【32】大公邸でのはじまりの日




 時はいささか遡る。

 大公邸に到着して翌日、アルトルトの朝は穏やかに始まった。

 アルトルトの目覚める時間に、彼の好みのミルクティを用意し、手水に身支度を調える。世話する執事ゼバスとアルトルトの風景は変わりなかった。

 ただ、朝食の席は隣の彼の居室ではなく、三階から降りた二階の食堂。そこにはデュロワが先に待っていた。


「おはようございます、大叔父上」

「おはようございます、殿下。よく寝られましたかな?」

「はい、ぐっすり」


 アルトルトは笑顔で答え、ゼバスティアが引いた椅子に腰掛ける。そして湯気の立つ料理を前に、怪訝な顔をする。


「どうかいたしましたかな? 殿下」


 それに気付いたデュロワが声をかける。

 三日月の形のオムレツに、カリカリに焼いたベーコン、オーブンでグリルされたトマトに芋。タマネギのスープに、チシャのサラダ。絞りたてのミルクに、こちらも絞りたてのオレンジのジュース。それに焼き立てのパンの数々。

 いずれも大公邸の厨房で用意された美味しそうな料理だ。もちろん毒入りなどではない。

 これが本来のまともな朝食であるとセバスティアも思う。


「いえ、ゼバスの料理ではないのですね」


 どこか残念そうにアルトルトがぽつりとつぶやく。それにゼバスティアは思わず歓喜した。

 我の我の料理がいいのか? 我の? 

 とは口に出して言わない。今の自分はあくまで執事ゼバス。

 ここはあの魔宮。いや、王宮ではない。オートミールの小さなボール一つの朝食。しかも毒入りが毎日届けられることはもうない。

 だから、執事ゼバスがてづから料理を作る必要はない。

 それは大公家の料理人の仕事だ。


「殿下の執事以外のお料理はお口に出来ませんか?」


 デュロワがなにかを探るようにアルトルトの顔を見つめながら告げる。たしかに毎日毒を盛られていた後遺症として信頼出来る者の作った、つまりは執事ゼバスの料理しか口に出来ないのだろうか? と思ったのだろう。

 しかし、デュロワはすぐになにかを思いだしたように。


「殿下は夜会にてお菓子は口にされておりましたな」


 そう、あの意地悪王妃ザビアが、彼に普段着のまま来させて、大勢の廷臣達の前で恥をかかせようとした夜会にて。

 そこでデュロワが勧める菓子を、アルトルトは美味しそうに口にしていた。執事ゼバスが作った以外の料理を『おいし~』と笑顔で。


「うん、あの夜会の菓子も美味しかった。この朝食もおいしそうだ」


 アルトルトは銀のナイフとフォークを手にとり、さっそく湯気の立つオムレツを切り分け、口にすると「うん、おいし~」と目を細める。

 そう、毎日毒は盛られていたし(ゼバスティアが瞬時に燃やして、自分が作った料理に変えていたが)、継母王妃ザビアに直接毒入りリンゴパイも届けられもした。しかし、その継母に向かい「母上と一緒に美味しいパイを食べたいのです」とにっこり笑った度胸の勇者アルトルトだ。

 いちいち、全ての食べ物に毒が入っているか? とびくびく怯えるような、小心ではない。


「だけど、ゼバスの白いソースのかかったオムレツと、ふわふわのパンケーキもまた食べたいな」


 アルトルトが背後に控えるゼバスを振り返る。それにゼバスは胸に手をあてて一礼した。


「それはそれは、殿下のお勧めならば、この俺も食べたいですな」


 デュロワがそう笑い、和やかな朝食の時間は過ぎた。




 が。




 朝食から戻ったアルトルトに居室で茶を煎れて、ゼバスが隣の寝室を整えようとした。

 いつものようにアルトルトが『手伝う』とやってきて、彼らはシーツの片方ずつを手にして広げた。

 そこに若いメイドが掃除道具を手に寝室の扉を開ける。ゼバスティアの姿を見て声をあげた。


「それはわたしのお仕事です!」


 しかし、同時にシーツを手に持つアルトルトの姿を見て、大きく目を見開いて青ざめる。


「大きな声をあげてすみません」


 ぺこりと頭を下げる。部屋の掃除係の下っ端メイドからすれば、仕える主人の前で声をあげるなど無礼なことだ。エプロンの前で揃えた彼女の手は、小刻みに震えてさえいた。

 アルトルトはそんな彼女をきょとりとして見て訊ねた。


「これはお前の仕事なのか?」

「は、はい。勇者殿下様のお部屋のお掃除はわたしのお役目です」


 勇者殿下様とは妙な言い方だと、ゼバスティアはくすりと笑う。近隣の村から雇われた下働きのメイド娘だ。がんばって丁寧な言い方をしようとして、逆に変になっている。


「みんなでやりたいって……今朝藁クジを引いて決めたんですけど……も、申し訳ありません!」

「謝らなくていい。でも僕の部屋の掃除はいつもゼバスがやってくれていたし、僕もお手伝いしていたんだ」


 ゼバス以外、使用人がいない離宮で二人きり、それがアルトルトの当たり前であったのだ。


「トルト様もああおっしゃられています。ベッドメイクは私に任せて、あなたはあとで……」


 そう、アルトルトがいつものお手伝いをしたあとで、よれよれのシーツを娘に直してもらえばよい……と、ゼバスティアは彼女を言いくるめようとした。

 それで、このメイドも仕事をしたことになると、気転もきかせたつもりだった。


「なりませぬぞ」


 そこに突然声がかかる。メイドがあわてて飛びこんで開いたままのドアから、現れたのは老齢の白髪髭の紳士。


「ラウルさん」


 とメイド娘が名を呼んで、頭をぺこりと下げる。この屋敷の執事であるラウルだ。


「殿下、これはこのメイドの役目。そのメイドの役目を殿下がお取り上げになってはなりません」


 アルトルトを真っ直ぐ見て老執事は口を開く。次に銀縁眼鏡越しに、ゼバスティアをちらりと見る。

 その視線がわからぬゼバスティア、いや、執事ゼバスではない。


「申し訳ありません、トルト様」


 アルトルトの足下にゼバスは片膝をついて頭を垂れた。





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