【23】守るべきものは
「その毒入りのパイはどうした?」
「処分いたしました」
あんなゴミ、アルトルトが泣き疲れてベッドに運んだあと、怒りのままに消し炭にしてやったゼバスティアだ。
ゼバスティアの言葉にデュロワは眉間に皺を寄せる。言葉にせずとも、大事な証拠を……という顔だ。
「あの場にはアルトルト様と私、それに王妃様とその従者の四人しかおりませんでした」
「……いくらでも、あの女狐ならば言い逃れするか」
「はい」
「たとえ、私がその場に踏み入ったとしても、自分は知らぬ存ぜぬで、押し通しそうだからな。あげく、逆に王妃である自分を陥れようとしているだの言いだしそうだ」
「左様で」
本当にあの王妃をあのパイと同じく指パッチンで消し炭にしてしまえたら、どんなによかったか……とゼバスティアは、胸に手をあて軽く頭を下げながら、歯がみする。
今からでもやっちまうか? と思うが、しかし、平凡な執事を装うための銀のモノクルを、北の魔女からもらったときの“約束”がある。
王妃を人の法で裁くこと。
そのためには魔王の力を使ってはならない。
まったくまどろっこしい方法であるが、それで執事としてアルトルトのそばにいられるならばと承知した。
しかし、アルトルトの涙を見て、ひとときは本気で王妃とその関係者を一瞬で塵一つ無く消し去ってやろうか? と、その指が動きかけた。
それを踏みとどまったのは、“うっかり”あの王妃を魔王の力で踏み潰してしまった場合に発動する、モノクルに仕掛けられた北の魔女の呪い。
カエルになってしまうのだ。
しかも、呪いを解く条件は愛する者の口づけ。
そんなヘマなどする気もないが、万が一、カエルになってしまった場合は、年に一度のアルトルトのお誕生日会を、カエルの姿で出迎えるのか?
魔獣の骨の玉座にちんまりと座るカエルのゼバスティアは、アルトルトに告げる。
「愛する勇者よ、我の呪いを解くために口づけをしておくれ」
いや、それどう考えたって勇者と魔王の対決の場面ではないだろう。たしかそんなおとぎ話なかったか? 呪われた王子様にお姫様が口づける。この場合呪われた魔王に、可愛らしい……もとい凜々しき勇者が口づけるのだけど。……それどんなメルフェン? だ。
さらに、そこでアルトルトに「カエルとのチューなんて、僕、イヤ!」なんて言われたら、我、一生立ち直れない!
あの王妃を“うっかり”踏み潰して、カエルになるのは最後の手段として。
「毎日の食事にも毒を盛られていると?」
「はい。それは遅効性のものですが、じわじわとお身体をむしばむものです」
「そんな食事をアルトルトに?」
「いえ、お食事は別に私がすべて作っております」
デュロワの質問に答えて、ゼバスティアは続けた。そもそも毒入りの前に、その食事は育ち盛りの子供のことを考えていない、まったく酷いものであると。
「オートミールに固いパンに野菜クズのスープか。このあいだの宮中舞踏会で見たパレンス陛下の腹は、早くもせり出し気味であったぞ」
「この俺よりも若いくせに、ジレの金のボタンがはじけそうな腹など」とデュロワが呆れた様子で続ける。子供には粗末な食事を与えておいて、自分は美食に浸るなど……と、苦々しげな表情だ。
「パレンスのあの様子では、ザビアの所業を見て見ぬふりをしながら、そこまでとは……思ってはいまい」
「はい」
見るからに凡庸な王だと、ゼバスティアは一瞥しただけで、彼の存在を切り捨てだ。アルトルトの父親として頼りにもならないと。
無害な男。
いや、この場合、無害で無力なのも害悪だ。
「いいや……それは俺も同じだな。先の王妃であるクリステイーナは優しく賢かった。優柔不断なパレンスを支えてくれるだろうと思って、王都にはなるべく近寄らなかったのだが……」
デュロワは苦笑し続けた。
「兄上……先王ゴドレルが亡くなったとき、年若く頼りないパレンスより、俺が王にという声があったのだ。俺は当然それを固辞し、北の領地に引きこもったがな」
なるほどそんな事情が……と、それでゼバスティアは全てを察した。この隻腕公がアルトルトを気にかけながらも、王都に近寄らなかったのは、王位に対する野心がありと、いらぬ疑惑を避けるため。
「ヴェリデは残念だったが、アルトルトのそばにはまだ母上がいた」
母上とは、先の王太后のことである。
「その王太后様もいまはいらっしゃいません。トルト様が三歳を迎える姿を見ずに、残念ながらお亡くなりになられました。そして、アルトルト様は三歳のお誕生日に最初の魔王討伐に出かけられた」
「ああ、話を聞いたときには回りの大人共はなにを考えていると思ったがな。アルトルト殿下が無事にお帰りになられたと聞いて、ホッとしたものだ」
先の王太后が“残念ながら”亡くなったというゼバスティアの言葉に、デュロワの眉間の皺がさらに深くなった。彼も王太后の死には疑念があるのだろう。
「それでお前はどうしたい?」
「執事たる、私にそれをお聞きになられるのですか?」
ゼバスティアは内心で軽く驚いた。まさか、使用人の執事の意見を問われるとはだ。
「とりあえずアルトルトの食事から、毒を退けられれば満足か?」
「いえ、それだけではトルト様のおためにはなりませぬ」
ゼバスティアはきっぱり答えた。ただ、物理的な危険からアルトルトを遠ざけるだけではダメだ。
「お身体の健康も大事ですが、同時にそのお心もお守りしなければなりません。それには、あの離宮ではあまりにも環境が悪すぎる」
「アルトルトを王宮から出すか。それもザビアの手が届かない遠い場所へ。我が大公領に引き取れと?」
「はい、それが最善かと思われます」
なによりも、この憎悪渦巻く王宮からアルトルトを出すことだ。彼の純粋で優しい身も心も守るために。
「だが、お前は王宮の執事だ。お前は連れて行けぬぞ」
デュロワがゼバスティアを鋭い目で見た。
「当然にございます」
迷いなくゼバスティアは答えた。デュロワの言葉は予想の範囲内だった。
だが、アルトルトと離れることになろうと、たとえ年に一度、彼の誕生日にしか、魔王と勇者として相対する一日しかなかろうとも、それで十分だ。
「しかし、私の主はトルト様ただお一人と決めております。トルト様が閣下の御領地に向かわれる姿を見届けましたら、王宮を去りたいと思います」
守るべきなのは、選ぶべきはアルトルトだった。
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