【29】たった一枚の報告書
こうしてアルトルトの居室は三階の東の日当たりのよい一角と決まった。バス付きの寝室に居間、書斎と揃っている。元々、大公家の歴代の長子が使っていたものだというから、十分なものだ。
ゼバスティアは四階の屋根裏の一人部屋を与えられた。アルトルトがベルを鳴らせば、使用人用階段ですぐに降りていける場所だ。
ゼバスティアはアルトルトの執事ではあるが、この大公の屋敷には老齢の執事がすでにいる。本宅に仕えるならば、ゼバスティアの立場は従僕の一人に過ぎないことになる。
従僕ならば大部屋に放り込まれても文句は言えないから、これは特別待遇といえた。アルトルト唯一の執事に対しての配慮ともいえるが。
「お前は一人部屋のほうがなにかと都合がいいだろう」
と、デュロワに直接言われた。なにごとか含んだ発言ではあったが、尻尾を出すような真似をこの大魔王ゼバスティアがするわけがない。
いや、大魔王様は案外“うっかり”でらっしゃいますから……と、黒梟の宰相に言われたのは忘れたふりをした。
その“うっかり”だって、我の超絶な知恵と魔力と力でなんとかしてきたではないか! と。
それをごり押しというのです……なんて憎まれ口を叩いた、
三日もかけてひいひいいいながら飛んで、魔王城にたどり着いたのは、いい気味だ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
三日後、王宮より大公邸にアルトルトの毒殺未遂事件の報告が転送陣管理所より届いた。人だけでなく、荷物や書簡もこうやって転送施設でやりとりされる。
とはいえ三日とはずいぶんと早い調査だ。まるでこの事件のことなどさっさと片付けて、臭い物には蓋をしたいとばかりだ。
デュロワに呼び出され、ゼバスティアは大公の書斎へと向かった。
「アルトルト殿下の毒殺未遂事件については、公表はしないということだ。『くれぐれも内密に』とパレンス陛下の直筆で書かれてあった。王家の恥であり、臣民にも不安を与えるとな」
「左様にございますか」
大きな机越しデュロワと向かいあい、大公は椅子に腰掛け、ゼバスティアは立ったまま、皮肉に口許の片端をつり上げる。
なにが恥なのか? そのメイドが王妃付きであったことなのか? ザビア王妃が先の王妃の子であるアルトルト王子に毒を盛っていたと噂になれば、たしかに臣民に不安を与えるであろう。
「陛下の直筆の手紙のあとには報告書が入っていた」
デュロワはたった一枚きりの報告書をひらりと机越し、ゼバスティアに突き出す。
「読んでよろしいのですか?」
「かまわない」
「失礼いたします」
白手袋に包まれた両手で、その書類を戴き、さっと素早く目を通す。必殺、どんなぶ厚い書物も一瞬でペラペラと読破する、魔王の速読法……など使わなくても一瞬で確認出来る内容だった。
報告では、アルトルトに毒を盛り、自死したメイド娘は結局、正体不明で片付けられていた。王妃付きのメイドとなった記録もなく、王宮のメイドとしても記録されていない。おそらく無断で潜り込んだ他国の間者であろうと。
証拠も何もないただの推測とは笑ってしまう。これでは報告書ではない。
そんな身元不明の娘が一年にも渡り王宮に潜伏し、毎日王子に毒入りの食事を王妃のメイドと称して食事を届けていたなんて。どれほど王宮の警備はガバガバなのか? と問いたいが。
「こちらでも独自にあのメイドの身元を洗っている」
ゼバスティアが一読して顔を上げたのを見て、デュロワが口を開く。
「“調査途中”の報告が本日同時に、魔法書簡で届いた」
魔法書簡とは転送陣を介さずに、主に鳥などに手紙を変化させて届ける方法だ。ゼバスティアも王都から同じ方法で、この北の領地にいるデュロウにアルトルトの窮状を訴える手紙を届けた。
転送陣施設を介すことなく、どこの誰に手紙を届けたのか国に知られることもない。便利な方法であるが、これは相当高位な高度な魔法だ。そこらへんの魔術師には使えない。
そういう意味では、その高等魔法を使ったゼバスティアが、ただの執事ではないとデュロワには見破られているだろうが、まあいい。
まさか目の前の平凡な執事が、大魔王だとはわかるまい! と胸中ふんぞり返りすぎて海老反りで高笑いするゼバスティアだ。だから、魔王様は案外“うっかり”と黒梟の宰相が(以下略)。
デュロワが魔法書簡で届いた彼の間者の報告書。自分の指に留まらせた小鳥の変化を解いて、手紙に目を通す。
それをゼバスティアは眺める。この隻腕の大公もかなり優秀な魔術師を抱えているらしい。
「あのメイドは没落した騎士の娘だそうだ。父親が不祥事を起こし、その多額の懲罰金のためにジゾール公爵邸に“買われた”と」
「ほう……」
これは意外な……いや順当な名が出てきたか。ジゾール公爵、この国の宰相はザビア王妃の兄だ。
「悪知恵だけは働く女狐と兄だ。もちろん、公爵邸から王妃にメイドとして献上などという、正式な手続きなどとっていない。報告書どおり、あの娘はいつのまにか王宮に潜んでいたということだろう」
「元々正式な手続きを取っていたとしても、その事実ごと消されたということもございます。なにしろ、その報告書の指揮をとったのは、ジゾール公爵にして宰相殿にございましょうから」
ゼバスティアの言葉に、デュロワも「もっともだ」と頷く。王宮を意のままにする王妃とその兄の宰相。やりたい放題だ。
とはいえ、疑問は残る。
「だが、いくら借金でその命ごと買われたとはいえ、普通の娘がためらいもせずに毒を飲み死んだ。それが不気味だな」
デュロワも同じことを考えていたのか、その黒い髭の顎に手をあててうなる。
たしかにただの娘が自分一人がやったことだと王子毒殺という大罪を認め、さらには「王家への恨み」などという言葉を吐いて、毒を呑んで自死するなど。
よほどの覚悟があったのか、それとも……。
「魔法による精神操作でしょうな」
ゼバスティアは告げた。
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