獣の段通

ハシバミの花

異相の商人

 ここに一人の男がいる。

 名を、エラゴステスという。

 異相である。

 傴僂せむしの短躯に似合わぬみごとな商隊を率いている。

 砂塵に剛い荷車の造りとラバの数構成から、男が砂漠を征く行商人であることが判ろう。

 舞台は城砦の外側である。

 都市国家の外縁に張りつくように、地衣類が増殖するがごとく貧しい民民雑多に生きる生命感が混濁した地域、商隊はその最中にいる。

 見上げる空はもはや闇であった。

 都市の灯りに慣れた目が、星を認識しないのである。

「ティグル!」

 警備隊長を呼びつける。

「なんだ」

「連絡役を職人組合の施設に先行させる。一人警備をつけろ」

「承知した」

 重たい武器を携行しながら、飛ぶように部下のもとにゆく。配下の者たちの多くもまた、ティグルと同じ部族の出身である。彼らは指令を受け取ると、必要な者たちだけが即座に散る。

 足音をたてず走らずとも敏速に動ける山岳民族の戦士たち。

 彼らはきびしい砂漠において引く手のたえない技能者たちだ。

 ここは貧民街だが、さすがにこの規模の商隊を襲うような人間はいない。

 それでも先ぶれに護衛をつけたのは、運搬物がなにかを知られたくないからだった。それほど今回の荷は、今後に商機の広がりがあった。

――此度の商品、この商機こそ逃してはならぬ。

 エラゴステスの思いは強い。

 近年、砂漠の彼方にて生まれた、の歴史的偉業を目の当たりにした者でなければ、作りだせ得ぬ商材。

 そこまで意気込ませた商品。

 それは、伝説そのものである。

 それも、最新の。

 古き伝説が死に、その上に新たな伝説が生まれた。

 それを目の当たりにした価値。

 商人として身を成したエラゴステスが、それを売らずば何を売れというのか。

 急く気持ちを宥めつつ、ようやく目的地である段通だんつう組合の工房施設にたどり着く。

 全ての荷車を入庫させ、門をティグルたちに厳重に閉じさせた。

「何事か」

 工房は騒然とする。

 こんな夜半に、戸板をやかましく打ち鳴らし、押しこむがごとく入所した商隊があるのだから、やむを得まい。

「こちらは先触れを送ったエラゴステス。商人だ。施設長を呼んでくれ」

「無法な。今がいくつの刻と心得る」

 門番が苛立った声で叱責する。

 身の程わきまえぬ商人の横暴とでも思っているのであろう。

 エラゴステスも、商売のためにそうしているのだから、あながち間違いでもない。

「先触れを出したとおりだ。施設長に面会を求める」

「無法であるぞ」

 門番はあくまで通常の仕来りを押し通そうとする。

 しばし双方睨みあいとなる。

「商人エラゴステス。不躾ではないか」

 施設長のデルギンドリが不機嫌を隠そうともせずに応対してくる。

「許せ。事情がある。話があるから人ばらいを願いたい」

「いかなる事情か」

「それも話す。まずは商隊を迎え入れてもらいたい」

 デルギンドリが考える時間はわずかであった。

「門に閂をかけ、警備を表につけよ! 荷車は奥へ!」

 エラゴステスの言葉は無礼に無礼を重ねるようなものであったが、デルギンドリは一先ずそれ以上の追求をやめる。

――真に退っ引きならぬ事情があるのだ。

 深く知る仲ではない。だがお互い駆け出しの頃から知っている。

 ゆえに通した。

 エラゴステスも同様である。デルギンドリが多少の失礼を理由に、商談を反故にするはずがないと知っていた。

「商人エラゴステス! 来られよ!」

 デルギンドリが執務室に呼び入れる。

「ティグル、万事仔細任せた」

「承知した」

 二人は執務室に消える。


 デルギンドリの執務室は、風通しよいが音は漏れぬ構造になっている。

 工法と部材の両方を駆使して作られた、この都市建築技術の精髄である。

「まずは先程の失礼を謝罪する。すまぬ事をしたし、助けられたと思っている」

「謝罪は受けた。その事ふくめ、記載しておく」

 デルギンドリがエラゴステスをうながして座らせる。

 施設の長として、もう十年も組合を取り仕切っているのがこのデルギンドリだ。

 施設の長は、すなわち所属する職人たちの長である。

 歳の頃はエラゴステスと同じ程、

 加齢で頭はつるりと禿げ上がり、腹が出てきている。

 恰幅の良さとは裏腹に、目元には隈が染みついて、いつも何かを疑うような表情をしている。

 デルギンドリが、慎重な手つきで水差しを傾け、器に水を注ぐ。

