獣の段通
最後の謁見。
この華美なる空間で、極めつけに醜い男、エラゴステスが進み出る。
「こちら、新たな意匠の段通にございますれば、ぜひともご覧いただきたく」
静まり返る謁見の間。
屋敷二つも入りそうな空間が、しらけている。
みすぼらしき物への嫌悪と悪趣味な期待。
エラゴステスは殊更ゆっくりと、献上品を引きずりだす。
一辺が六トルーキ強(約2メートル)の大きな布に包まれた、正方形の、厚み一トルーキ半(約45センチ)程の大きさである。
重量はずっしりとあるが、柔軟である。
「下らぬ。どうせ下々の使うような、安っぽい段通であろう」
「あのような物を、帝の御目に晒せば、死罪もありうる」
ひそひそとささやく声がある。
そいつらが面白がっている様子が背中に伝わる。
エラゴステスが段通を収めていた大きな袋布を引いてまとめ、後ろに下がる。真ん中が不格好に盛りあがっていて、高品質には見えない。
「では手筈どおり」
「よし。任せよ」
デルギンドリとティグルが折って重ねた段通の左右に着き、一気に広げる。
段通は九枚を、タテ三枚ヨコ三枚に並べ縒りまとめたもので、まず左右から戸を閉じるように折りたたみ、奥から手前に巻くようにまた折りたたんである。
その状態で下の二枚目と三枚目を横に開くと、上に乗っていた段通が、それ自体の弾力で一気に全面開く。
一人で一枚、計九人の職人を使った、歴史的大作である。
縦横十八トルーキ(6メートル)
節目も見えずピタリとつなげられた段通に、はみ出んほど大きな獣が織られている。
獣の姿は長い毛で、こんもりと織られ、毛の流れも相まって今にも呼吸しそうな生命感すら覚える。
「おお……なんと荒々しき……」
「まるで、生きているかのようだ……」
思いもよらぬものを見せられ、この空間に控えた者たちには、表現できる言葉が見当たらない様だ。
エラゴステスは、海千山千の商人らしく、短躯ながら朗々たる声で売り文句を開陳する。
「こちらは最高の職人をそろえ、五〇〇の日かけて制作した、新たに砂漠の伝説となった男が狩った、本物の“獣”と同じ大きさの綴れ織り、『獣の段通』にございます」
室内の空気が動揺してうねる。
その話がもし本当ならば、その男は全高十八トルーキ(約六メートル)、両腕をひろげた全翼十八トルーキもの、恐るべき巨獣を仕留めた事になる。
天井高きこの謁見の間でも、肩から上が入りきらぬであろう、宮殿の帝の寝室にすら届く巨大さである。
「倒した“獣”そのものを、そこに織りこんだと申すか」
羅紗のむこうで、雷鳴のごとき声がする。
「――いいえ、獣の皮は、すでに分解され、売り払われておりました故、別の獣の毛を用いております」
「そのような狂暴なる“獣”を、その男が倒したと、どうして信じられる」
「“獣”の頭を、ぶら下げて歩いてきた姿を、この目で見ております」
「体は見なかったと申すか」
「
「我らを謀るために、大きく見積もっているのではあるまいな!」
帝の言葉には、怒りの色がある。
ここで逡巡や宥めすかしなど怯えの気色を見せれば、一行の首飛ぶだろう。
「その男の邑の戦士が、巨体の全高両翼をば、計っておりました」
「砂漠の部族といえば字も持たぬ蛮族であろうが。その様なロバまがいの生活をしている者たちに、正しき大きさが測れたはずも無き!」
エラゴステスは直観する。
これは帝による、自分へ与えられた試験だ。
言葉は難癖だが、帝があの砂漠の戦士たちの実直な性質を知らぬ筈がない。
でなければあの戦士に、百数十日にわたってこの段通づくりを監視させた訳がないのだ。
「恐れながら、彼らは我ら商人と取引いたします故、計量はどの都市の両替商にも負けぬほど、正確なのでございまする」
「まだ申すか!」
「真実に、ござりますれば」
羅紗のむこうで、男が壇に足裏を打ち付けて立ちあがり、ドシドシと前進してくる。
――風を、読み誤ったか。
エラゴステスの全身に脂汗がドッとわく。
わきに控えたデルギンドリの、いまにも窒息死しそうな呼吸音が耳に障る。
ティグルは帝を弑してでも、自分の救出を試みるだろうか。
愚かしい推測である。
帝の支配地域はティグルたち山岳民族の郷国にも及んでいる。
この男が、自分たちの命ごときで故郷を滅ぼすような愚挙に出よう筈がない。
――ええい、この首持ってゆけ!
やけっぱちに覚悟を決めたエラゴステスの目の前の羅紗が、弾けるがごとく跳ねあげられた。
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