東の砦

 まず段通だんつうとはなにか。

 かなり厚手の絨毯の事である。

 この時代、制作の全ては小さな手具での手作業であり、機織り機で作る物に比べ、製造には膨大な時間がかかった。

 エラゴステスが依頼したのは、そういう製品であることを念頭に置いてもらいたい。


 数々の面倒な注文を受けてデルギンドリの実行した手段は、徹底したものであった。

 まずは郊外、ラバの荷車で二日ほどにある東の砦を用意した。

 実際の戦争にも使われるような、重厚な建築物である。

 元は諸侯の住処であったが、流行り病で血筋が途絶え、管理者がいなくなった所を、組合が買いあげた。

 流通倉庫などに使っていたが、此度の軍事的変動で流通が滞り、持て余していたというのが正直な所であった。

 砦の場所を教えると、現地も見ずにエラゴステスは、

「うむ。あそこならば、必要十分であろう」

と納得した顔を見せた。

 そこにデルギンドリは、職人を家族ごと住まわせた。

 生活物資と費用はすべてエラゴステスがもち、不便でないよう手配させた。

 各地で商談をいくつも抱えるエラゴステスが張り付いている訳にもゆかぬので、自然じねん、大部分の面倒はデルギンドリが見る事となる。

 一〇〇日が経った頃、砦を監視する者があらわれた。

 ちょうどエラゴステスは出ていた時期であった。

 丘陵に、背に低い小屋ができている。

 デルギンドリは組合の者を向かわせたが、そこはもうもぬけの殻であった。

 だがその小屋の主の、生活の痕跡が残っており、勘案した末、彼らを監視するための者がおり、その居住場所と結論づけた。

 小屋は破壊したが、監視者がそれっきり居なくなったとはいかず、長居の場所を別にこしらえ、昼間はこちらに気づかれぬよう行動を変化させた。

 それを受けて砦の警戒もげんにしたが、やりすぎてはエラゴステスとの巨大契約が露見しかねぬのが、厄介であった。

 斯様かような探り合いの最中にも、職人たちの生活物資が送り込まれ、それだけでこの中に如何なる人間たちが何人居るのか、知られてしまっただろう。

 時間と共に、さらに監視は大胆になり、新月の夜、見知らぬ者が歩いているのを、職人たちの妻が見た。

 泡を食って捜索したが、侵入者の痕跡は見つけられなかった。

 そのような夜が、三度五度とつづくうち、職人や家族は悪霊の仕業と怯えるようになり、さすがのデルギンドリも心身ともに草臥くたびれが顕れた。

――商人たちのように、軽業もできる警護を、新たに雇い入れるか。

 監視者に振り回され、このままでは仕事にならぬと、そんな事まで考慮した。



 二五〇日目、約定の日にエラゴステスが戻ると、デルギンドリは監視者の件を報告した。

「何か、手をつけられたものは?」

「判らぬ。壊されたり、失せたものはない」

「ふむ。ティグル!」

 呼ぶと、ティグルは足音も立てず、やってくる。

「何用か」

「ここを監視している者がいる。幾度か侵入もされたようだ」

「その者がひそむのは、南側の丘陵か」

「なぜ知っている」

 デルギンドリが驚く。

「この砦を監視するならば、そこが最良だからだ」

「ふうむ」

 読みの鋭さに、舌を巻く。

「調べた方がよいか」

 ティグルが問う。

「いや……」

 エラゴステスは暫し黙慮し、言った。

「大仰に動けば、焚火の爆ぜ石を弄りまわす事になるやもしれぬ。賊が次に侵入した際に、捕えよう」

「了解した」

 何を暢気のんきな、という気持ちにならないでもなかったが、デルギンドリもひとまずその方針にしたがった。


 エラゴステスが滞在して十日目であった。

 新月、侵入者があった。

 予めすべての灯りは落としてあり、備えは講じてあった。

 息を殺して耳をすませば、そよ風が葉擦れするような足音を、聞き取れただろう。

 砦は外部をのっぺりとした壁を成しており、内部は大きな吹き抜けのある三層の構造になっていた。

 いかなる手段を用いてか、侵入者は上部より来た。

 影が中庭に落ちぬ南側から侵入し、足の親指付け根のみを地につける歩法を用い、慎重に内部を進んだ。

 警備の一人が、闇の中身じろぎする。

 キ。

 床材が小さくきしむ。

 とたん侵入者は罠に気づき、経路を全力で逆もどりする。

「逃げるぞ! 捕えろ!」

 ティグルの大声での指示は、警備態勢が戦闘へ移行した事を意味する。

 十数名の組合の警備と、六名のエラゴステスの警備が事前の打ち合わせどおり包囲する。

 だが侵入者の足が速い。

 しかも手練れであった。

 守備が固めきらぬ場所を突き、小刀で警備を殺して槍をうばう。

 その槍で、さらに一人を殺し、一人に怪我を負わせる。

 そして悠々最上部から外に逃走した。

 だがつづいて最上部に着いたティグルが、座して矢をつがえる。

「エラゴステス! 如何にする!」

「殺せ!」

 侵入者はすでに壁を下り、地面を走っていた。

 砂漠ギツネを思わせるその素早く動く背中にピタリと狙いをつけ、ティグルが矢を放つ。

 キュウ、と風を割く音を聞いたか否か。

 矢はあやまたず、侵入者の背骨のわきを貫いた。

 驚いたのは、命中の感触があったにもかかわらず、男が倒れなかった事だ。

 数歩よろめき、また走りだす。

 ティグルは冷静にその背に狙いをつけ、二射、三射と矢を放つ。

 手負いで速度は落ちたが、左右に方向を乱しながら逃げることで、侵入者は矢道を逃れる。

——こちらの呼吸を読んでるのか。

 ティグルが矢をつがえ、二拍ずらして放つ。

 第四射が、侵入者の右ふくらはぎを貫通する。

 そして五射目、また矢が背を貫いた。

 胸郭下部の中央やや左、心臓の位置である。

 侵入者はしばらくヨタヨタと進み、槍にもたれるように立ち止まり、こちらを向く。

 その者が吠える。

 ティグルが立ちあがって相手を見る。

 山岳部族の優れた視力でこそ、この新月でも判ったのであろう。

――あれは……砂漠の戦士だ。

 勇壮で知られる、厳しい砂漠に生きる男たち。

 別動していた追跡者たちが侵入者をとり囲んだ時、男はすでに死んでいた。

 槍にもたれるようにして。

 立ち姿のまま。

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