【38】月星花の宝物
勇者五歳のお誕生日会は、いつものごちそうと、そして。
「お菓子の城!?」
アルトルトが青空の目を見開く。
玉座の間での食事のあと、大広間へと移動したのはこのためだ。
そこには広間一杯のお菓子の城がそびえ立っていた。ビスケットの壁にチョコレートの尖塔がいくつもそびえ立つ。
城だけでなく、その周囲には広大な庭が再現されていた。薔薇色マカロンに色とりどりのギモーヴ、飴細工で再現された糸杉や、温室のオレンジの木々に迷路。砂糖細工の神殿のようなガゼボに、水色ゼリーが流しこまれた池には、白鳥の形をしたシュークリームが浮かぶ。
「全部食べていいぞ!」
「食べきれない」
「あとは土産に持たせてやるから、ぞんぶんに食え!」
「うん」
アルトルトはマカロンにギモーウ、白鳥のシュークリームを食べた。自分の背より高いお城のチョコレートの尖塔は「ほれ」とゼバスティアが持ち上げてやって、ぽっきりと折った。
あとの残りはカゴ一杯に、クッキーにキャンデー、砂糖菓子を詰め込んでやった。そのカゴを手に「また来年来る!」という、アルトルトの襟首を「待て」とつかんで。
「そんな菓子だけの土産を持たせて返したら、この大魔王がケチだと、人間共にあざ笑われてしまうだろう」
「来い」と案内したのは武器庫。壁にはびっしりと剣や槍がかけられ、両側に甲冑がずらりと並ぶ。
「ガラクタだ。いくらでも持っていくがよい」
ガラクタどころか、至高の名品ばかりなのだが、ゼバスティアはそう言い放つ。
「わかった。これがいい」
アルトルトは真っ直ぐになんの変哲もない木の弓を選んだ。
森の猟師が使いそうなそれが、伝説のエルフの英傑ニームファの聖弓とは誰も思うまい。
『なに? あんな納屋の裏に転がってそうなオモチャ』
鼻で笑って馬鹿にした継母王妃ザビアが、アルトルトが見事的の真ん中をぶち抜き、目を剥いたのは後の話だ。
六歳の誕生日会は、城の中ではなく、外へ。ゼバスティアは黒の飛竜に乗り、アルトルトは一角獣のリコルヌで。リコルヌは身体が大きくなり、翼を出して空も飛べるようになっていた。
案内したのはドワーフ達の採掘現場でも、切り立った崖に囲まれた溶岩湖でもない。
魔界でも美しい場所があることを思い出したのだ。
その美しさゆえに、魔族の争いで荒らされないようにゼバスティアが結界をかけた場所。
月夜星の谷。毒沼が点在する……といったら魔界だが、そこに咲くスイレンの花は淡い月色。そしてふわりふわりと、星のような光の粒をまき散らす。
地上に広がる星空のような光景に、アルトルトは歓喜の声をあげて、連れてきてよかった……とゼバスティアは微笑んだ。
そこで指ぱっちん一つで豪奢な絨毯に既にごちそうが一杯乗ったテーブル。椅子を出した。日よけの天幕も完備の完璧なものだ。
そこで風景を楽しみながら食事となった。大公邸に来てからアルトルトの楽しみとなった、遠乗りから考え出したもの。魔界風、魔王様の豪奢なピクニックだ。
ごちそうにデザートを楽しんだあとは、散策を楽しんだ。谷間にどこまでも続くハスの花は、まるで星の海のようだ。このために道を整え、木造の瀟洒な橋に、飛び石と設けてよかったとゼバスティは思う。
たまには自分一人でも息抜きに散策に来るか……と考えて、ゼバスティアは口の片端をつり上げる。
休息など、完璧な魔王である自分には必要ないものだ。睡眠さえこの身体には本来いらない。良い子のアルトルトがすやすや寝ているあいだに、魔王としての執務を片付けているのだから。
それが息抜き……なんて思うなど。
そこで不意にアルトルトの身体が横から消えた。いや、彼が木造の道の脇にかがみ込んだのを見て、目をむいた。
「なっ!? 馬鹿者!」
花は綺麗だが、沼には毒があるぞと警告していた。なのにアルトルトはいきなり沼に手を入れて、白い花を引き抜いたのだ。
「なにを考えている!?」
アルトルトの手はたちまち、酷い火傷を負った。ゼバスティアはそこに手を添えて、短い呪文を唱えればたちまちその傷は治る。
「ありがとう」
「まったく、毒の沼だと言っただろう……っ!」
綺麗に傷が治ったことを確かめるために、ゼバスティアはその長身を屈めていた。そこにアルトルトの花を持つ手が伸びて、自分の髪に触れた。尖った耳と銀の角の間に、するりと差し込まれたのはスイレンの花の茎。
「やっぱり、魔王の不思議な紫の輝きを放つ黒髪には、この淡い月と星の色のスイレンが似合うな」
「この最強の大魔王の髪に花など……」
そう言いながら、ゼバスティアは己の白い頬に熱があがるのを感じた。愛い者から花を贈られて嬉しくないものなどいるだろうか?
「だいたい、花など一晩もたてばすぐに萎れてしまうぞ」
「そうだな。綺麗に咲いていたのに、花には可哀想なことをしたかもしれない」
それでも魔王として正反対の言葉を吐くのは止められない。しょんぼりとしたアルトルトに胸がチクチクと痛む。
ゼバスティアは、己の髪を飾るスイレンに手をあてて呪文を唱える。花は薄いクリスタルのような玉に包まれて、ふわりと宙に浮く。
「ほら、壊れぬ結界で包んでやったから、これで花は枯れぬ。こらっ! なぜ、また沼に手を突っ込もうとする!」
「もう一輪」
「欲張りめ!」
しゃがみ込んで沼に伸びる、アルトルトの手を後ろから引く。同時に、指をぱちりと鳴らし、沼に咲く一輪をふわりと浮かせる。
「ほら、これでいいだろう」
己の白い手の両方に玉に包まれたスイレンの花を載せて、アルトルトに差し出す。するとアルトルトは、ゼバスティアの髪に飾った花の玉だけを取った。
「僕はこちらをもらう。魔王はこちらを取って置いてくれ」
「我がこれを?」
「そうだ。来年こそ、お前を倒す。その約束の証だ」
「なるほど、楽しみに待っていよう」
白い手の平の上で玉を転がしながら、ゼバスティアは唇の片端を皮肉につり上げた。
その後、書斎の机に大切に花の玉を飾り、それを見て微笑む、大魔王様の姿が見られた。
また、執事ゼバスも毎朝アルトルトに目覚めの紅茶を寝台に運ぶ度、その傍らの引き出しつきのチェストのうえに、淡く光るスイレンの玉があるのに、軽く口許に笑みを浮かべる、日々だった。
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