【21】ばけものの子

   



「わ、わたくしはいいわ、あなたが全部食べなさい」


 アルトルトの提案にザビアは上ずった声をあげた。当たり前だ。誰が猛毒入りと分かっているパイを食べたいものか。


「いえ、母上。僕は母上とこの美味しいパイを、食べたいのです」


 アルトルトはあくまで天真爛漫。義理とはいえ母がここを初めて訪ね、菓子を持ってきてくれて嬉しいという気持ちを素直に現すように、ニコニコしている。

 ゼバスティアはアルトルトに命じられなくても、二つの皿を出し、銀のナイフでパイを綺麗に切り分けて、先にそれをザビアの前へ。そして半分をアルトルトの前へと出す。

 アルトルトは「わぁ、おいしそうだ」といい、銀のフォークを手に取る。その所作にゼバスティアはヒヤリとした。彼がそのままケーキを口に運ぶのではないか? と。逆にザビアの瞳がギラリと期待に輝く。

 が、フォークを手にしたまま、ゼバスティアはじっとザビアを見ている。


「ど、どうしたの? お食べなさい」

「母上、お願いをしてもいいですか?」

「なんですか?」


 この子供が自分に願いごとなんて……とザビアがいかにも不快そうな顔となるが。


「この特別なパイを、同時に口に入れたいのです。同時に『おいしい』と笑い合えたらいいな、と思います」

「っ……!」


 アルトルトのにっこり笑った顔とは逆に、ザビアは真っ青となる。そして、アルトルトの期待に満ちた視線に圧されるように、自分も銀のフォークを手にとった。白い指先はかすかに震えている。

 おやおや……とゼバスティアはこの王妃を見直した。てっきり椅子を蹴って逃げ出すかと思ったが、毒入りとわかっているパイを食べるふりでもするつもりするとは。

 そう食べるふりだ。口をつける様子を見せて、アルトルトが先に食べるのを見届けて、吐き出せばいい。

 ホンの少し、口にするだけならば死ぬことはない。いくら天人殺しの猛毒でも……だ。

 しかし、フォークを持ったザビアは、それ以上は出来ないようだった。毒入りのパイに自分の持ったフォークの先さえ触れようものなら、死んでしまうような顔つきだ。

 そして、アルトルトは無邪気にパイをフォークで切り分けて、ぷすりとさしたそれを口に運ぼうとしかけていた。まさか、本当に食べる気か? ゼバスティアは再び焦った。

 一方、王妃はそれを凝視する。

 アルトルトの愛らしい口許まであと少しというところで、毒入りパイの切れ端は止まった。ゼバスティアは執事として涼しい顔を保ったまま、内心はほっと息をつく。

 一口で即死の毒だろうとちょちょいのちょいの魔法で消せるが、たとえそうだろうとアルトルトの可愛い口になど入れさせたくもない。


「食べないのですか?」


 逆に王妃は落胆の感情をありありに苛立ったように訊く。


「はい、母上と一緒がいいのです」

「っ……!」


 毒入りのリンゴパイの切れ端を顔の前にかかげて、アルトルトが期待に輝く瞳で、ザビアを見る。

 ザビアの銀のフォークを持つ手が躊躇いがちにパイへと近づくが、やはり触れることが出来ないようだった。

 彼女はキッ! とアルトルトの顔を睨みつけると、銀のフォークをガシャンと皿に投げ出して。


「このわたくしを毒味に使うなど不愉快です!」


 彼女は立ち上がり、ドレスの裾を引いて去っていった。従僕が慌ててそのあとに続く。

 “毒味”など本音丸出しの捨て台詞だ。本当に底の浅い女だ。




「トルト様」


 いまだリンゴのパイの切れ端をフォークにさして、それを持ち上げたままのアルトルトに、ゼバスティアは声をかける。いささか呆然とした表情はザビアがいきなり席を立った理由わからないという風に見えた。

 まさか、アルトルトは本当に無邪気に、あの継母王妃と毒入りののリンゴパイを食べる気だったのか? とゼバスティアは思った。いや、良い子のアルトルトなら、あるかもしれないと。


「ゼバス」

「はい」

「このパイは下げていい。たぶん毒が入っている」


 ことりと銀のフォークをアルトルトが皿に置いた。その言葉にゼバスティアは、軽く息を呑み、平静を装って彼の前から、リンゴパイを下げた。

 やはりアルトルトはこれが毒入りとわかっていたのか! さすが、我のアルトルトだと得意な気分になる。


「さすがトルト様にございます。うまく王妃様をあしらいましたな」


 鼻歌でも歌いたくなる気分で、でゼバスティアは言った。すぐにでも燃やしたい毒入りパイだが、アルトルトの前では出来ないとワゴンに置きながら。


「……母上は、僕が早く死ねばいいと思っている」


 その言葉とかすかにしめった声に、ゼバスティアは振り返る。

 そこには空色の大きな瞳を潤ませて、椅子に座ったまま、ただ前を見つめるアルトルトの姿があった。


「本宮から届けられる、僕の毎日の食事にも、毒が入っているのだろう? だから執事なのにゼバスが、僕の食事を作ってる」

「どうして、トルト様がそれを?」


 気付かれないように処理しているつもりだった。一瞬にして毒入りの粗末な食事など燃やして、魔界から用意した温かな食事を転送する。見られてはいないはずだ。


「ゼバスが教えてくれただろう? 風の魔法で、遠くの音を聞く方法」


 そう、魔法の勉強もアルトルトはしている。生来から魔力の高い勇者だ。幼い頃からその制御方法は覚えたほうがいい。


「トルト様、まさか……」

「うん、ごめん。ゼバスの見てる前でしか、魔法は使ってはいけないという、約束を破った」


 そう、大きすぎる魔力は制御も難しいが、魔力の使い過ぎもまた危険なため、アルトルトには自分の見ている前で……と固く約束させていた。


「だけど、新しい魔法を教わって嬉しくて、それに裏庭の生け垣から、遠くにいらっしゃる、母上の姿をお見かけしたんだ」


 離宮からは生け垣をはさんで本宮がちらりと見える。厚化粧のくせに美容にうるさい王妃が、庭を散策するなど本当に珍しいことだ。

 それはまったくの偶然。


「盗み聞きも悪いことだな」


 アルトルトは、いまにも決壊しそうにゆらゆらと瞳をうるませて続ける。その白い小さな顔はいつもの快活さなど忘れたかのように、無表情だ。


「『毎日毒を盛っているのに、あの子供は死なない』と、母上は言った」


 なんて言い様だとゼバスティアはそれだけで怒りを覚えた。


「『勇者だなんて、化け物じゃないの? 』と、あれは僕のことだろう? ゼバス」


 ついには、アルトルトの空色の瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。





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