【53】光の拳
アルトルトの突き出した小さな左手、そこに岩石のようなムッカの拳が炸裂する。あがる悲鳴はアルトルトの身体が吹き飛ばされる様をみんな思い描いたからだ。
だが。
その瞬間小さな勇者の小さな手の平はまばゆい輝きを放つ。そして、ムッカの拳をがっちりと受けとめていた。
掌底で受けとめた左手だけではない。もう片方の握りしめた、これも小さな拳も小さな太陽のごとく輝いていた。
その光が少年の頭上にあるムッカの割れたあごにめり込んだ。大岩のような男の身体が宙に跳ぶ。
それを人々は歓声もなくぽかんと口を開けて眺めた。小さな王子があんな大男を。コロシアムのチャンピオンを頭上高くぶん殴り跳ばすなんて。
宙高く跳んだ巨体は、今度はそのまま前庭の芝生にめり込むほどドスンと音を立てて転がった。大の字のままピクリともしないムッカを確認して、アルトルトは振り返った。
「大丈夫かな? 怪我はない?」
笑顔で少女に手を差し出し立ち上がらせる。その姿に呆然としていた人々からようやく、歓喜の声が上がる。
「王太子様万歳!」
「さすが我らが勇者!」
平民席からは盛んにそんな声が、貴族席からもまた優雅な拍手が送られる。
その拍手を立ったまま、小刻みに身体を震わせて聞く女性がいた。
王妃ザビアだ。
彼女はアルトルトが少女を庇った瞬間に、扇を投げ捨てるようにして思わず立ち上がったのだ。
その顔に歓喜の表情さえ浮かべて。
当然、邪魔な王太子が大男に引き裂かれる。その未来を期待してだ。
それなのに突っ立ったままの自分を取り囲むようにあがる歓喜の声、声、声。
「気分が悪くなりました。わたくしは部屋で休みます」
ザビアは言い捨て、観客席をあとにしようとする。
「カイラル、行きますよ!」
そう声をかけるが。
「いえ、私はここに残ります」
「カイラル!?」
「母上に代わり、兄上の勇姿を見届けます」
「っ……」
こんな公の場で笑顔で言われては、ザビアとて強く言えない。「好きにしなさい!」と言い捨てて、ドレスの裳裾を翻して去って行く。
「よ、よいのか?」とオロオロするパレンス王に対し、カイラルは「大丈夫ですよ、父上」と返し、隣のデュロワと顔を見合わせて微笑みあった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
次の対戦までの天幕での休憩時間は、王宮の者は誰も来なかった。
ゼバスティアはアルトルトのために、冷たいレモン水を用意した。それを麦わらのストローで呑むアルトルトの両手を丹念に診る。
「痛みはありませんか?」
「大げさだな、ゼバスは。ちゃんと結界を張ったのは見ていたのだろう?」
「ええ、見事な光の結界にございました」
そうアルトルトは受けとめた手の平にも、拳にも勇者の光の魔力をまとったのだ。それであの大男を空高く吹き飛ばしたのだ。
本来、天幕の中にいた執事ゼバスに、その様子が見える訳はない。
だが、アルトルトの小さなお手々に傷一つないか、確認するのに夢中なゼバスティアは“うっかり”受け答えをしてしまった。
それにアルトルトが薄く微笑みを浮かべていることにも気付かずに。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
次の対戦は剣技であった。
国一番の使い手と言われる、宮廷騎士団長ジョエルが相手であった。
「その勝負待った!」
いきなり声をかけたのはデュロワだった。彼は高く作られている貴賓席から、ひらりと緑の芝生へと降り立つと、すたすたとアルトルトと向かいあうジョエルの元へと近寄る。
「国一番の剣士というならば、この前勇者たる私だろう?」
デュロワの朗々と響く声に、平民の観客席が沸き立つ。「確かに前勇者様が一番に違いない」とも。
「かつては大公閣下が、国一番の使い手であられたのでしょう。しかし、今はその機械仕掛けのお腕でどこまで戦えますかな?」
嫌みったらしく告げたジョエルに、デュロワは顔色一つ変えなかった。むしろ、不敵な笑みを浮かべ。
「なら先に貴殿と私が真剣勝負するか?」
そう返せば久しぶりに前勇者の剣技が見られると、貴族席からも歓声が沸いた。先代勇者として、その豪胆な剣技で名を馳せたデュロワだ。
「私の対戦相手は王太子殿下です。たとえ大公閣下と言えども……」
観客の歓声に険しい皺を寄せたジョエルが食ってかかるのに、デュロワは声をひそめてささやく。
「たしかにその毒を塗った剣で私を殺しても無駄だろうな。お前が狙っているのは王太子殿下の命だ」
「な、なにを」
明らかに動揺するジョエルに、デュロワは観客に向かい声を張り上げる。
「皆の声に応え、騎士団長殿が私に殿下との対戦を譲ってくださるそうだ」
観客はそれに大歓声を上げる。ジョエルが慌てて「勝手なことを……」と言いかけるが、その深緑の眼光に見据えられて押し黙る。
「騎士の誇りもない穢れた剣など、殿下の御身に欠片も触れさせはしない。去れ」
ジョエルは屈辱の怒りに顔を真っ赤に染めながら、その場を蹴るように逃げていった。
デュロワがくるりと振り返る。アルトルトがわくわくしたような顔で、大叔父を見上げていた。
「さて、王太子殿下、このデュロワのお相手をして頂けますかな?」
「うん、大叔父上との手合わせは楽しいから、うれしい」
アルトルトはニッコリと笑った。
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