第1章 -2話- 『燻る火種』
「食料問題に関しては、未だ危機的状況だ」
木製のコップに軽く口をつけながら、男は切実に現況を語る。
「ようやく農耕スキル取得者の数がそれなりに揃ってきた段階だというのに、何故問題っていうのはこうも次から次へと押し寄せてくるんだろうな――」
薄暗い酒場の中で一際強く瞬くランプの光に目を細めながら、まるで愚痴でも吐くかのようにこの街の状況を語り続ける。
「それは…、水源の確保以外での問題もある、ということか?」
「あぁ…、まぁ、目下の課題としては、”それ”が最もおれ達の頭を悩ませていることには変わりないのだけれども」
遂にはコップの縁におでこを当て、そのままテーブルの上へと突っ伏してしまう。
さらにぶつぶつと誰に言うわけでもない愚痴を延々とコップの底へと零し続ける、そんな男の名はファーレンス。
クラスは《ソルジャー》。Lvは自称22。
とあるギルドを通じての移住当初から馴染みのある友人であり、現在は機関(VWPA)で開拓関連の重責を担う重要幹部を務めている。
「はじまりの街・マリアも、《カタリーナ》をはじめとした周囲の街でも、”水の確保”は未だ至上命題だよ。今でも1年前と変わらず、東街区のユーグ河では”水泥棒”が後を絶たない。機関があれだけの警備を敷いているにもかかわらずに、ね」
「ユーグ河?あそこはもうとっくの昔に枯れ果てたんじゃなかったか?」
「移住当初は大勢の住民がこぞって水を掻っ攫っていったせいで、あっという間に干上がってしまったけれど、今は機関が厳しく管理しているおかげで、ある程度の水位は常に確保出来ている状態だよ」
蕩々と語り続けながら、コップの底に溜まった芋酒をちびちびと舌に垂らしこんでいくファーレンス。
「だけれど、ユーグ河の水だけじゃ、大規模な農作を行えるだけの水量を確保出来ないんだ。そんな食糧需給すらもままならない状況で、余分な飲み水や生活用水まで配布するなんて、とてもじゃないけれど非現実的、というのが実情さ」
「麦作なら水の量はそこまで必要ないと耳にしたが?」
「それで完成したのがあの食べ物とすら言えないような黒パンだよ?君も一度は食べたことがあるだろう?あんな炭クズのようなものを口に入れるくらいなら飢えに苦しんでいたほうがマシだと嘆く人も多いくらいだ」
そうして、あの炭をまるごと囓ったかのような強烈な苦みを思い出したのか、コップの縁に舌を出して眉をひそめてしまうファーレンス。
「結局、次の問題はそこなんだよ。課題だった農耕スキルこそようやく普及させられてきたっていうのに、スキルレベルも農作を行う際のゲーム的知識も何もかもが足りてないんだ。多少落ち着いてきたとはいえ、移住当初のあの混迷期から何も変わっちゃいないよ」
「あぁ、NPC狩りか――」
「本当に馬鹿な連中だよ。NPCが食糧需給を含むプレイヤーへの様々な生活補助を担っているって、事前チュートリアルでも説明されていたはずなんだけどね。それでも飢えに耐えきれずに事に及ぶような馬鹿があんなにいたとは驚きだ」
俗に言うNPC狩り。
通例では、クエストなどを通じて得た金銭との交換で、NPCが創作した食物を得られるような仕組みになっていたのだが、移住民のそのほとんどが、ゲームどころか仮想空間にすら馴染みがなかったということもあり、そのような通貨交換システムは移住から数日と経たずに崩壊。
飢えに耐えきれなくなったプレイヤー達は周囲のNPCを所持している食物目当てに無差別に襲うようになり、結果、移住1週間ではじまりの街のNPCの大半が狩り尽くされてしまう事態となっていた。
「おれ達がモンスターと戦って少しずつ開拓を進めている間に、まさかあんなことになってるなんて思いもしなかったよ。VWPAがあと1週間でも早く設立されていれば、また違った結果もあったのかもしれないけれどね…」
問題は、NPCによる食糧需給が滞るだけでは済まなかった。
というのも、農作用のエクストラスキルは基本的には農耕用NPCから受ける師事クエストによって習得するものだからだ。
NPCによる農作も、プレイヤーによる農作も不可能になってしまったはじまりの街は、あっという間に極めて深刻な食糧危機へと陥ってしまった。
その後、付近の村などで発見された農耕用NPCへの大規模ギルドの囲い込みに始まり、NPC狩りの問題は数々の新たな課題や遺恨を残しながら、今現在のこの状況にも多大な影響を与えているというわけだ。
「――の割には、ここには贅沢にも酒なんて置いてあるのか。よく分からんな」
「――ッ!?だぁぁぁって…ッ、ここは機関の中でも幹部クラスしか通えない、VIP専用の酒場だからねッ!?こォんな、Lv10帯の村では気安く飲めるような安酒がッ、ここでは銀貨2枚の超高級品だぞッ!?ほぉんと、フザけてんのかってのッ!?」
まさに飲まなきゃやってられないとでも言うように、空になった木製コップを勢いよくテーブルへと叩きつけて、その縁に残った酒の味を舌でこそぎ取るかのように舐め始める。
