【28】大公領へ

   


 馬車で王都の転送施設に行き、大公領に一瞬で跳ぶ。大公領にある転送施設からはまた替えの馬車に乗り換えて、大公邸へと。

 グリファニア王国の最北に広大な大公領がある。

 冬はまっ白な雪に染められる大地だが、今は短い夏の季節。どこまでも広がる青草の大地と草を食む羊の姿に、アルトルトは「わぁ」と声をあげた。


「草原をみるのは初めてか?」

「はい、こんな広い場所に空をみるのもです!」


 それを聞いてゼバスティアの胸がかすかに痛む。本当にアルトルトはあの離宮と、魔王城の玉座の間しか知らない。

 そこでハッ! と気付く。ならば、来年のお誕生日は魔界ツアーなどどうだろう? 我の漆黒の飛竜でひとっ飛び。

 ドワーフ共の鉱山に工房見学? いやいや、あそこは狭いし暗いし、子供が瞳を輝かせるものはないぞ。魔界の絶景、切り立つ崖と溶岩の湖のほとりに咲くは、幻惑の花粉を振りまく妖花のお花畑……って、これもどうなんだ? 

 あとは魔界一の歓楽街の肌も露わな女共が赤い格子の窓越し、誘う視線を送るって……これはもっといかんいかん! 

 そんなことをゼバスティアがうなって考えているうちに、反対側の席。並んで座ってやっぱりうらやましい(以下略)。アルトルトとデュロワが広い草原を馬で駆けようという話になっていた。


「リコルヌは今も気持ち良さそうです」


 アルトルトは馬車の窓越し、併走してるユニコーンの子馬を見る。銀の角、たてがみを輝かせて駆ける姿は、どの馬より美しい。

 王宮を出るときにゼバスティアが贈った、アルトルトの愛馬の一角獣、リコルヌも当然伴ったのだ。

 アルトルト以外には従わないリコルヌだが、そこは天馬。引き綱など必要もなく、主人の乗る馬車についてきた。転送陣をくぐっても、そのまま馬車の横を子馬でありながら、疲れを見せず駆けている。

 むしろ、狭い王宮の馬場などより、この広い大地を駆け回れることがうれしそうだ。


「ゼバスも一緒に遠駆けに行こう」

「私もですか?」


 アルトルトの嬉しいお誘いであるが、ゼバスティアは戸惑った。今の自分は執事、その立場で主人の遠乗りの共をしてもよいのか? 


「そなた馬は乗れるか?」

「はい、少々」


 デュロワに問われうなずく。少々所ではない。幾多の魔物を踏みつけて、引き裂いてきた凶悪な魔獣とて、魔王の威圧で乗りこなすゼバスティアだ。人界の暴れ馬など屁でもない。


「では、殿下が遠乗りのときには共をしろ、許す」

「ありがたき幸せ」


 大公が許すも許さないも、馬で共出来ぬとも、遠目を飛ばすつもりではあったが。

 それになにかに騎乗することに、ゼバスティアは人のように喜びなど感じたことはなかった。それはただの“乗り物”であったが。

 どれほど広大な大地を飛竜で飛ぼうとも、眼下に広がる魔界は自分の領地。それだけだ。


「ゼバス、楽しみだな」

「はい、トルト様」


 なるほど、愛しい誰かと共にならば、これは楽しいことなのだな……とゼバスティアは思った。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 大公邸。

 当然王宮ほどの規模などないが、それは大公の家格を誇るだけの邸宅ではある。広大な庭に立つ主屋敷に、別宅。大きな馬場に厩舎もあった。

 建物は王宮のような石造りではなく、この地方ならではの木造で、漆黒の太い木々をくみ上げた模様が美しい。重厚ではあるが、威圧感を与えすぎない、趣あるものだった。


「これが我が家です、殿下」

「とても素敵です!」


 アルトルトは瞳を輝かせて、大屋根にとんがり屋根が連なる屋敷を見あげる。「さあ、なかへ」とデュロワにうながされて、屋敷へと入るアルトルト達に、ゼバスティアも続いた。

