第18話

 それからも美羽は、友人たちと出かけた。


 学校の帰りにご飯に行ったり、休日に出歩いたり。楽しい一日を過ごすと、兄からの小言が待っている。その不快感が嫌で。家から逃げるように、遊び続けた。




「みんな!」


 杏珠が長い道をパタパタと走ってくる。


「遅いわよ、安珠」


「ごめんって!」


 普通に学校がある平日。しかし彼らの姿は、月光園の前。


 月狼に関する授業がないとわかり、せっかくならと一般公開の日に月光園に集まることになった。


「じゃ、行こうか」


 1年生の5人と、2年生の3人。この8人で遊ぶのも日常になってきた。


「しっかし知らなかったな~。明泉大の学生だと、割引されるなんて」


「月狼学科の学生だけですよ」


 2年生でも知らない情報を教えてくれたのは杏珠だ。


「お父さんにもっと言っておかなきゃ。もっと表に出して宣伝しなきゃって」


 杏珠が教えてくれなかったら、高すぎる学費を払う上に入園料も払わなければいけないと、月光園に来ることはなかっただろう。


「勉強のためでしょうね。月狼の生態を学ぶには、実地研修が一番っていう」


 美羽が冷静に分析する。


「なんだっていいじゃん。楽しもうぜ!」


 江崎は相変わらず明るい。


 受付で学生証を見せると、


「ハハッ、まさか明泉大の学生証で入るやつがいるとはな」


 受付にいた男性が笑った。


「え、堂島先輩、なにやってんっすか?」


 江崎が話しかける。


「3年生の先輩だよ」


 1年生組に望月が教えてくれた。


「3年からは公開日に手伝わされるんだ。受付とか売店とか裏方だけどな」


「3年と4年ってことですよね。今何人くらいなんっすか?」


「3人かな」


 2学年合わせても3人だけ。それも就職となれば、おそらくもっと減る。


「遊びで入れるのは2年までだからな。楽しんでこいよ」


 堂島は笑顔でチケットを渡してくれた。


 ゲートを潜れば、そこはもう異世界。


「何度見ても圧巻だね……」


 京がつぶやく。


「ここで働くことになるんだ。イメージしないとね」


 康介の言葉に、


「んー、イメージ、イメージ……」


 博之がその場に立ち止まって頭を抑える。


「ほら、止まらないで。さっさと行くよ」


 その背中を杏珠が押した。


「今日は、ふれあいはやってないみたいね」


「残念。まぁ、月に1回あればいいほうだから」


 美羽の残念そうな声に杏珠が答え、興味津々に近づいてきた幼獣たちを見つめる。


「キャン!」


 遊ぼう、遊ぼう、と無邪気に駆け寄ってくる幼獣はかわいい。


「癒されるね」


 京と微笑みあい、美羽も幼獣たちの前に身を屈めた。


「ん、やっぱ実際見る方が勉強になるな。ほら、ここがさ」


「ちょっと。せっかく遊んでるんだから、勉強持ち出さないでよ」


 月狼たちを気遣っていつもより抑えめに、それでもいつも通り元気に言葉を交わす友人たちに、美羽も微笑む。


「そっち」


 松山が隣で少し先を指した。


「え?」


 その指の方を見ると、小さなモルモットのような幼獣がもぞもぞと動いていた。


「わぁ、かわいい……!」


 この大きさ。きっと1歳に満たない幼獣だ。飼育員でも滅多に見れないという。


「あ、すみません」


「いや、いい」


 思わず声を出してしまったことを謝ると、彼はふっと微笑んだ。松山の笑顔を初めて見た気がした。


「初めて見ました」


「俺も」


 どうやら彼は、幼獣のことだと思っているらしい。小さな幼獣を見つめる眼差しは優しくて。美羽はふっと微笑む。彼の目に、美羽は映っていないのだ。




「さて、暇になったな」


 月光園での時間を堪能し、一行は施設の外に出る。割引してもらっているのに長居したら、園に迷惑だから、と早めに切り上げた。


「この後、どうする?」