「こんなのォ、飲まなきゃやってられるかッてんだよッ!?NPCの確保もォ、周囲の村からの輸送路の確保もォ、街道の整備までェ、ぜぇんぶ、おれ達高レベル組が任されてんだよッ!?そうやって苦労して運んできた食いモンをさァ、何の苦労もせずに街に引き籠もっているだけのニート共に分け与えてさァ…ッ、おれェ、今日食ったの、指先ほどのジャガイモの欠片一つだぜッ!?ほんッと、やってられねぇよなァ!?」
「おい、声が大きすぎる。誰かに聞かれたらまずいぞ」
「こォんな高級酒場ッ、他に客なんて来ねェよッ!?この酒一杯で、ジャガイモ何日分食えると思ってんだよッ!?ハハッ!まァ、銀貨なんて、この街じゃァ黒パン以上に価値のねェ石ころみたいなモンだけどなッ!?」
そして、酒が一気に回ったのか、発狂したようにまくし立て続けていたファーレンスは、そのまま糸が切れたかのように椅子の底へと身体を沈めていってしまう。
「なァ、”テオ”よぉ~?」
「どうした?」
「アンタなら、この状況をなんとか出来るんじゃないのか?」
少しだけ高級感漂うウォールナット調の木目輝く椅子の座面に、甘えるかのようにもたれ掛かりながら、寝言のような朧気な声でそう呟くファーレンス。
「おれァ、もう、ムリだよォ…。住人はまるで働く気のねェゴミクズばかりだし、幹部は頭の堅ェ石頭ばかりで、まるで街の外の状況に目ェ向けようとしねェし…、ほォんと、おれ達…、この1年、何の為に頑張ってきたのか、分からなくなっちまったんだよォ…」
「ファーレンス…」
移住してきたばかりの頃は、キラキラ目を輝かせながら”ゲーム”を楽しんでいたあの顔が、今では何十歳も年老いたかのように萎れてしまっているかのように見えた。
老化なんてシステムは無いはずなんだけどな。
「こうなったらもォ、アンタの部隊だけが頼りなんだよォ!?アンタの部隊が先頭に立って、ギルドの連中に先んじて”例の水源地”さえ確保してくれればァ、このドス暗い世界の行き先にもォ、一筋の希望が見えるってモンなんだよォォ…」
最後は掠れるような声を絞り出しながらも、切実に訴えるようにおれの服の裾を掴んでくるファーレンス。
「みんながLv20帯の壁に絶望してェ…、鬱屈した空気が漂ってたあのときにィ…、それでも前へと進み続けていった、アンタだけがァ…、おれ達の、最後の希望なんだよォォ…っ」
そして、そのまま椅子の上に頭を預けて寝息を立て始めてしまう。
まったく、せめて裾から手は離してくれ。男にしがみつかれても全く嬉しくないぞ。
「俺たちの部隊だけが頼り、か…」
銀貨2枚の酒の味をゆっくりと舌で転がしながら、昼間のあの惨状を思い出す。
アラン訓練兵と言い合いをし、その末に剣を突きつけたあのときの状況を。
「――、やれるだけは、やってみるさ。まぁ、俺にも見えないけどさ、一筋の希望なんてモンは……」
「え…っ、えっと…、教官、サマ?今、何とおっしゃいました、か?」
露骨に怯えた表情を隠そうともせず、レオナルドは聞き返してくる。
「い、いやァ、おれの耳が、壊れちまったかなァ?あぁ!昨日の狩りで戦ったあのチビドリの断末魔が予想以上にうるさくってさァ、そん時に鼓膜までもってかれちまったのかもしんねェかもなァ?」
そうやって、カカカと掠れた笑いを残しながら、ヘタクソに作り上げた笑みをこちらへと向けてくる。
「戦闘訓練を行う、と言っただけだが?今ここで、だが」
そう返しながら、機関宿舎前広場の荒れた地面をコツコツと木刀で叩いてみせる。
「――ッ!?それは…ッ」
そうして、レオナルドの斜め後方でわなわなと肩を震わせ、
「おれ達に…っ、ここで殺し合いをしろって言いたいんですかッ!?」
凄まじい剣幕で問いかけてくるのは…、ええと、確か、ノールド訓練兵、だったか。
Lvは7。クラスは遠距離物理攻撃を得意とした
「殺し合い――と言っても、木製の各種レプリカ武器を使うだけだ。街でもたまにチャンバラ気分で戯れている奴らがいるだろう。いつもの訓練の時のように、HPが半分を切ったら下がってくれればいい」
尤も、街の片隅で行われてるような児戯レベルの仕合いにさせるつもりは毛頭無いが。
今朝方、《ルクシオン》の街がとあるギルドによって完全制圧されたとの一報が届いた。
事が始まるのも、もはや時間の問題だ。これ以上、手をこまねいている場合じゃない。
「――ッ!?おれ達を、あんな荒くれ共と一緒にしないでくださいッ!?おれ達は…ッ、モンスターと戦うために訓練しているんですよッ!?いくらHPが尽きないからと言っても…ッ、人を――友人を傷つけることなんて、できませんッ!」
「……、甘ったれるのもいい加減にしろ。再三にわたって説明してきただろう?相手はモンスターだけじゃない。同じ”人間”と事を構えるときも必ず訪れるとな」
それに、こいつらは知る由も無いだろうが、最前線では新たに《アサシン》なんていう殺人特化のクラスまで発見されているんだ。
人と人が争い殺し合う時代は、もう既に目前まで来ようとしている。
だからこそ、そのための”準備”は出来る限り早く済ませなきゃならないんだ。
「教官?アナタが機関とギルドの仲を引き裂こうと画策する諜報員だという話が、上層部にあるというのは、ご存じですか?」
