帝の座

 全員が唖然としている。

 帝が、尊き玉体をさらしている。

 巨体であった。

 背が高く、腹回り太く、肥満のせいで手足が短く見える。

 顔が巨大で、爛々と睨む目は異様である。

 傴僂のエラゴステス程ではないが、この男もまた異相である。

「これがその、“獣”の段通であるか! なるほど。驚く巨大さである!」

 言うなり、靴のまま段通にあがり、真ん中、獣の背中あたりにドスンと座った。

「本当にこの大きさであったのだな! 醜き商人よ!」

 声の威圧感そのままに、帝は大はしゃぎでエラゴステスに問う。

 暫し呆気に取られていたエラゴステスだが、逸早く気を取り直す。

「え――ええ。おっしゃる通りにございます。その大きさでも全体、指一本の誤りもなき事明白。その男が戻った時、他にも多数の商人がおりましたゆえ、ご興味がございましたらば、お調べになられれば、と存じます」

「言いおる! 商人の長広舌など詐欺師と変わらず! 誰が信じようか!」

「――慧眼けいがんにございまする。重ねて言えば」

 エラゴステスは、一息間をもたせ、

「この醜き身の語った寸法と異なる数字を口にする者あらば、その者こそ、まことの詐欺師でありましょう」

言葉を受けて帝が立ちあがり、憤怒の相を見せる。

 のどのうなりと、食いしばられた歯から、しゅうしゅうと息の漏れる音。

 エラゴステスの額から、大きな玉の汗が滴る。

「面白いではないか!」

 帝が呵々大笑かかたいしょうし、またドスンと座る。

「唄を用意してあるのだろう! そこの吟遊詩人に唄わせよ!」

――偉い人物だ。

 こちらのやり方を一切通させてくれぬ、目的地への橋を流す暴れ川のような人間だ。

「唄よりも、一風変わった余興など、如何でしょうか」

「――一風変わった、とな? どの様な余興であるか!」

「我らが砂漠を迷い、間違ってこのコブイェックなるこの獣と、出くわした一部始終など」

「なんと! 興味をかき立てられたぞ! 話せ!」

 尻を軸にしてでかい図体をノシっとこっちに傾け、帝が急かす。

 エラゴステスは居住まいをただし、語り始める。併せて吟遊詩人の琴が爪弾かれる。

「――月の無い夜でございました。砂漠にて、我らは自分たちの位置を見失い、彷徨さまよっておりました」



 エラゴステスが商取引で砂漠へと進出して、さほども経っていない頃であった。

 まだ若く無謀で、砂漠の性質も地形も知らなかった。

 頼りにしていた天性の人を見る目も、まだ洗練されていなかった。

 あろう事か、雇った案内人が、砂漠をろくに知らなかった。

 空には砂漠に珍しく薄雲がかかり月もなく、地表は暗がりがその多くを占めている。

 しかも見た事のない巨石がゴロゴロとある地帯で、視界も利かず、ラバの速度も上げられない。

――これは如何にした事か。

 困惑もあるが、なにより恐怖が先に立つ。

――この様相、この地形。取引をする毛皮と牙の、コブイェックと呼ばれる獣がいると聞いた“狩り場”なる場所ではないのか。

 “狩り場”は禁地である。

 多数の獣が棲まう、砂漠の部族の戦士以外が足をふみいれる事かなわぬ地。

「案内人。道は正しいのか。我らは迷っているのではあるまいな」

「心配ない。ここをまっすぐに進めば、目的の邑がある」

 そう言っている声には、極度の緊張がみなぎっている。

――こやつ、さては砂漠を知らぬな。

 ラバたちも怯えている。

 進むのを嫌がり、鞭をいれないのに回頭しようとし、またバラバラの方向に歩を進めんとする。

 地面も凹凸が多く、いつ荷車が転倒するか分かったものではない。

「おい。このまま進めば危険だ。この岩ばかりの地域を出る方角を言え」

「このまままっすぐで問題ない」

「言えといっておるのだ! 砂漠に放り出すぞ!」

 エラゴステスは激怒をぶつけた。今なら他の効果的なやり方も思いつくが、三十をいくばか過ぎた頃で、まだ血気に己を抑えられぬ頃である。

「き、北に……」

 そう言って左前方を指さす。

馭者ぎょしゃ! 左前方だ! 回頭するぞ! 後列にも伝えよ! 護衛! 周囲を強く警戒せよ!」

 エラゴステスが配下に指示を飛ばす。闇夜にしばし命令を伝える手鐘が喧しく響く。

 あとはもう誰も話さない。

 足場の悪い地面を車輪がぶつかる音だけが響く。

 護衛の任にある者の長、ティグルもまた緊張していた。

 護衛稼業の者特有の、鋭い感覚が告げている。

――何者かが、われらを監視している。

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