女体化して最弱になった不良少年を人間扱いしてくれた、たった一人のトモダチ

温泉いるか

第一章

第1話 性別変更手術

性別変更手術。


それは文字通り、人間の性別を変えてしまう手術。


その技術は人々が理想の自分を手に入れるために進歩し、今や性転換者たちは当たり前に社会に浸透している。


この社会で、男は理想の女になれるようになったし、女は理想の男になれるようになった。


だけど科学の進歩ってのは良いことばっかじゃなくて、この社会ではもう、外見で人の性別を見分けることができなくなってしまった。


隣に座っている髪の長い人が男なのか女なのかも、俺にはもう、わからない。この技術はきっと、性別という概念そのものを捻じ曲げてしまったのだ。


憧れの男性俳優の中身は学生時代にこじらせていた腐女子かもしれないし、職場でタイトスカートを履きこなす同僚のOLも内面では男の性欲を滾らせ、獣を秘めているかもしれない。


君の初恋のあの娘ももしかすると、青臭い少年時代を過ごしていたかも。


それらの秘密を知ろうとするのは、タブー。人の秘密は不可侵領域。


人々は皆社会の中でお互いの”本当の性別”について疑いあって、その疑念を口には出せずに靄を抱え込みながら生きている。


そしてこれは、そんな世界の因果に巻き込まれてしまった、きっとまともには生きていけない"俺"の話。






クリニックの待合室で、手首をつねりながらじっと俯き、彼は考えていた。恐怖をまぎらわそうとするたびに断片的な情報のカケラが脳内にいくつも浮かびあがっては、すぐに消えていった。


俺は騙されたんだ。俺は騙されたんだ。俺は騙されたんだ。


まともな思考ができない、病的な脳内だった。楽しいことを考えようとしてもすぐに嫌なことを思い出して、吐き気に襲われる。


心臓が手首で激しく脈を打ち、身体が小刻みに震えていた。


自分の名前は、いつ呼ばれてしまうのか。


静かな待合室で、表情だけは男らしく、怖くないふりをしようと虚勢を張っていたが、根源的な恐怖は隠しきれずにびくびくと座っていた。


『柚月さん』耳がきんと鳴る。


『柚月さん、来てください』


ついに呼ばれてしまったのは、自分の名前。


室内に響いたアナウンスの音を鼓膜で反芻すると、腹いっぱいに痛みが広がる。そして背筋を180度に伸ばしながら、彼はぎこちなく立ち上がった。


彼の名前は柚月ゆづき弥隼みはや。今から、女になるための手術をする、だ。


手術室にはつんとする薬の匂いが染みたベッドと、頭上にはAIで制御された自動手術用の機械が吊り下がっている。弥隼みはやは水浅葱の手術着に着替えさせられると、手首に全身麻酔用の管を注入された。


この部屋にいる医者も、冷たく光る金属製の器具もすべて、俺を女に変えてしまうために用意されたもの。そう思うと胸の奥がまた軋んだ。


実はこの手術は、弥隼が望んで選択したものではないのだ。




「それでは、施術を開始します」


冷酷に響く医師の声で、弥隼は現実に引き戻された。


静脈に繋がった管から、麻酔が注入されていく。


がんばって強がってたけど、ほんとはずっと手術がこわかった。


手術をすると、弥隼の体は完全に女性としての機能を持たされてしまうのだ。


股間のアレを切り取られちゃうだけじゃなくて、骨格や声帯を削られて、完全に女性らしい姿に変えられてしまうのだ。


まるで、自分が自分じゃなくなってしまうみたいにぜんぶなくなってしまう。男としての体も、力も。……小学校にいた数少ない友達にも、もう合わせる顔がない。


それに、もし手術が失敗して、おなかがズタズタになったら?


仮に手術が成功したとして、学校に戻ったら一体どんな目で見られるのだろう?


こわいよ……こわい……


おれ、なにもわるくないのに。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。


その心の叫びはすべて手遅れで、手首に繋がった管から麻酔が注入されていく。この終わりのない沈んだ想像が、麻酔によってかき消されていく。吸い込まれるような眠気に包まれながら、弥隼の意識は海の底に沈んでいった。



数時間後、麻酔で遮断されていた意識が徐々に浮かび上がると、弥隼が最初に感じたのは下腹部に広がる鈍痛だった。


「……ん、んぅ?」


ベッドの上でもがくように体をくねらせながら、徐々に意識を取り戻していく。そして、部屋に充満するドクダミのような匂いと手首に繋がれたままの点滴の管を確認して、段々と“現実”を思い出してゆく。


ここは病院、俺は……手術を受けたんだ。その事実を思い出すと同時に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


(……そうだ。ちんちんは……!?)


現実を少しずつ受け入れてきた弥隼は、覚悟を決めながら患者着の股間に手を伸ばした。


……ない。そこに触れるべき感触が、ない。


あるべきものが存在しないことを知らせる指の腹が、下着の向こう側の”行き止まり”にぴたりと触れる。その瞬間、感じたことのないぞわっとした寒気が指先から全身に広がった。


「あ……あ……」


わかってはいたけど、まさかほんとうになくなってしまうなんて。


(このお腹の中も……もう、俺、子供を産めるようになっちゃったのか……?)


深いため息をついた瞬間耳に届いたのは、甲高くて、やわらかい声色。それを聞くと、またひとつ切なくなる。


(そうか……声まで……)


弥隼は自分の身体の変化を嫌というほど体感して、頭の中がぐちゃぐちゃになったように錯乱していた。

俺の声も、身体も、股間も、もう俺じゃなくなっちゃったんだ。

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