さらに横から顔を出してきたのは、ええと…、確か…、ジュレムだか、ジュエムだかと言ったか…。
Lvは5。単体回復スキルを得意とした聖職者クラス《クレリック》で、部隊の回復チームの一員を務めている。
「ご存じも何も、直に問い詰められたさ。そう見えるのも仕方ないのかもしれないが…、それでも、いずれギルドとの間で戦争が起こること…、これだけはもう、絶対不変の事実なんだよ」
「そんな酔狂な与太話を振りまくのは、この世界でアナタだけですよッ!?おかげで、ただでさえ食糧問題で切迫している状況にこんな馬鹿げた横槍まで差し込まれて、上層部が大混乱していることもご存じなのでしょうねッ!?」
だから、食糧問題と、ギルドとの争いの問題は密接に関わって――なんて、ここでこいつらと議論をし続けても埒が明かない。
ただでさえ、機関の発展はギルドのものと比べて数歩も遅れているんだ。これ以上、時間を無駄に切り捨てていくことなんて出来ない。
「――、もうこの話はここで終わりだ。さぁ、訓練を開始するぞ」
「教官ッ!?話はまだ――ッ」
「――、終わりだ。訓練を始めるぞ」
「――ッ!?!?」
ドスの効いた低い声を響かせながら、ジュレム?訓練兵の喉元に木刀の剣先を突きつける。
同時に、後方でアラン訓練兵が抱えた苛立ちを隠そうともせずにこちらを睨んでいるのも視界に捉えた。
「安心しろ。お前達の相手は俺じゃない。俺のSTR(※筋力ステータス)値だと、こんなチンケな木刀でもお前達を一撃で殺しかねないからな」
「う、ぐ…っ」
先日のアラン訓練兵のような度胸はこいつには備わっていなかったらしく、そのまま腰を抜かして地面の上へとへたり込んでしまう。
「……、じゃあ、各人、セーフティ機能(※プレイヤーキル阻止機能)を解除しろッ!」
あのときは腑抜けと軽んじてはいたが、こうして見てみると、アラン訓練兵には素質というものがあるのかもしれないな。
まぁ、当の本人は離れた場所で膨れっ面を隠そうともせずに晒しているが。
「だ、大丈夫か?ジュレムちゃんよ?」
「あ、ありがとう、レオナルド。…ッ、くそッ、やっぱアイツ、イカれてやがる…」
レベル上げを兼ねたLv40帯想定の対モンスター戦闘訓練、そして、その合間にこうやって対人戦闘訓練をあてがっていく。
「相手は人間だが、決して手加減はするなよッ!?どうせお前達のLvとステータスじゃ大した痛みなんてのは発生しない!」
それで本当に、来たるべきときにまで間に合わせることが出来るのか?
「HPが半分を尽きた者は手を上げろッ!危険だと判断したら、俺が直接止めに入ってやるから、遠慮無くやれッ!分かったなッ!?」
だとしても、やるしかない。
一つ一つ丁寧に。
そう、Lv40帯で過ごした半年間。あのときのように、一つ一つ進歩を積み上げていくことさえ出来れば、こんな素人集団の部隊でも、ギルドの連中になんとか喰らい付ける程度にくらいまでは仕上げることが出来るのかもしれない。
「あの…、少々お時間よろしいでしょうか?」
機関支部の廊下を歩いていると、俺がここを通過することをまるで予め知ってたかのような仕草で、男は話しかけてきた。
「……、ああ、構わないが」
思わず鞘に手を伸ばしそうになったところで、多くの機関員が所在している支部のど真ん中だということに気付き、そのまま手をおろしていく。
「あはは、本当、凄まじいほどの身のこなしですね!最前線でご活躍なさっている方々というのは、皆こうなのでしょうか?」
痩せこけた顔、病的なまでの色白な肌、不自然なまでに吊り上げた口角で作り出した分かりやすいほどの営業スマイル。
おそらく面識は無いはずだが、向こうは俺の顔をよくご存じのようだ。
「それに、その剣も!ものすごく立派な鞘じゃないですか!きっと、誰も到達出来ないようなダンジョンの奥深くで眠っていた至高の逸品なのでしょうね!」
しかし、その胸元に取り付けられた徽章を見た瞬間、心の中で盛大に溜め息をついてしまった。
「……、で、本部のお偉方が何の用だ?時間があるとは言ったが、長々と立ち話するような暇があるというわけじゃないぞ」
「…、ははっ、噂通りの、釣れないお方ですね。僕みたいな本部詰めの引き籠もりにとって、アナタ方から聴かせて頂ける冒険譚の数々は、まさに極上のディナーみたいなものなのですが」
「そのよく回る口は、何らかのスキルによる賜か?だとしたら、俺が持っているどの戦闘スキルよりも優秀そうに見えるが」
「…っ!は、ははは…っ、いえいえ、滅相もないですよ!僕なんて、せいぜい上から来た書類の山を整理するだけの、しがない事務職なんですから、はは…っ」
なるほど。
この街では”紙”がそれなりの高級品で、それが扱えるだけでもよほどの地位の人間だということを知らない程度には引き籠もりというわけか。
とはいえ、本部詰めは本部詰めでまた厄介な相手なのには変わりは無い。
会話は慎重に進めていく必要があるな。
「まぁ、前話はこの辺りにしておきましょうか。このまま話を引き延ばしていると、怒り狂ったアナタに斬り付けられてしまいそうだ。Lv40越えのトッププレイヤーに命を狙われるなんて、おぉ~、こわいこわい」
コイツ…ッ。
何のつもりだ…?