 中もまた木造だった。玄関ホールへと弓状の形で降りている、大階段。その手すりは金色の光沢を放つ飴色で、毎日よく手入れされ磨かれていることがわかる。壁際に置かれた、同じく飴色の木材とガラス張りの飾り棚。そこに置かれた銀器もまた歳月を感じさせながら、ピカピカに磨かれている。

 古さを感じさせながらも、それが少しも損ないとはなっていない。全てが人が暮らし、手を入れてきたぬくもりを感じさせる家。

 アルトルトの暮らしていた、石造りの王宮の冷たさをゼバスティアは思い出す。そしてあれが冷たいと感じるようになった自分にも軽く驚きもしたが。

 千年、魔王城に“あって”そんなこと考えたこともなかった。魔王の威厳を保つため、己の研ぎ澄まされた美的感覚で選んだ、どれも一品ばかりの城ではある。

 そこに暮らしの温かさだの冷たさだの考えたこともなかった。

 二階へとデュロワに案内されるアルトルト。二人のあとにゼバスティアも従う。

 通されたのはこれもぬくもりを感じさせる居間だ。自然石を生かした石組みの大きな暖炉が、壁面の一角を占めている。いまは火がいれられてないが、短い夏が終わり、秋も半ばとなれば、そこに温かな炎がはじけるだろう。


「一緒がいいです」


 アルトルトの前にはお茶にジャムを挟んだクッキーののった皿。彼は一口かじって「おいしい」と笑顔になる。

 そして、デュロワに訊かれたことに答えた。


「別宅を殿下の御座所として整えなくて、この本宅でよろしいと?」

「はい、大叔父上とこのお屋敷で暮らすのはダメですか? 僕はあの離宮でずっと一人だったので。あ、ゼバスはいましたけど!」


 アルトルトが背後に立つゼバスティアを振り返り、慌てて言う。

 デュロワはアルトルトに大公邸の敷地内にある別宅を用意すると提案したのだ。他国から輿入れした王女である、何代か前の大公夫人のために用意されたという。それは本宅と同じ木造であるが、白壁のいかにも夫人が暮らしていたと思わせる、瀟洒なものだった。

 だが、アルトルトはそれに首をふり、この本宅で暮らしたいと言った。


「大叔父上のお仕事がお忙しくないときは、僕と一緒にテーブルを囲んでくださるとうれしいです」


 この小さな王子は祖母である王太后を弔って以来、ずっと一人で食事をしてきたのだ。

 執事ゼバスにはその代わりはできない。せいぜいがサンドイッチを立ったまま、横で食べる程度だ。

 軽く目を見開いたデュロワがゼバスティアを見るのに、ゼバスティアは軽くうなずく。デュロワはアルトルトに向かい微笑み。


「もちろんです、殿下。昼間の執務は書斎でとりますが、朝と晩餐は共に卓を囲みましょう」

「ありがとう、大叔父上!」

「礼など不要です。こちらの屋敷で殿下がお暮らしになるならば、我らは家族ですからな」

「家族……」

「殿下には失礼でしたかな?」

「ううん、家族、うれしい」


 アルトルトはゼバスティアを振り返り。


「なら、ゼバスも僕の家族だ」

「アルトルト様……それは」


 ゼバスティアは言葉に詰まる。

 たしかに自分とアルトルトは、将来リンゴーンして本当の家族になる予定だ。

 しかし、今の自分は執事ゼバスの身。

 使用人は主人の家族にはなれない。


「わかってる。ゼバスは優秀な執事だから、答えられないことぐらい」

「……トルト様」

「でも、僕は心の中で、ゼバスは一番の家族だと思ってる。それならいいだろう」

「光栄にございます」


 一番の家族。これほど嬉しい言葉はあるだろうか? とゼバスティアの心は、じんわりと温かくなった。

 それはアルトルトのそばにいるようになって、感じるようになった奇妙な感覚だった。





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