「いつもの流れなら、カラオケじゃないっすか?」


「いいじゃん」


 テンプレートというものができあがってきている。


「美羽、帰らなくて大丈夫?」


 いつものごとく心配そうな杏珠に、美羽は微笑む。


「大丈夫。これくらい許してもらってるわ」


「お、反抗期か?派手にやれよー!」


 江崎の言葉に、美羽は楽しそうに笑った。




「美羽」


 夕食を食べて帰宅すると、兄のお小言が待っている。これも日常になってしまった。


「遅くなるなら連絡くらい」


「したわ」


 確かに連絡は入れた。その後の兄からの着信は無視しているのだが。


「連絡したら出るくらいのことはできるだろう?」


 さっさと階段を上がってく美羽に、兄はしつこく話しかけてくる。


「電話に出たら、何を言うつもりなの?」


「え?」


「必要なことは全部メッセージに書いてるでしょう。他に何の情報が必要なの?」


 そう言われて、兄はうっと口ごもる。


「……心配、なんだ」


 兄の顔が、寂しそうに歪む。


「美羽が、悪い友達と付き合ってるんじゃないかって、心配してるんだよ」


「……わたしの友達まで悪く言うの?」


 兄からの言葉に、美羽がぐっと怒りをこらえる。


「そうよね。お兄様には想像できないわ。お兄様は、自分がいるところしか見てないもの。その外に世界が広がっていることなんて、知ろうともしてない」


「そういうわけじゃ」


 聞きたくない。兄の言い訳の言葉なんて。


「わたしは」


 つい声が大きくなってしまった。


「勉強が、したい。大学の勉強だけじゃないの。知らないことが多すぎるのよ」


 たくさんの友達を得て、知ったこと。ずっと目を向けなかったこと。


 新しい経験が、自分を成長させてくれる。美羽はそう思っていた。


「お兄様にはわからないわ」


 その言葉を最後に、兄はもうついてこなかった。




 それから兄妹の間に会話はなくなった。兄と2人きりになる送迎の時間も避けた。食事の時に一緒になっても、言葉を交わさなくなった。


 美羽にとって、兄は母の代わりだった。亡くなった母の言葉を伝えてくれる人物だった。


 その言葉を失くした今。美羽は、自由になれるはずだった。




「お父様、わたしです」


「……入れ」


 美羽は1人で父の書斎を訪れた。


 大学は休み。友達と遊ぶ予定も入れていない。兄は、予定があるのか家にはいない。


「お父様」


 書斎机の前に立ち、美羽は両手に力を込める。


「社交界をお休みさせてください」


 許してもらえるだろうか。兄がこの場にいれば、怒られるだろう。だから、兄がいない今のタイミングを狙った。


「理由は?」


 ハッと顔を上げた。まるで、全て見透かされているかのような、鋭い眼光。


「……勉強に集中したいからです」


 兄を避けるため、なんて理由が受け入れられるはずがない。美羽は視線を逸らしながら答える。


「わかった」


 父は低い声で頷いた。


「いいんですか?」


 思わず聞いていた。


「お前が決めたことだろう。好きにすればいい」


 意外にもあっさり認められてしまった。


「大学を卒業したら復帰します」


 美羽はそう残して立ち去ろうと踵を返す。


「那月のことは、いいのか?」


 その背中に、父の言葉が向けられた。一瞬だけ、後ろ髪を引かれるような感覚。その小さな感触から逃れるように、


「……お兄様も、わたしみたいな落ちこぼれとは、口もききたくないでしょうから」


 と口早に告げる。


 小さい頃が懐かしい。あんなに仲のいい兄妹だったのに。もう元には戻れない。


 書斎を出て、ふっと息を吐く。寂しい。


「……気のせいよ」


 胸の中にぽつりと浮かんだ言葉を、美羽は自ら否定した。



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