「では、単刀直入に申し上げさせて頂きましょう。いいですか?上層部は、アナタの仕事の遅さに、いい加減痺れを切らしているのですよ」
「……、またその話か」
「ええ、またその話です。そもそも、上層部がアナタを雇ったのは、”ゲームの遊び方”なんて幼稚なものを教授して欲しかったからではありません。早々にあの子達のレベルを引き上げて頂くのが本来の目的なのですよ」
先程の態度とは一転、口調の節々に堂々と棘を差し込みながらも、しかしながら、”それでも僕はアナタの味方ですよ”と言わんばかりに、清々しいほどに不自然な笑みを崩さない。
「その件は以前にも説明したはずだが?レベルだけを上げてもこの世界で戦い抜くことは出来ない。むしろ、”レベル差補正(※レベル差に応じた与ダメージ及び被ダメージの増減)”なんてものも存在せず、ただ純粋にレベルアップに応じてステータス値だけが淡々と増えていくだけのこのシステムだと、見かけの性能なんかよりも、個々のプレイヤースキルやパーティーとしての練度の方が重要だとな」
この問題にはゲームそのものの初心者や、アクション性を持たないコマンド性RPGしかプレイしたことのないプレイヤーほどぶつかりやすい。
如何に強力で最新鋭のレーザー兵器を手にしたところで、それを扱う技量が伴っていなければ無意味だし、石器時代に使われていたような石槍でも、使いようによっては近代兵器とも互角にやり合うことが出来る。
つまり、レベルを上げて大量のステータスポイントを得たところで、その能力を活かす戦い方が身についていなければただの足手まといだし、逆にレベルが低かろうと、正しい部隊戦闘の知識と経験さえ身につけてさえいれば、最前線での戦いでも十分な戦力にはなる。
まぁ、クラスにはよるがね。
「ええ、ええ。分かります、分かりますとも。仰りたいことは十分に分かっておりますとも」
そうしてハハッと演技じみた高笑いを挟みつつも、その歪な笑みを携えたやつれ顔を寄せてきて、耳元で囁いてくる。
「でも、それでは上層部が納得しないことも、既にお分かり頂けているのでしょう?」
そんな風に、俺たちがこの世界で戦い抜くための術を所狭しと書き記し纏めた書簡を送り届けた後、返ってきたのはシンプルな一言、”期日までに部隊全員のレベルを指定の数値まで引き上げろ”というお達しだけだった。
つまり、こいつはそういう話がしたいのだろう。
「上層部からも再三にわたって要請が来ているでしょう?あの、ほら、何でしたっけ?パワーレベリング?僕はゲームの知識にはあまり明るくないもので、これに関しても詳しく存じているわけではないのですけれど…、アナタなら出来るんでしょう?部隊のレベルを簡単に引き上げることが」
結局、その話に行き着くわけか。
「これも何度も返答したはずだが。この世界の経験値分配方法は、”貢献度システム”と呼ばれるものだ。その戦闘においてのパーティー及びギルド内における個々人の貢献度の比率に応じた経験値が、各人に割り振られるようになっている。だから、戦闘力の高い俺が主力となってモンスターを討伐しても、その経験値のほどんとは俺の元に入ってしまうというわけだ」
超高性能AI監査によるこのシステムは非常に優秀で、戦闘行動を少しサボっただけでも分配量がガタ落ちすると聞いているし、逆に、攻撃力も攻撃頻度も少ない低レベルモンスターとの戦闘で、役割そのものを発揮しにくいヒーラー職(※パーティーの回復役)でも、しっかり前衛を回復する準備を整えて構えてさえいれば、相応の経験値が割り振られてくる仕様になっている、らしい。
俺自身にパーティー戦闘の経験が皆無なため、全て又聞きした内容ではあるが。
「このシステムは過剰とも言えるほどに抜け道を塞いであってだな。パワーレベリング(※高レベルのプレイヤーでモンスターを討伐し、その経験値を低レベルのパーティーメンバーに分け与えて大きくレベルを上げる行為)にもしっかり対応されていて、引き上げれれる側には砂粒ほどの経験値しか分配されないようになっているんだ」
「それでも、普通にレベルを上げるよりは、格段に効率が良いのでしょう?」
「いや、まぁ、それは……」
しかしながら、モンスターの強さがLv10帯、Lv20帯と上がっていくにつれて、討伐して得られる経験値量も大幅に増大していくことから、貢献度システムがあっても尚、その砂粒ほどの比率の分配量だけでも、低レベルのプレイヤーにとっては垂涎モノな経験値量になるというのも、また事実ではある。
「アナタ達ゲーム好きの方々が、その、パワーレベリング――という行為を嫌うという性質も理解はしています。けれども、私どもと致しましても、このままロクに開拓を進められないという現状に甘んじ続けているわけにはいかないのですよ」
「いや、嫌うとか、そういうことじゃなくってだな。レベルだけ上げても高レベル帯じゃあ――」
「15日後までに全隊員のレベルを最低20まで到達させること。これが上層部からの命令です」
「な――ッ!?」
15日であいつらを、全員Lv20!?