「長旅、さぞや苦労であったろう。まず落ち着かれよ」

「気遣い、いたみいる」

 この城塞都市の国教の作法どおりに指でまじないを切り、作法どおりに半分を飲む。

「なんとも清浄なる水だ。この都市の治水事業の質の高さが、これだけで知れよう」

「なんの。これも信仰のたまもの」

 作法どおりのやり取りをつづけているが、エラゴステスの内心は急きに急いている。

――だがそれを顔に出す訳にもゆかぬ。どこから話が漏れるか知れぬ。

「――して、商人エラゴステス。用向きは」

「……まず、人ばらいを確認したい。この話、ほかの商人に漏れては困る」

 デルギンドリはうんざりした。これまでの非礼を謝罪したと思ったら、その上にまた非礼を重ねてきたのだ。

「そこを疑われては話も出来ぬ。一切合切まとめてよそに持ちこんでくれ」

「まことに、重要な話なのだ」

 エラゴステスはそう言ったきり、口を開かなくなる。

 目はデルギンドリにびたとすえられ、寸とも揺らがない。

 デルギンドリが任されているこの組合施設は高い技能と豊富な人材で知られており、太い客もつかんでいる。

 エラゴステスもその太客の一人ではあるが、どのような商談を持ち込まれようと、施設での横暴は許されない。

――蹴りだしてしまおうか。

 本気でそんな事も考える。

 だが軽挙を慎みたい事情もある。

 東の都市国家が侵略され、敵対勢力に蹂躙されたという。

 現在そちら方面の流通が滞り、都市全体に不安の風が吹いている。

 今、評判を落としたくはない。

 エラゴステスは微動もしない。

 焦りは見えるが、取り乱してはいない。

「……この名にかけて、話は漏れぬと保証する。必要であれば、そう記載しておくが」

 ふ、とエラゴステスが吐息をつく。

「記すには及ばぬ。貴殿の考えを聞きたかっただけだ」

 デルギンドリは苦い顔を隠しもしなかった。

「して、如何なる相談か」

「職人を借り受けたい。腕がよく、なるべく口の固い者を」

「制作の注文ならば、画師を寄越すが」

 ここでの画師とは、注文の書取りをする職人である。意匠なども行う。

「なによりも意匠が貴重なのだ。そして材料も特殊である。秘密こそが価値。故に、腕と口の固さを求めたのだ」

――面倒を持ち込みおる。

 デルギンドリの泥水を飲んだような顔は、作ったものではない。心から迷惑と感じている。

「であれば、場所も必要となろう。当てはあるのか」

「それも、貴殿に頼みたい。あちこちに借りを作っては、隠し事もない」

 秘密を守りたければ、関係する者を増やさぬが常道である。

 デルギンドリは算段する。

 まず職人だが、これにはあてがある。

 次に場所。

 これが難儀で、単純に製造品の守秘ならばこの館である。

 だがそれだけでは職人同士の口づてで、話が外に伝わってしまうだろう。

 秘密厳守となれば、完成までの期間職人たちを外界から隔離せねばならぬ。

――自分の邸宅に呼ぶか。

 デルギンドリは、施設長用の大きな屋敷を与えられている。臨時の倉庫にも使う館で、広さは十分。警備も行き届く。

――だが駄目だな。職人がじっとしていられる訳がない。

 職人というのはどいつもこいつも我が強く、取り纏めには並大抵ではない力がいる。

――生活を、切り離さねばならぬ。内部で飯から下の世話まで、すべて賄える、しかも外と隔絶された施設。

「安くはならぬぞ」

 相当な難題である。職人も渋ろう。買い叩こうものなら、今後エラゴステスとの取引を切るつもりで言った。

「無論である。報酬は十分に用意する。一切合切を、貴殿に任せたい」

「して」

 デルギンドリはやっと、という顔で、その依頼内容に話を進める。

「如何なる意匠なのだ?」

 エラゴステスはつぶさに語って聞かせる。

 あまりに手間のかかる計画に、デルギンドリがぶっすりと言う。

「それでは職人が、九人は必要だ。しかも、完成までに五〇〇日近くかかってしまうぞ」

「無論。仔細承知の上だ」

 エラゴステスは報酬を提示し、デルギンドリは了承した。

 至急書面を用意させる。

 エラゴステスの署名を待ち、デルギンドリが最高級の酒を、二つの酒器に注ぐ。

「砂と戦の神に」

「栄えある帝国に」

 こうして、稀にみる大型契約は無事結ばれ、両名長き職務の中で初めてともいえる巨大事業が動き出した。

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