【14】先代勇者

   


 先代勇者でゼバスティアは思い出した。

 たしかに黒衣のこの男は、アルトルトの前に戦った先代勇者であると。

 どうりで、目眩ましの魔法がきかなかったはずだ。先代とはいえ、勇者の目を持つものならば。

 しかし、対戦した勇者、それもつい最近戦った先代を……今まで気付かなかったのは、あのときはひげ面ではなかったし、若かったし……というのは言い訳になる。

 アルトルトの前に百七人もいたのだ。数の多さにそりゃ忘れる。黒梟の宰相が横にいたら、繰り返しますが先代の勇者ですぞ? と言われそうだが、ようするに……。

 アルトルト以外の勇者なんて、それまでの魔王ゼバスティアにはどうでもいいことだったからだ。

 とはいえ、思いだしてみれば鮮明にその戦いの記憶は残っているような相手。つまりはなかなかに強かった。

 ゼバスティアが自ら魔剣を持ち、その右腕を切り落とすほどには……だ。その他の勇者どもはすべて、多少の傷はあれど五体無事に、魔王城からたたき出している。

 そう、魔王ゼバスティアは勇者を退けはすれど、一人も殺していないのだ。それで極悪非道の魔王とはひどい評判ではあるが、畏れられなくてなにが魔王か! 

 生き残った勇者達の行方? そんなもの知らん。ただ、二度と自分に再戦を挑む者はいなかった。

 目の前にいる隻腕の大公もしかり。

 王妃の言葉に、広間の空気は凍りついた。横にいる王パレンスも同様だ。その顔色は青を通り超して、紙のように白い。

 いくら王妃であっても、大公、それも先代勇者に対して、あまりにも失礼な暴言であった。

 これをどう取り繕うべきか。宰相である兄のジゾール公も、口を開きかけては閉じるばかりだ。

 そこに「ははははは!」と、高らかに笑い声が響きわたった。敗北勇者と揶揄された、当の大公デュロワだ。

 彼は豪快なその声で、凍り着いた広間の空気を吹き飛ばし、後ろからアルトルトの肩に自分の手を置く。

「確かに私は魔王に破れた。だからこそ、この勇者が魔王と“引き分け”、さらには来年の再戦を誓ったことを誇らしく思う」

 自分が魔王に敗北したことを正直に認め、そして、だからアルトルトこそが希望であると大公の見事な返しであった。

 デュロワの突如の大笑いに、きょとんとしていた人々は、続けてハッとなにかを思いだしたような表情となった。意地悪な王妃から疎まれている王子。だが、彼こそが現在の勇者であり、王国どころか世界の希望の星であると。


「私は信じている。この小さき勇者こそ、魔王という闇をうち払い、見事凱旋することを。そして、その頭上に星の冠をかかげることをだ」


 星の冠。それは、この王国の王冠の名称である。

 そこでさらに廷臣達は気付く。

 いかに今は冷遇されているとはいえ、彼は王太子。さらには勇者。

 魔王を打ち破ったならば、当然、彼がこの王国の王となるのは当然だ。誰にもそれに口出しなど出来ないだろう。

 いかに、今、継母王妃のザビアが権勢を誇ろうとも、それは覆らない事情だ。魔王を倒した勇者王子がどうして、王にならないわけがあろうか? 


「さあ、殿下、あちらで美味しいお菓子をいただきましょう」

「はい、叔父上」


 デュロワにうながされて、アルトルトは広間奥の一角へと。王子だけに許された椅子にちょこんと座る。そして、横に立ったデュロワがまるで彼専任の侍従になったかのように、恭しくアルトルトに菓子の載った皿を給仕する。


「おいし~」


 小さなタルトに色とりどりのマカロンを頬張り、ご機嫌のアルトルト。その様子を、王族一家の前に列を作った廷臣達はちらちらとせわしくなく見る。

 そして、みんな王と王妃に儀礼通りの挨拶をすると、そそくさとアルトルトの前に作られた列に向かう。

 当然、王妃ザビアは面白くない。彼女は伯爵から子爵へと挨拶の列が移ったのを打ち切るかのように「音楽を!」と命じた。穏やかな前奏曲が、軽快なワルツに変わる。

 そして、ザビアの鋭い視線だけでうながされたパレンスが、彼女の手を取って広間の中央へと出て行く。王と王妃のダンスに、アルトルトの周りに集っていた貴族達も「失礼いたします」と残念そうに腰を折って踊りの列に加わる。

 王と王妃が広間をきっかり四分の一、回ったのをきっかけに、高位の貴族から踊りに加わるのがしきたりだからだ。

 呆然としたのは、まだ踊りの輪にも加われず、さらには挨拶の列に並ばされたまま、無視された子爵以下の者達だ。これでは子爵以下など、王に拝謁するまでもないと言われたも同然だ。

 階級と体面をなによりも大事にする貴族としては大変な侮辱だ。例え爵位は低くとも歴史は古い家名の貴族達などは、顔を真っ赤にして恥辱と怒りを露わにするものも見られた。


「大叔父上は踊らないのか?」

「さて、私には最初のダンスを踊るパートナーがおりませぬからなぁ」


 横でアルトルトにお代わりのお茶を煎れながら、ゼバスティアは、二人の話を聞く。たしかにこの美丈夫の大公に妻は居ないのだった。

 領地は北の辺境、冬は雪に閉ざされるとはいえ、鉱山資源に広大で豊かな黒土の大地を生かした、農業に牧畜と豊かな領土だ。

 さらには王に次ぐ大公という地位に、壮年となってもこれだけの美丈夫。事実、彼をちらちらと見るご婦人方の視線は絶えない。

 これで独身とは、王家の七不思議の一つに数えられて当然だ。


「では、この独り身のさびしい、私と踊っていただけますかな? 殿下」

「ひとりみ? うん、僕も今は一人だから、大叔父上と踊りたい!」

「ではいきましょう」


 いや、そういう意味のひとりじゃない! とゼバスティアは盛大に声に出せないツッコミを、心中で叫んだ。が、今はしがない執事ゼバスの身、ダンディな髭の大公様に、アルトルトが小さなお手々を取られて広間中央に出て行くのを、見送るしかなかった。

 髭、髭がいいのか! なぜ執事の自分に髭を生やさなかったか? と後悔しても遅い。

 翌日、そっこーで顔に髭をつけた執事ゼバスの姿に、アルトルトはおはようの挨拶も忘れてじっと見つめて。


「ゼバスは髭がないほうがいい!」


 と断言されて、あわててその付け髭をばりっと剥がすハメになるゼバスティアだった。

 そして、今は、大公に両手をとられて、身を屈めた彼と笑いあって、くるくる回る姿を、ぎりぎりと嫉妬の眼差しで見つめるしかなかった。

 隣に立つ大公の護衛であるタマネギ騎士、もとい機械甲冑がきゅるきゅるなにやら、不可思議な音を立てていたが、それも耳に入ってなかった。




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