【30】一番の守護者
毎日無表情に毒入りの食事を届けるあの娘が、異常ではあることにゼバスティアは気付いていた。いや、初日、ひと目見ただけでだ。
かすかに匂う
「ハッシシで心を弱らせて、呪いの邪法で虜とする。裏稼業の魔術師が使う手段です」
裏とは、ギルドに登録していない魔術師を指す。子供の膝の擦り傷を治したり、洗濯物を乾かす程度の生活魔法なら、そこらへんの村人程度でも使える。だが、ネズミ一匹でも殺傷できる攻撃魔法でも扱えるとなると、魔術師ギルドへの登録がいる。
さらに裏とゼバスティアが揶揄したのは、麻薬も併用しなければ、その程度の魔法しか扱えない裏街道の下っ端という意味もあるが。
「……お前は、あの娘の異変に気付いていて、放置していたのか?」
デュロワの眉間の皺と声音には明かな非難の色がある。
ゼバスティアは怪訝に片眉をあげた。どうして咎められているのか、心外だったからだ。
いや、正義の元勇者様の思考は読める。呪いと薬に犯された哀れな娘を、どうしてそのままにしておいた? と。
しかし、ゼバスティアにとってはアルトルトに害さえなければ、あとの人間などどうでもいいことだ。あのメイド娘が毎日毒入りの食事を持って来ようが、燃やせばよいこと。
それでアルトルトの身のみを守っていた気になっていたとは、今は苦い思いはあるが。
これからは彼の柔らかな心も守らねば。
だから。
「私はアルトルト様の執事にございます」
胸に白手袋の手を当てて、うやうやしく執事の礼を取る。ゼバスティア、今は執事セバスの黒髪黒目の痩せぎすの姿。平々凡々な男の顔をデュロワの深緑の瞳がじっと見つめる。
「お前は、私がアルトルト殿下に害をなすと判断すれば、私を殺すか?」
「閣下はトルト様のお味方にございましょう?」
ゼバスティアは目を細め、口の端をつり上げて微笑んだ。当然、その奥の黒い瞳は真に笑ってなどいないが。
この大公は現在、アルトルトの最大の庇護者だ。単なる執事のゼバスでは、合法的に王妃の魔の手が届かない遠くへと、アルトルトを連れ出すことは出来なかった。
魔王ゼバスティアならば、すぐにでもアルトルトを魔界にかっ攫うことも出来る。しかし、それでは北の魔女との契約を破ることになり、今度はゼバスティアがカエルの姿となってしまう。
────まったく、あの魔女め。難儀な契約を持ちかけたものだ。
内心舌打ちしながら、それでも今の自分ならば、契約など無くてもその方法はとらないだろうと、これまた内心で苦笑する。
それでは毎年のお誕生日会! もとい、勇者との対決が出来ないではないか!
きっと毎年アルトルトは成長し、だんだん手強くなっていくだろう。それが魔王ゼバスティアとして愉しんでいるのか、執事ゼバスとして喜んでいるのか、なんとも分からない心境だが。
この自分が自分のことをわからないなど。それさえも、今のゼバスティアにはわくわくするようなことだ。
出現してこの千年あまり。アルトルトに出会ってから、初めて見て感じることばかりだ。
「……まあいい」
デュロワの声に思考から引き戻された。大きな書斎机越しの大公殿は、たった一枚の王宮からの報告書と、自分の間者の手紙をまとめて傍らの文箱に放り込んだ。この話はそれで終わりということだ。
「王宮から報告の書簡と共に“石”が届いた」
「おや、ずいぶんとお早うございますね」
“石”とは歴代勇者のみが持つことが出来る、転移石のことだ。一度行った場所には瞬時に跳ぶことが出る。
大神殿から与えられるべき、この石をアルトルトが持っていないことを、ゼバスティアはデュロワに報告していた。彼はすぐに王宮に問い合わせると答えてくれたが。
「あちら側がもっとごねるかと私も思った。なので問い合わせの書簡にこう添えてやった。『すみやかな返事がないようなら、直接ダーナ大神殿の大神官猊下に問い合わせる』とな」
「なるほど元勇者様のお言葉ならば、猊下も直接動かれるでしょうね」
四大陸、諸島を含めた人界の中心にあるダーナ大神殿。人々の信仰と尊敬を集めるそこの大神官長から叱責を受けるなど、王や国にとっては大変な不名誉だ。
「石は宝物庫に大切に保管されていたそうだ。アルトルト殿下の手に渡らなかったのは、なにかの“手違い”だろうと」
「それはそれは大切にしまいこんでいたのでしょうね」
言い訳にもならない言い訳だ。
だが、現物が届いたならばいいと、デュロワが机に滑らせた石の入った箱。ゼバスティアはちらりと見て、それが本物だと確認した。
さすがに元勇者相手に、偽物は送ってこなかったようだ。
「お前から殿下に渡してやってくれ」
デュロワが、箱をさらにゼバスティアのほうに突き出す。ゼバスティアは
「閣下からトルト様へ直接お渡しにならないのですか?」
「これは“殿下の執事”であるお前の役目だろう」
含みのある言葉だが、遠慮することもない。
「かしこまりました。トルト様にしかとお渡しいたします」
小さな箱を両手で受け取り、胸に手をあて一礼して書斎を出る。
「やれやれ、強力な守護者だ」
そんな常人なら聞こえない小さなつぶやきが、魔王の地獄耳に届いた。
別にとがめはしない。アルトルトの一番の守護者が、この自分だと認めているならばよろしいと、ゼバスティアは口の片端をつり上げたのだった。
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