そんなモン、パワーレベリングを駆使してもほぼ不可能だぞ!?
大体、今のあの素人連中をLv20帯なんかに連れていけるわけがないだろう!?速攻で全滅しちまうぞ!?
「この街の食料事情は極めて危険水域にまで達しているんです。北区域の暴動についても既にご存じのはずでしょう?アナタの肩には、この街全員の運命がのし掛かっていると言っても過言ではありません。だから――」
そして、最後だけは、あの気持ち悪い笑みを少しだけ崩して、
「頼みましたよ」
しかしながら、これまた作ったような真面目腐った顔を向けながら、気安く肩を叩いてきた。
夜風の中に、渇いた土の香りと、微妙に鼻を刺す草の香りが絶妙にブレンドされていて、少しだけ目を瞑ってその風の中に身を委ねてみる。
「ん…っ、は、ぁ…っ」
決してそんなはずはないのだが、やはりLv40帯に漂う地獄のような空気よりも、少しだけ甘さが含まれているように感じるのは、果たして俺の錯覚なのだろうか。
「ふぅ…っ」
遙か後方には、はじまりの街・マリアの明かりの数々が、その城壁越しに漏れ溢れているのが見えた。
「ここも、懐かしいな」
1年前の移住当初は、多くの他プレイヤーと肩を並べてこの大地を踏みしめモンスターの領域へと足を踏み入れていった。
あの頃は、誰も彼もが、この新天地に希望と喜びを抱いて、この大地に立っていたように思う。
「ん…っ、ふぅ…っ」
ある者はワクワクするような冒険の旅に、またある者は死の恐怖から解放された幸福に、皆の顔に笑顔が満ち満ちていた気がする。
「………」
それが、たった1年でこうまでなってしまうとは、誰が予想出来ただろうか。
「…………」
あれだけの笑顔と笑い声で溢れかえっていた街並みが、今では奪い合いに疑心暗鬼、そして、生きた屍の山で溢れかえっているなんて、あの頃の誰が想像出来たのだろうか。
「――、なぁ、ヘリオスさんよぉ?」
夜の帳の彼方に、人類の英知を結集して創造された人工神を見据えながら、決して届きはしないであろう質問を投げかけていく。
「これが、アンタの望んだ世界なのか?」
人も、モンスターも、そして、世界を創造したAI様も居ない夜半の平原の真っ只中で、それでも俺は問いかけていく。
「全知全能、残された人類全てを幸福に導くために産み出されたアンタが、”この程度の世界”しか創ることが出来なかったのか?」
当然、その応えは返ってこない――
「なぁ…、こんな世界が本当に――」
「あはは、君まで街の住人みたくヘリオスに恨み言を吐くなんて、いよいよ人類も終わりかねぇ…」
――かのように思えたが、代わりに呆れたような笑い声が夜闇の中から響いてきた。
「遅いぞ、ファーレンス」
振り返れば、いつものあのキザったらしい制服ではなく、簡素なレザーの軽装備に身を包んだ友人が、呆れたような表情でこちらを見つめていた。
「暗視スキルが無いと辿り着けるか不安だったけれど、案外大丈夫なもんだね。コレの出番がなくてよかったよ」
そう言いながら、手に携えた火の消えたランプを軽く持ち上げてみせる。
「今夜は月明かりが強いのと、この距離でも街の明かりが届いてくるからな。それに、んなモン灯して後でも付けられでもしたら、本末転倒だろうが」
「それは言えてる。だったら、今夜の天気模様と、街をつくったヘリオスさんに感謝しないとな――」
そうへらへらと笑いながら、渇いた地面に腰をおろすファーレンス。
それに倣って、俺も平原の土と草の絨毯に身を預けていく。
「で、こんな場所で待ち合わせて、一体何の用だ?PK(※プレイヤーキル)狙いの手口だと疑われても不思議じゃないぞ?」
「ぷ、はははは…っ、君は相変わらずだねぇ」
指先でランプの取っ手をいじり回しながら、愉快そうに噴き出すファーレンス。
一見、お気楽そうな様子に見えるが、長い付き合いだからこそ分かる。
相当参ってやがるなコイツ。
「君とPvP(対人戦)して勝つのなら、第17支部の主力部隊を持ってきても尚厳しそうだ。出来れば、未来永劫、君と戦うのはやめておきたいところだね」
「……、わざわざ街の外の、しかも人の往来の無い深夜を指定したんだ。余程、他人に聴かれたらまずい話でもあるんだろう?」
「うん、まぁ、そうだね……」
遂にそのわざとらしい笑みをしまい込んで、項垂れるかのように地面を見つめてしまう。
そのまましばらく土の上に生えた草でも数えてるのではないかと思えるような時間が流れた後、囁くような小声で再び話し始める。
「《Brave Knights》ってギルドを知ってるかい?って、君に今更確認するまでもないだろうけれど…」
