第19話

 新しい春。美羽たちは2年生になった。そして、同級生は10人に減った。


「まぁ、学費が高いからな。遊ぶためだけに使える金額じゃねぇだろ」


 博之は軽い調子でそう言っていた。3年生になった3人とは時間が合わなくなり、自然と遊ぶ回数も減った。


「なぁ、1年を一般公開に誘ってみようぜ」


「まだわからないだろ。誰が月光園志望か」


 遊びを求める博之に、康介が呆れる。


「月光園に就職する意思がない人とつるむなんて、無意味だよ」


 杏珠もそれに同意する。


「そうか?」


 交友関係が広い博之は、安珠や美羽の気持ちがわからないらしい。


 今年からは月光園での実習が始まる。遊んでいる暇も惜しい、というのが正直なところだ。


「美羽ちゃん、ここのところだけど」


 京も教科書を開いている。学年が変わり、仲間内の空気感も変わった。




「飼育員の前田だ」


 2年生になり、週2日は月光園で勉強する。人手不足のせいで大学まで来られない飼育員たちに、より実践的な知識を学ぶためだ。


「よろしくお願いします」


 月狼の細かい生態や歴史の授業。より専門的な知識をつめこむ。


 余計なことは考えなくていい。美羽はただひたすらに月狼に向き合った。




 それから数日間で、月光園に通う同級生はもっと減った。残ったのは、美羽たち5人だけだった。


 大学に行けば他の5人も勉強をしているのだろうが、月光園を目指しているわけではなかった、ということか。


「減ったよな」


「元々少なかったけどね」


 15人が多かったのか少なかったのか。今となっては多かった気もする。こんなに減るとは思っていなかった。


「わたしたちは真面目にやるだけよ」


 美羽は真っ直ぐな目でそうつぶやく。


「月狼のためにね」


 杏珠もそれに賛同してくれた。




「女子はこっち、男子はこっちを持ってついてこい」


 指示された通りのものを持って、飼育員の後をついていく。ツンと鼻をついた匂いは、おそらく牧草。月狼たちの餌に混ぜられるものだ。


「月狼は、胃腸を整えるのに草を食べる。主食は肉だけどな。その割合は……っと、習ったか?」


「え、肉7に草3ですか?」


「個体によって違います」


 問われた博之の答えにかぶせるように、美羽が答えた。


「どっちも正解だ」


 そんな美羽に、飼育員は目を細める。


「教科書では7対3で習うよな。けど、実際は個体によって大きく異なる。胃腸が弱くて牧草を多く摂った方がいい月狼もいるし、野菜嫌いで肉しか食わないやつもいる。担当を持つようになれば、担当する個体の好みを覚えるのも重要だからな」


 事務所の隣、ゲートのすぐそばにある広い調理場


「野菜はこっち。肉はそっちに置いてくれ」


「はい」


「それ終わったら外の掃除な」


 雑用係とはよくいったもので、月狼たちに直接かかわる以外のことは何でもさせられるのだ。




 月光園での実習を終え、美羽は迎えに来た車で帰宅する。


「おかえりなさいませ」


 出迎える世話係に荷物を渡すと、


「リビングにお客様がいらっしゃっておりますよ」


 と教えてくれた。


「お客様?」


「はい。坊ちゃまの婚約者になられる方とか」


 なんだ、と思った。結局逃げなかったのか。


「……そう」


 美羽はそのまま、リビングを通らない方の階段から部屋にあがっていく。


「お会いになられないのですか?」


「わたしの意見なんていらないでしょう。会う必要があるなら呼ぶはずよ」


 部屋に入り、さっそくシャワー室に入った。汚れと、疲れと、様々な暗い気持ちを押し流す。


 それでも気分がさっぱりすることはなく。疲れているから早く休もうとシャワー室から出た時、


「お嬢様、旦那様と坊ちゃまがお呼びですよ」


 と知らされた。


「……着替えたら行きますと伝えて」


 仕方がない。会えと言われるなら、会ってやればいい。


 シンプルなワンピースを選び、髪を乾かしてから、リビングに降りる。


「お父様、お兄様。ただいま戻りました」


 まずは2人に挨拶。そして、兄の隣に座っていた女性に目を向ける。


「お邪魔してます」


 柔らかい微笑みの女性だった。


清水しみず英恵はなえです。よろしくね、美羽さん」


 美羽でも知っている、大企業のご令嬢。


「美羽、座って」


 兄の声が自分に向けられたのはいつぶりか。美羽はその言葉に従って、兄の向かいに座る。


「那月さんに似ていらっしゃるのですね。かわいらしい方ですわ」


 確かに幼い頃は兄妹で似ていると言われていたか。


「英恵さんは大学生ですか?」


「えぇ。英星学院大学の3年生です」


 兄と同じ大学の1学年下。いつから付き合っていたのだろう。美羽には関係ないことか。


「兄をよろしくお願いいたします」


 美羽はそれしか言えなかった。




 翌日、美羽は玄関に出て行くと、父と兄の姿があった。兄が4年生になったため、父の仕事に同行することが増えた。いずれその地位を継ぐものとしての研修みたいなものだろう。


「おはようございます、お父様、お兄様」


 昨夜のことには触れない。ただ冷めた声で挨拶だけする。


「お嬢様、こちらを」


 世話係がバッグを差し出す。


「ありがとう」


 お礼を言って受け取り、


「今日は遅くなるわ。夕飯もいらないから」


 と告げる。


「かしこまりました」


 父や兄からの言葉はない。答えたのは使用人だけだった。


「行ってまいります」


 そして父にそう頭を下げ、美羽は先に車に乗り込み出発した。


 この間、兄が美羽に声をかけることは、一度もなかった。




「かんぱーい!」


 賑やかな大衆居酒屋。グラスをぶつけあう音が響く。


「いやぁ、1年生が5人も月光園に興味あるなんてな!」


 博之が嬉しそうに言う。ソフトドリンクだというのに、大盛り上がりだ。


「まぁ、興味あるっていうかぁ、こういうの楽しそうだしぃ」


 1年の女子が長い爪をいじりながら答える。


「えっと、美冬みふゆちゃんだっけ?月光園にはあんまり興味ない感じ?」


 杏珠が声をかけてみると、


「まぁ、行けたらいく~、みたいな?」


 という答え。この程度のやる気で月狼学科に受かっているのだから、選考基準を知りたいところだ。


「あ、月光園に就職するつもりなら、公開日には行った方がいいぞ!月狼学科の学生は割引されるからな!」


 ここぞとばかりに宣伝する博之には、


「先輩たちは毎回行くんですか?」


 1年生男子の1人が聞いた。


「まぁ、毎回ってわけじゃないけどな。1年の時は毎月行ってたかな。学校の授業よりも月狼を観察する方が有意義だし」


 冷静に説明する康介に対し、


「幼獣はすぐ人の顔を覚えるんだぜ。知ってる顔だってわかったら、めっちゃ尻尾振って駆け寄ってきてくれるんだ、めっちゃかわいいぞ!」


 博之は相変わらず軽い調子。しかし、1年生のウケはあまりよくない。


「月狼学科ってテストとか単位ないって言いますけど、進級って何すればいいんですか?」


「えー?オレらは普通に月狼の勉強してたしなー」


 なんだ、上級生との縁をつなげたかっただけか。


 もし美羽たちの世代を豊作というなら、今年の1年生は不作、とでもいうのだろうか。


 美羽は興味がなさそうにジュースに口をつけた。


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