【11】はじめての大舞踏会
「まだ、来ないの?」
大広間の横にある王族のための控え室。いつもよりさらにパニエでドレスをふくらませた、王妃ザビアが不機嫌にいう。
夜会ははじまったばかり、赤いコートのお仕着せを着た呼び出し人が、王族の控え室とは反対側にある、大扉の前で来場者達の名を高々と告げている。
郷士に騎士身分から初まり、男爵、子爵、伯爵……と。夜会の開始時刻は招待状に記されているが、身分が低い者はそれより早く見計らって来場するのがしきたりだ。男爵が伯爵より遅く入場することがあってはならない。
「開催時刻は知らせしたのでしょうね?」
「それは確実に申し上げました」
ザビアの質問に老中従僕がこたえる。パチンパチンと彼女が扇を閉じたり開いたりする度に、横の椅子に座ったパレンス王が、びくびくとその顔色をうかがう。
来ない来ないと王妃が苛立っているのは、アルトルトのことだ。
本来、王太子である彼も、この部屋に入り、来場者達が揃ったところで出て行くのが普通だ。
だが、三日前という急な夜会への出席の命令。さらにアルトルトに知らされた開催の時刻は、本当の時間よりも半刻も前という“ワザと間違えた”ものだった。
これは郷士や騎士や男爵達に混じって、入場しろという、継母王妃ザビアのこれ見よがしの意地悪であった。さらには、盛装もせずにみすぼらしい姿。礼儀知らずな普段着で出てきた彼を、人々はさぞや奇異の目で見て笑い者にするに違いないと。
なのにアルトルトはやってこない。
とうとう、大公の名まで呼ばれた。王太子の次に高い順位だ。
「ザビア、そろそろ……」
隣のパレンスが恐る恐る声をかける。臣下達全員がそろったところで、王と王妃が出て行かねばこれもまた、非礼にあたる。いくら国主一家とはいえ、だからこそ貴族達には配慮もしなければならないのだ。
しかたないとザビアが立ち上がり、パレンスの差し出した手に手を載せたところで、呼び出しの従僕の声が高らかに響いた。
それは王太子アルトルトの名を呼ぶ声。
「ようやく来たのね。お仕度にずいぶんとお時間がかかったこと」
そう言いながら、彼女は赤い唇を意地悪くゆがめた。
散々苛立たせられたが、逆にちょうど良い。
みすぼらしいあの子供の入場のあとで、輝かしい自分達王家家族が現れるのだ。
「カイラルを先に歩かせなさい」
ザビアが命じると、王妃付きの女官である伯爵夫人が「さ、殿下」とカイラルの手を引いて先を行く。先日三歳になったばかりの彼の足取りには、すこし不安がある。
……というより、今夜は重い衣装に埋もれて、より足下がおぼつかないというべきか。衿元も袖口もシャツの裾もフリルにレースたっぷり。小さな靴にも大きな宝石の飾り。
なにより、床にずるずるひきずるようなマントまでまとっている。重そうな黄金の飾り紐に、たっぷりとした毛皮の縁取りで、顔の半分が隠れてしまっている。
これでは絹とレースと毛皮に埋もれているようだ。
実際、王族専用である大広間の奥の扉が開いたとき、そちらを注目した貴族達が確認するかのように、二度三度と瞬きをし、その衣の固まりを見た。毛皮から覗いている顔の半分と茶色の頭で、それがようやく、小さな幼児だとわかったほどだ。
そして、その後ろには小山のようなドレスのザビア王妃。隣にはオマケのパレンス王。いや、王としての体裁はしっかりと整った豪奢な衣装は、毛皮の縁取りのマントに総刺繍のジェストコート、ダイヤモンドのボタンとどれをとっても一級品だ。
が、その王の盛装が凡庸に見えるほど、もはやレースとリボンと宝石と毛皮の要塞といったほうがいい王妃のいつものドレス姿。さらには今夜はその巨大なドレスの要塞の前に、これまたレースと毛皮と宝石に埋もれた小さな塔のようなカイラル王子がいる。
貴族達はいつもの王妃だけでなく、小さな王子までくっついた、盛装というよりふん装をぽかんと眺めた。そして凝視し続けては無礼だと気付いて、あわてて伏し目がちに軽く頭を下げて礼をとった。なかには口許を必死に引き締めて、笑いをこらえて肩を震わせる者もいた。
ザビアはその反応を王妃である自分と、我が子カイラルに対する“称賛”であると満足した。隣にいる本来は誰よりも立てねばならない、夫である国王パレンスのことなど、頭からすっかり抜けている。
その王に手を取られているのに、自分こそがこの舞台の女王とばかり、彼女は先払いの道化のように着飾らせた息子を先導に、自分に向かい頭を垂れる臣下達の列の中央を堂々と行く。
が、ザビアは己の視界の先に“目障り”なものを見つけた。
一人だけ国王一家である自分達に頭を下げない。いや下げる必要のない存在。
王太子のアルトルトだ。その横には影のように付き従う、黒いお仕着せに身を包んだ執事の姿があったが、彼女の目には入っていなかった。
彼女は当世風の金箔がギラギラとまざった黒い縁取りをした目を大きく見開いた。そのせいでその表情は、まるで舞台役者のように大仰で、ある意味滑稽にさえ見えたが。
そこには普段着などではなく……。
白く輝く盛装姿の勇者にして、王太子アルトルトの姿があった。
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