「《Brave Knights》…、って、あの大規模ギルドのか?移住当初ははじまりの街近辺の狩場を大人数で闊歩している姿をよく見掛けたが、Lv20帯以降はあまり出くわすことがないな」
「そう、それ。当初はこの辺りのモンスターを、その圧倒的な人数を活かして独占し続けていたみたいだけれど、いわゆるLv20帯の壁ってやつに阻まれて以降は、なかなか思うように開拓を進められていないみたいだね」
確か、はじまりの街を含む五大都市の一つ、《パロスメント》を移住当初は制圧していたはずだが、現在ではその街の実権は機関(VWPA)が握っているはずだ。
現在、はじまりの街を含む五大都市では機関(VWPA)が幅を利かせていることもあって、大規模ギルドのその多くが、最前線の街や村を拠点としているはずだが、そういえば、その中に《Brave Knights》の名前は無かった気がするな。
「それで、その《Brave Knights》の連中がどうかしたのか?」
そう問いかけると、少しだけ躊躇したかのように言葉を詰まらせるファーレンスだったが、やがて意を決したかのようにこちらを見つめてくると、話の続きをそっと囁いてくる。
「今日の昼間の幹部会議で、《Brave Knights》の機関(VWPA)入りが決定した。僕を含む一部の幹部には何の事前告知もないままに、突然に決を採られて、その場で即座に受け入れが決定した」
「なに?おい、ちょっと待て。《Brave Knights》って構成員が1万人以上はいなかったか?」
「今はさすがにそこまでの人数は維持出来ていないみたいだけれど…、それでも、機関で受け入れるにはあまりにも大きすぎる戦力だ」
「え、えっと…、機関(VWPA)の構成員の数は――」
「末端を含めれば50万人近くは居たはずだけれど、それはあくまでも、街に残った住民を片っ端に機関(VWPA)の支部ギルドに仮加入させているだけの話だ。実際に機関の中で何かしらの業務を担っている人間は5万人程度しかいない」
その中に数千人の外部勢力をぶち込むとなると――、いや、それ以前に、ちょっと待て。
「その…、《Brave Knights》の現在の主な狩場は分かるか?」
「現在はララルナ村を拠点としているはずだから、おそらくLv20~Lv30帯だ」
「機関(VWPA)の主力部隊の戦力は?」
「17支部の精鋭ですらLv26が最高だと聞いた。他の支部の状況は――君も既に知っているはずだろう。ギルド連中の戦力とは、まるで比べるまでも無いような体たらくさ」
それは、つまり――
「あぁ、君の予想している通りに、近々、機関(VWPA)の上層部は《Brave Knights》の連中に取って代わられるだろう」
「――ッ!?……いや、待てッ!?上層部はそれを許すってのかッ!?」
「許す…、というよりは、僕みたいな厄介者の幹部を追い払って、その椅子を《Brave Knights》の連中にそのまま明け渡す、ってことなんだろうね」
なるほど。
機関(VWPA)の戦力補強と内部整理を同時に行おうって魂胆か。
いや、だとしても――
「ギルドの連中は、飢えに苦しむ街の人間を尻目に、食料を根こそぎ自分たちだけで独占し続けてきたんだぞ!?機関はそれも許すってのかッ!?」
思わず、ファーレンスの両肩を握りしめて怒鳴りつけてしまう。
コイツを問い詰めたところで何の意味も無いのかもしれないけれど。
「背に腹は代えられない、ってことなんだろうね。機関も。そして、《Brave Knights》も……」
そうか。
つまり、切羽詰まってるのは何も機関側だけではないということか。
ロクに街の外の状況に目を向けようとせずに、五大都市に籠もってチンケな王様やり続けている機関(VWPA)の現在の惨状と同様に、《Brave Knights》の側も、周囲のギルドとの開拓競争に敗れ去ってしまったが故に、同盟相手を欲していたといったところか。
「なら、互いにパワーバランスを一定に保つ余地もあるのか……、いや、しかし――」
「重要な話はそこじゃないんだ。聞いてくれ…」
今度は、むしろファーレンスの方から俺の肩を引っ掴んで、切実な表情で見つめてくる。
このままキスでもされてしまいそうな――、なんて茶化す気にはなれなかった。
「会議では言及されなかったけれど、機関(VWPA)側も、そして、おそらく《Brave Knights》側も、君のことを非常に警戒している」
「――、まぁ、そうなるだろうな……」
