言わずもがな、その(見た目だけは)りんとした立ち振る舞いから、マニッシュなコーデだって抜群に似合うはずだ。


 サイズだけは見方が分からなかったためスマホで見方を検索して、何着か見繕う。


 そうして試着室の前に帰ってきて、「選びましたよ」とだけ声をかけ、出てくるのを待つ。

 するとすぐ、綾乃部長は内側からカーテンを開けて顔を覗かせ、僕の方を見てきた。僕が選んでいる間に一通り試着は終わったのか、服装は元に戻っている。


 部長は腕を伸ばして僕から服を受け取ると、こてんと首を傾げて目を丸くした。


「あら意外。ちゃんとした服を持ってきてくれたのね」


「僕はそこまで詳しくないですけど、ここの店のはどれもブランドものみたいですし、ちゃんとしてない服はあんまりないんじゃないですか?」


「そうじゃなくて。一樹君のことだから、何も手に持たずに来て、「僕、着てないのが好みなんですよね」なんて言うんじゃないかと思ってたから」


「…………」


 とてつもない風評被害だった。


 実際、すぐ隣を通りかかった女性店員さんが汚物を見るような目で僕のことを見ていた。

 違うんです、とすぐさま弁解したいところだけど、視線を向けたら目を逸らされてしまった。完全に誤解されている。今日は悪い意味で視線を集めまくってる気がした。


 なんて考えているうちに綾乃部長は試着室にこもっていて、やがて出てきた。


 僕が選んだ服は、ホワイトのカットソーにごく薄手の生地でできたアイボリーのカーディガン。下はブラックのハイウエストのタックワイドスラックスという大人っぽいコーデ。


 かつては年上好きだった僕の好みに帰結する全身コーデだ。

 ちなみに年上好きという好みは、部長を好きになった瞬間に消えた。


 本当は可愛いのも着せてみたかったけれど、こっちはこっちで抜群に似合っている。


 というか僕が適当に見繕ってきただけのコーデなのに、まるでアパレルショップの店員さんがマネキンに着せたコーデばりに着こなしているのは、やはり素材の良さだろう。


 腕が短めの綾乃部長は手が袖に隠れて、いわゆる萌え袖というやつになっている。

 追加で伊達メガネとかかけてもらっても更に可愛いかもしれない。


 僕がそんな風に考えていると、綾乃部長はくるりとその場で一回転してみせた。


「それで、服装に関しての感想はないのかしら?」


語彙力ごいりょくを失うくらいには可愛いです」


 そのままフィギュア化とかしたら即完売するんじゃなかろうか。


 まあ、そうなったら他の人に買われる前に僕が貯金を崩して買い占めるんだけど。


「その割に視線がうろうろしているようだけれど」


「……そうですか?」


 そもそもの話、僕は綾乃部長を長時間見続けられたことがないのだ。

 文藝部ぶんげいぶ部員らしく比喩表現を使わせて頂くと、太陽のように眩しくて直視できない。


「欲望のおもむくままに、もっと舐め尽くすように見てくれてもいいのよ?」


「そう言われてからじっくり見ると僕がケダモノみたいですけどね」


 綾乃部長は試着室の足場ぎりぎりまでこっちに寄ってきて、手招きをする。

 僕がそれに従って近づくと、部長はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「……そんな一樹君にいいことを教えてあげる。私、今──着けてないのよ?」


 耳元まで顔を寄せてきて、ささやくようにそう告げる。


 綾乃部長の髪からとてつもなくいい匂いがするのは、きっと僕の気のせいじゃない。


 慌てて一歩退いた僕の視線は必然(かどうかは分からないが)、部長の胸元に吸い寄せられる。元々そこまで大きくないし重ね着をしているからか、全く違いが分からない。


「──嘘よ。そんなにまじまじ見ないで」


 胸元を両腕で抱きしめるように隠し、じとっとした侮蔑の視線で僕を見てくる綾乃部長。


「……すみません。つい」


 流石にまずかったと反省した僕は謝罪と共にぺこりと頭を下げる。


 いくら部長にそそのかされたとはいえ、女の子の胸をじっと見るのは紳士としてアウトだ。

 部長はそれから自分のお腹に手を当て、優しくさすりながら言ってきた。


「養育費三〇〇〇万を支払ってくれるなら、それでもいいけれど」


「それ子供が大卒するまでに必要な金額ですよね⁉ 視線で妊娠したりしませんから!」


「いくら一樹君でも、親権は譲れないから」


「しかもその状況でまさか結婚してない……⁉」


 一方的に妊娠させておいてなんて奴だ。いや、僕なのか。


「あら、一樹君は私と結婚したいの?」


「結婚……いえ、そこまではまだ考えられていないというか。確かに願望で言えばあるかもしれませんが、結婚資金がまず足りませんし、結婚後のこともあります。仕事やお互いの家族との付き合いもありますし、子供は欲しいかの話し合いも必要です。式は僕は挙げる派ですが、最近はそうでないご家庭も多いと聞きます。お互いに譲れないことについても──」


「まさか、結婚に関する人生設計を語られるとは思わなかったわね」


 部長の冷たい声ではっと我に返る。

 願望がだだ洩れてしまった。まあ部長は冗談だと思っているだろうけど。


 ふと試着室の足元に置かれてあるスマホを拾い上げ、部長が呟く。


「もうこんな時間。もたもたしてると映画が始まっちゃうわね」


 僕もスマホを腰ポケットから取り出して時刻を確認し、再度スマホをポケットに落とし込む。


「そしたら、着替えたら行きましょうか。ちょっと余裕持つくらいがいいですからね」


「あ、一樹君。もし良かったら、こっちの服は返しておいてくれる?」


 そう言って手渡されたのは、一つ前に部長が試着していたのであろう服だ。


「……ああ。買っていかないんですね」


 淡いピンクを基調とした服の数々。こっちを着た可愛い系の部長も見ておきたかった。


「ええ。そっちよりも気に入ったの。今着てる服、買うことにしたから」


「え」と僕が呟いたのと同時にカーテンが閉められる。


 僕が選んだ服はどちらかというと僕の好み全開だ。部屋の様子だったりを見るに部長の趣味からはちょっと離れている気がするのだが、気に入って貰えたらしい。


 僕としてはお眼鏡にかなうものが選べて鼻が高いけれど、本当にそれでいいのだろうか。


 綾乃部長は変なところで優しいことも僕は知っている。僕が選んだ服を買わないと僕が傷つくことまで考えて、購入を決めてくれた可能性も考えられる。


 じっとその場で考えていると。気配を感じたらしい綾乃部長が声をかけてきた。


「覗くつもりなら今がいいわ、ちょうど今、下を着替えてるところだから」


「ありがとうございま──いえ、紳士としてそういうわけには」


 断じてそんなつもりなわけがない。綾乃部長が嫌がる真似をするわけにはいかないからだ。

 綾乃部長はカーテンの向こうで、はぁ、と僕に聞こえるように溜め息を吐いた。


「欲望にどうにかあらがったのは褒めてあげる。でも、服は返してこないの?」


「いえ、行ってきます」


 意識するとごそごそと衣擦きぬずれの音が聞こえてきて、僕は慌ててその場を離れる。

 そうして服を掛かっていたであろう場所に戻し、試着室から出てきた部長が服を買って、それから僕たちは並んで映画館のある四階へと向かった。



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