【33】主人の立場、執事の役目
「ゼバス?」
「あの離宮ではこのゼバス以外の使用人はおらず、つい、トルト様のお手をお借りしてしまいました。本来ならば全て、このゼバスがやるべき役目。トルト様がなさるべきことは、勉学や元気にお身体を動かすことのみ。いままでお手を煩わせて、申し訳ありませんでした」
シーツの片方を握りしめたままの小さな手を、そっとそこから外させる。持って行きどころのなくなった両手を、アルトルトはぎゅっと握りしめる。
「ううん、僕がやりたくてやっていたことだ。ゼバスは悪くない!」
ぶんぶん首を振るアルトルトにゼバスティアンもまた静かに首を振る。
「いいえ、いかにそれがトルト様のご希望であっても、使用人の仕事を主人たるトルト様にさせるべきではなかったのです」
それが主人と使用人のけじめだと、執事ゼバスとして、ゼバスティアンは己の言葉を己の胸に刻みつける。
「……そうか。みな、それぞれの役目があるのだな」
アルトルトもまた納得したようにうなずく。そして、若いメイドを見る。
「お前の仕事をとろうとした。すまない」
「いいえ、もったいないお言葉にございます!」
娘は青ざめた表情から一転笑顔となって、ぺこりと頭を下げる。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
その夜。ゼバスティアは執事ラウルの部屋へと呼び出された。この屋敷の執事である彼の部屋は、一階は酒蔵へと続く地下への階段の横にある。
大公家代々の執事に受け継がれているだろう部屋は、階上の主人達の部屋のように飾り気はないが、過ぎた年月が重厚さを感じさせるものだった。使い込まれた机に、書棚にベッド。
「殿下をお立てになりながら、使用人にはそれぞれ役割があることを理解させられた。それはお見事でした」
「いえ、元はといえば私の失態にございます、ラウル殿に言われるまで気付かなかったとは、お恥ずかしい」
ラウルが腰掛けた小卓と向かい合わせの椅子を勧められたが、ゼバスティアは首を振り、立ったまま彼に謝罪した。
大魔王である自分が人間の老人に謝罪するなど。
しかし、執事ゼバスとしては、彼はこの屋敷をとりまとめる先達の執事だ。彼から見れば自分など、まだ執事とも言えない駆け出しの
「ゼバス殿」
呼びかけられてゼバスは
「あなたは王太子殿下の執事、私は大公閣下の執事。同じ立場としてこれからもお付き合いいただきたい」
そうラウルは続けて、反対側の椅子に向かい手をあげて「どうぞ、お楽に」と勧める。今度はゼバスティアは素直に腰掛けた。
「あなたは王太子殿下のたった一人の執事であったと、旦那様からお聞きしました」
旦那様とは当然、この屋敷の主人であるデュロワだ。
「そう、文字通りの一人であったと。お仕えするのもまた、たったお一人の主とはいえ、全てのお世話、掃除に料理からなにからなにまですることは、大変でしたでしょう」
「いえ、さほどのことではございませんでした」
本当に魔王ゼバスティアにとっては大変なことではなかったのだ。一人の人間にとっては大したことでも。
「しかし、そのせいでトルト様のお手を煩わせていたことに、気付きませんでした。執事としてとんだ失態です」
魔王として
いくらねだられても食卓を共にせず、横で立ったまま食事を取った。アルトルトは王子であり、いずれは王となる身。今は仕えるのが執事一人であっても、いずれは大勢の臣下に頭を垂れられ、大勢の使用人に傅かれる身であると。
しかし、その横で食事を取ることさえも、甘かった……と歯がみする。使用人が主人に食事する姿を見せるなど。
まして、毎日アルトルトに“お手伝い”をしてもらうとは、子供の執事ごっこあそびか? と、今さらながら己の執事としての不出来さに苦笑する。
「あなたは不出来とおっしゃるが、アルトルト殿下にとっては、あなたは最高の執事であることはわかります。殿下のあなたに全幅の信頼を寄せているお姿を見れば」
「もったいないお言葉にございます」
うれしい言葉だ。よそからもそう見えているならば……と考えて、ゼバスティアはまた初めての言い知れない感情におそわれた。
この自分が他者の目など気にして、そこからアルトルトに信頼されていると、それが嬉しいなどと。
まったく、この大魔王がずいぶんと人間共の世俗にまみれたものだと。
「殿下にとっては、あなたは家族のようなものなのでしょうな」
「それは……」
ゼバスティアは戸惑う。
アルトルトにも大公邸にやってきた、その日に言われた。
『ゼバスも僕の家族だ』
正直、天に昇るほど嬉しかったが、しかし、あくまで執事の自分は、それに答えることは出来なかった。
同時にアルトルト以外の他者に言われて、改めて思う。
家族とはなんなのだろう? と。
暗黒の大樹の木の股から“出現”した自分には、もちろん親や兄弟もいない。
完璧な美貌に完璧な体躯。知力に魔力、さらには生まれながらの大魔王。そんな自分に惹かれて、言い寄ってきた魔族は数知れず。妖艶な美女どころか男まで、果ては性別不明? までいたか。
しかし、全てが自分より格下と思っているゼバスティアはついぞ触手は動かなかった。恋人どころか、一夜の情人なんてものもいなかった。
当然、妻や子も持ったことがない。
『え? 大魔王様、まさか、どうて……』
などと言いかけた、玉座に侍る
はて、あのときは十日ほどかかって、そのコウモリ羽で飛んで、城に戻ってきたか。
「使用人はもちろん、主の家族ではない」
老執事ラウルの言葉に、ゼバスティアは思考の海から浮上する。それに「はい」とうなずく。
「主に心からお仕えすれば、その距離も近く親しくもなりましょう。私も夜中にこっそりと旦那のご相伴にあずかり、冗談を言い合い笑うこともあるものです」
ご相伴とは大公の酒の相手だろう。「メイド達には内緒ですぞ」とラウルは茶目っ気たっぷりに片目をつぶり。
「ですが、その旦那様の好意をけして誤解してはなりません。本当の家族になれるなど、我ら使用人にはおこがましいこと」
ラウルの口調は穏やかであるが、その言葉は重い。
「我らはあくまで使用人。お屋敷を回し、旦那様方の生活を快適にする、その歯車の一つにすぎません。メイド達はお屋敷を整え、料理人は美味しい料理を作る。我ら執事は仕える旦那様方がご不自由ないように配慮する」
「はい、肝に命じます」
執事ゼバスとして、先達の言葉を深く胸に刻みこんだ。
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