実際には10程度のレベル差で個々の戦力が大きく変わるわけでも無いのだが、それでも、この世界においてのレベルというものは、他のあらゆる肩書きを軽く凌駕するほどの重大なステータスだ。
それに、俺が所持しているLv30帯やLv40帯のモンスターや地形のデータは、喉から手が飛び出るほどに欲しい情報だろう。
「君のことを、自陣営に引き入れて駆け引きの道具にするにせよ、厄介者として排除するにせよ、いずれにしても何かしらの接触はあると思う」
「――っ、つまり、さっきのアレは、そういうことか……」
「っ!?まさか、もう誰かが来たのか?」
先程、支部の廊下で出くわしたあの男。
これらの上層部の動きに合わせた上で、早々に俺に接触してきたということか。
「あぁ、夕方頃だったと思うが、痩せこけた色白の男――、って、あっ!?名前教えてもらってねぇぞ、アイツ…ッ」
「…っ、いや、尋ねても偽名を騙られたかもしれない。うぅん…、痩せ型で、色白……、多分だけれど、シルバのことじゃないかな…」
「シルバ…?」
「あ、あぁ…、エーレ一派の連中に、確かそんな名前の奴が居た気がする…」
「エーレ?…、って、あのすっげぇ美人さんか?なんか大勢の取り巻き引き連れて街を闊歩してる――」
「美人――というには幼すぎる気もするけれど、今は君の女性の趣味について論じてる場合じゃないか。……となると、まずいかもな――」
眉間を険しくしわ寄せながら、呻くように呟くファーレンス。
ここまで憔悴した様子のコイツを見るのも初めてな気がする。
「エーレ一派は一応、今回の《Brave Knights》受け入れについては反対の意向を示していた。反応を見る限り、事前にこの話を知っていたそぶりもなかった。けれど――」
「…けれど、なんだ?」
「ある意味で過激派とも言えるような集団なんだ。徴兵制度を施行して、街の人間を無理矢理にでも外征へと駆り立てるべきだと主張するほどには、ね。今日の会議でもギルドなんかと組むくらいなら、一刻も早く”例の水源地”にまで大部隊を派遣すべきだと騒ぎ立てて、会議場を混乱に陥れていたよ」
無茶な。
あの水源地はLv30帯の真っ只中にあるんだぞ。
機関(VWPA)は当然ながら、最前線のギルドの連中ですら未だ前線基地の一つも作りきれていないんだ。
Lv10にも達していない、それどころかモンスターとのまともな戦闘すら経験していないような烏合の衆を、頭数だけ揃えてどうにかできるような場所じゃない。
「あぁ、そうか――」
だから、15日以内に部隊全員をLv20まで到達させろなんて非現実的な要求を突きつけてきたわけか。
「ともあれ、警戒は怠らないでくれ。僕はもう幹部をおろされてしまうだろうから、これ以上君を守ってあげることは出来ない。Lv40帯をソロで戦い抜いてきた君という戦力がいなくなれば、いよいよ僕たちはもう、ギルドの連中が何もかもを掻っ攫っていくのを、呆然と指を咥えて眺めているしかなくなる」
そもそも俺は誰かに守ってもらわなきゃいけないような存在ではない。
この街にLv41の俺に対してPKを仕掛けてくる輩がいるとも思えないしな。
だが――
「それは、俺の今の地位も危ういってことか?」
「あぁ……、そもそも、君を今のポジションに就かせるよう会議で働きかけたのは僕だからね。その当時から一貫して君の登用に反対意見を投げかけていた派閥が、今回の同盟話を主導している――と言えば、分かるかな?」
なるほどな。
幹部の中にも、俺のことを一応は戦力として確保しておきたい派閥と、邪魔者として排除しておきたい派閥がいるということか。
「――、だとしても、上層部の権力闘争に興味など無い。俺は俺のやるべきことをやるだけだ」
「あぁ、君はそれでいい。あの部隊を一流の精鋭部隊にまで成長させることが出来れば、君の発言力も大きく増す。そうすれば、ギルドに対抗出来るだけの巨大戦力を機関(VWPA)の中に創るという目標もいずれ叶うはずだ」
「あぁ、そうだな――」
こちらもこちらで、あまり上手く事を運べているとは言い難いのだけれども。
――なんて、崖っぷちに立たされているコイツに相談する話でも無いか。
「……まぁ、解任されても死ぬわけじゃねぇんだ。あまり落ち込まずに、気楽にやろうぜ?なんなら、うちの部隊で副教官として頑張ってもらうのも悪くないんじゃないか?」
なんて、気休め程度の慰めかもしれないけれどな。
「ははっ、もう最前線に出るのは遠慮したいな。僕にはやっぱり文官が向いてるよ…」
そんなファーレンスの顔には、どこかで見たような、作ってそのまま貼りつけたようなヘタクソな笑顔が浮かんでいた。
