【9】勇者王子の一日、お風呂とおねんね
さて、食事のあとは。
「トルト様、お風呂の用意が出来ました」
「わかった」
アルトルトの寝室についている、浴室の扉の前。大きな衝立がある場所まで、ゼバスティアはついていく。
そこから先は。
衝立の横に立つ“浴室係”のメイドに、アルトルトを渡す。
「今日も世話になる、コレット」
「もったいないお言葉にございます、殿下」
“コレット”はにっこりと微笑む。「この者の名前は?」とアルトルトに訊ねられて、「コレットにございます」とゼバスティアがとっさに考えた名だ。
本来、この離宮の使用人はゼバスティア一人しかいない。コレットという風呂係のメイドは存在しないはずだった。
衝立の向こうに消えた二人を見届けて、ゼバスティアは防音の魔法を周囲にかけた。
自分の為にだ。
衝立の向こう。姿は見えなくとも、アルトルトがコレットに話しかける声に混じっての、衣擦れの音。
あのまだ幼児体型のぷにぷにの身体から布を落として、ぜ、全裸に……その妄想だけで、初日、ゼバスティアは昇天しかけた。いや、鼻を押さえてなんとか踏みとどまったが。
大魔王と呼ばれた歴代最強の魔王の死因が、勇者の裸を妄想しての憤死など、魔界末代までの恥だ。そもそも、勇者に倒されずして死ぬなど。
いや、アルトルトのまばゆき裸体を想像して、ぽっくりなのだから、これも勇者に殺されたことになるのか? その愛らしさだけで、魔王にトドメをさしかけるなど、勇者おそるべき!
いやいやいや、自分はアルトルトに倒されたりしない! 彼が成長し、成人したおりには、ただいま建設中のまっ白な聖堂にて、リンゴーンするのだから。絶対するのだから。
それまでは死ねない! いや、そのあとも絶対、共に幸せになる!
ともかく、執事となって、良い子の一日を思い浮かべたときに、この“お風呂問題”にぶち当たった。
自分がアルトルトの服を脱がせて、アワアワで全身をくまなく洗うなんて……なんて、まともに見られるわけなどない。いや、それを考えるだけで、危うくもう一度昇天……(以下略)。
では、魔界の下僕の誰かに任せるか? それも即座に却下した。自分以外が、アルトルトの裸を見るなんて! 嫉妬のあまり、役目を終えたその者の首を“褒美”として撥ね飛ばしそうだ。
かくて魔界には浴室係達の首が並び……などという暴君では自分はない。人材の浪費だ。
そこでゼバスティアがちょちょいと創り上げたのが“良い子のお風呂のお世話係、魔法人形”だった。見た目は人間のメイドにしか見えない。受け答えに表情もばっちり。魔王の我が創ったのだから完璧で当然と、ゼバスティアは心の中で胸を張る。
「ゼバス」
「はい、トルト様」
遮音の魔法をかけているが、アルトルトが自分を呼ぶ声には、即座に反応する。衝立越し、胸に片手をあてて一礼する。
たとえお互いの姿が見えなくとも……だ。それが完璧な執事というものだ。
「今日のお湯もいい香りだ」
「ありがとうございます」
浴槽には毎日お肌にいい香草の袋を入れている。魔王たるゼバスティアも使っている。魔界特製品だ。もちろん、アルトルトのやわやわなお肌に有害な成分など、ひとしずくもはいっていない。
そういえば、最近幼児の世話に忙しく、ゆっくり風呂に入っていないな。今夜、アルトルトが良い子にすやすや眠ったあとで、魔王城の広い浴槽にゆったり浸かるか……と思ったところで。
「とってもいい香りだから、ゼバスもいっちょにおふろにはいらないか?」
「ぐっ!」
ゼバスティアは思わずその鼻を押さえた。この頃は滑舌もよくなってきたというのに、ここで“いっちょ”攻撃とは流石勇者!
「ゼバス?」
「た、大変光栄なお誘いですが、し、執事たる、わたくしめが、トルト様と御一緒する訳にはまいりませぬ」
「……そうか残念だ」
本当に残念そうなアルトルトの声に、ゼバスティアは震える声をおさえて、心の声で応じる。
残念だ。我もとっても残念だ。しかし“いっちょにおふろ”などしたら、本当にこのまま三度目の昇天……いや、していないが……してしまう!
大魔王ゼバスティア、お風呂で憤死! なんて、魔界新聞の大見出しに書かれることがあってはならない。いや、鼻からの大量出血死か? これはもっとはじゅかちぃ。
そもそも、なんでお風呂が良い匂いだから、執事と一緒にお風呂に入ろうと思ったのか? そこらへん、ちょっと考えたりもした。しかし、ともかく鼻の粘膜に治癒呪文を唱えるのに必死でころりと忘れた。
そして、風呂からあがったアルトルトがベッドにはいって、すやすや眠ったのを確認。かたわらで読み聞かせていた物語をバタンと閉じた、ゼバスティアは。
その姿は一瞬にして魔王城に。
「お帰りになさいませ、魔王様。お風呂になさいますか? それとも、お食事……わわっ! なぜ、熱々のお風呂を凍らせるなど! 服のままお入りに!!」
その氷付けの風呂を足でかち割り、執事服のままドボンとはいり、百数えたゼバスティアはたまっていた執務を、夜明けまで片付けたのだった。
今日もゆっくり風呂などに入っていられなかった。
邪念で。
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