ファーレンスとの会合の帰り道、俺は”敢えて”人気の少ない裏路地を歩いて宿舎へと向かっていた。
殺してもそのままリスポーンポイントに復帰するだけというシステム上、暗殺(PK)が行われることなど滅多にある話ではないものの、それでも、俺を狙ってくる者がいるとするのならば、この状況はまさに格好の的と言ったところだろう。
と言っても、俺をPKしたところで何かしらの利点があるとも思えないが。
一度殺されたところで奪われる経験値の量なんてたかがしれているし、あの痩せ男――シルバと言ったか?アイツが世辞をぶつけていたこの剣も、実のところは鍛冶屋で安く調達したナマクラだ(もっと良い剣も所持はしていたが、Lv40帯での戦いの際に紛失した)。
そうやって、自らの身体を釣り餌として夜の路地で彷徨わせながら、いるかも分からない暗殺者を待っていたのだが、そんな、何かしらの事件が起きる兆しも見えないままに、気がつけば路地奥のとある区画に辿り着いていた。
「――っ、ここは…、相変わらずだな……」
まるで牛舎のような隙間と継ぎ接ぎだらけの板張りで、気持ち程度の屋根と壁をこしらえただけの建造物。
もはや家とすらも呼べないようなその空間には、鼻がねじ曲げられそうなほどの汚臭と腐臭が漂う。
「うっ、くそ…っ」
その悪臭に顔を歪ませながら、暗視スキルでその牛舎の中へと目を向けると、そんなはずなどあろうわけも無いのに、その床に転がった”物体”と目が合ったような気がして、思わず視線をそらしてしまう。
いや、なんでこの俺が怯えたような反応をしなきゃならないんだ、馬鹿馬鹿しい。
しかし、再びその物体に視線を戻しても、”ソレ”は俺の行動になどまるで興味を示すこともなく、ただただ声にならないようなか細い呻きを零しながら、何も無い虚空をひたすら眺めているだけだった。
その下半身の傍らに残骸のように転がった黒ずみが何なのかは、考えたくも無かった。
その隣に転がっているのは――
「――、女、か…」
周りのお仲間さんと同じように、”彼女”は一切の衣服を着用していなかった。
おそらく、どこぞの悪辣なプレイヤーにでも剥ぎ取られたのだろう。
だというのに、腐り落ちるわけでもなく移住当初の体型を維持し続けているであろうその裸体を見ても、全くもって性の香りを感じることが出来なかった。
低レベルの暗視スキルでは細かいところまでの判断はつかないが、その肌は煤汚れたように黒ずんでいて、その髪は炎にでも炙られたかのように縮れていて、そして、この距離からでも認識出来るほどの悪臭を、周囲一帯に振りまいていた。
「――っ、ぅ、ぐ…っ」
その無様な姿に、他人事ながらも苛立ちを感じてしまう。
滅び行く地球の、狭苦しい地下空間から移住してきて、新天地での新たな暮らしを謳歌する。
俺たちのような仮想空間に馴染みの深かった人間ほど、そんな生活を快く受け入れていったのに対して、一方で、この世界の生活に溶け込めなかった人間も大勢いた。
”死”の存在しない世界。
そんな世界で、一部の人々は、ヒトとは到底呼べない何かにまで”堕落”していった。
空腹を抱えようが、喉が渇き果てようが、それでも死ぬことはない。
移住当初のNPC狩り騒動を経て、深刻な食糧危機、水不足に陥ったはじまりの街において、こいつらは”生きること以外の全て”を放棄した。
結果、こうやって異臭を辺りに撒き散らしながら、声にならない声を漏らし、ただただ何も無い虚空を見つめ続ける、そんな”物体”が、この街の至る所に”散乱”している。
さらに救いようがないのが、こいつらを救うという大義名分を高々と掲げて、街の人間を自分たちの思うがままにコントロールしようとしている機関の上層部だ。
実際のところ、”コレ”を救うことなんて、機関の連中含めほとんどの人間がとっくに諦めきっている。証拠に、こいつらは機関の行う食料配給の”対象外”だ。
初めてこの世界に降り立ち、いくつもの夢と希望を抱いて冒険の旅へと出立し、そして帰り着いた先にこの光景が待ち受けていたとき、俺の抱いていた夢や希望なんてものは、何もかも消え失せていた。
俺たちが夢見た”楽園”ってのは、こんな醜いものだったのか?
人類が数千年に渡り文明を築き上げてきた惑星を捨ててまで、そうやって辿り着いたこの新天地で、こんな光景が繰り広げられていていいのか?
「――、なぁ、ヘリオスさんよぉ?」
「これが、本当に――、アンタの望んだ世界なのか?」
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