第16話

 きらびやかな世界。一流ホテルの大きな会場を貸し切って行われるイベント。


 聞こえるのは、さざなみのような会話に、上品な笑い声。そんな中で、美羽はうんざりしていた。


「九條様のお嬢様も、とてもお綺麗で……」


 またか、と微笑む。お世辞なんていらない。そんな乾いた言葉なんて、嬉しくも何もない。


「ありがとうございます」


 しかし、それを顔に出すことはできず、美羽は笑顔を貼り付けた。


「ご子息と同じ大学に通われると思っていましたのに」


 美羽と年齢が近い息子を英星学院大学に送り込んでいた親たちは、大慌てだろう。違う大学では、美羽との接点も持てないのだから。


「兄とは違う世界を見てみたいと思いましたので」


 美羽は笑顔を貼り付けて答える。中には、あからさまに


「九條会長、当家の愚息ですが、お役に立てるかと」


 と父に紹介してくる人までいた。美羽はひきつらないように表情を保つので精一杯だった。




「はぁ……表情筋つる……」


 家に帰ってすぐ、ソファに倒れるように座り込む。


「もっときたえなきゃね」


 兄は平然としている。笑顔を貼り付けることに慣れた人間だ。


「お兄様と違って嘘はつけないの」


 美羽は唇を尖らせる。


「これで三度目だ。そろそろ慣れてきたんじゃない?」


「慣れるも何も、ただ笑って立ってればいいだけでしょう。あれじゃあただのお人形よ」


 不満だった。父や兄のそばで褒められるだけのお人形はイヤだ。自分を自分として認めてくれる、1人の人間として愛してくれる人はいないのか。


「美羽」


 父が娘を呼ぶ。美羽はぐっと視線を向けた。


「好印象を持った相手はいないのか」


「え?」


 その言葉に、美羽は驚いた。


「社交界の人間には一通り会ったはずだ」


 今まで会った中で選べと?これからの人生を共にする伴侶を?そんなの嫌だ。


「……残念ですが」


 できるだけ表情に出さず、冷静に答える。


「学生の間、恋愛をしている暇はありません。勉強に集中させてください」


「美羽」


 那月が妹を止める。


「父さんに甘えすぎだよ」


 兄からすれば、妹という立場で自由な就職が許されているのが不満なのだろうか。


「文句があるなら、お兄様も好きにすればいいじゃない」


 これには美羽も言い返す。


「勝手にお父様のお人形になっておいて、わたしがそこから外れたからって妬まないで」


「そういうつもりじゃないよ。ただ父さんの立場も考えて」


 兄は、後継者として家のことを考えている。それはわかっているのに。それを強要されるのが、気に食わない。


「わたしの結婚くらいでどうにかなる立場なら、さっさと引退なさればよろしいのでは?」


「美羽!」


 ついに那月が声を荒げる。それを止めたのは父親だった。


「落ち着きなさい」


 兄妹喧嘩を仲裁する父に、


「わたしは落ち着いていますわ」


 と美羽が答える。


「わたしの結婚がお父様のお仕事に関わるのなら、相手はお父様とお兄様で勝手に決めてください。どうせわたしが何を言っても聞かないんでしょうから」


 気持ちを全て吐き出し、兄の言葉を拒絶して、さっさと階段を上がっていった。




「美羽」


「いってきます」


 兄の声を遮り、兄の方を見ることもなく、車を降りる。


「よう」


 大学の構内に足を踏み入れた時、後ろからトンと肩を叩かれた。


「ヒロ」


 博之はいつもの調子だった。


「おはよ」


「えぇ」


「車通学か。おしゃれだな。しかも高級車」


「家が過保護なだけよ」


 走り去った車を見ながら言われ、美羽は不機嫌そうに返す。


「金持ちのお嬢様は大変だな」


 博之の何気ない言葉が胸に刺さる。自分は普通にはなれないのだと言われているようで。


「おはよう、美羽」


 教室に行くと、安珠と康介が話していた。


「これ、昨日の講義」


「ありがとう」


 授業の様子を録画してもらい、そのデータをもらう。社交界がある日はこうやってのりきっていた。


「で、不機嫌の理由は?」


 杏珠が率直に聞いてくる。付き合いの長い杏珠は、すぐに察していたらしい。


「お兄様と喧嘩したの」


「あら、珍しい。シスコンなのに喧嘩とかするんだ」


「大丈夫?」


 心配してくれるのは康介だけか。


「お父様のことを考えて結婚しろってうるさいから、そこまで言うなら相手は勝手に決めてって言ってやったわ」


「うわぁ、別世界~」


 博之は他人事だとのんきなものだ。杏珠はよしよしと美羽の頭を撫で、


「で、結婚するの?」


 と聞いてくる。こちらも他人事なのに変わりはない。


「しないわよ。学生の間は恋愛する気もない。勉強だけに集中したいの」


「まっじめ~」


 ひゅーとバカにしたような口調は、博之の個性。特別な意味がないことは、もうわかってきた。


「あ、そうだ。今日さ、2年の先輩とメシ行くんだけど、お前らも行く?」


 博之はこういう処世術が上手い。


「月光園を目指してる人たちだから、授業のこととか聞けるかもだぞ」


「わたしは別に聞かなくても、お父さんも兄貴もいるし」


「行くわ」


 断ろうとした杏珠を遮って、美羽が答えた。


「ちょっと、本気?また怒られるよ」


「交友を深めるだけよ。喧嘩してるんだもの。大人しく帰るわけがないじゃない」


「反抗期ね。まぁ、わかった。美羽が行くならわたしも行く」


「よっしゃ。先輩に伝えとく」


 博之がスマートフォンを取り出した時、


「ねぇ、それ、わたしも行っていい?」


 後ろから声がした。


「おわっ」


 博之の後ろに小柄な女子が立っていた。


「わたしも、月光園のお話、聞きたいな~って。ダメかな?」


「いや、おっけー、おっけー。佐倉さんも月光園志望だっけ?」


「もちろん!」


 小柄な身体に似合わない、勢いのある人だ。


「……だれ?」


 美羽がそっと杏珠に耳打ちする。が、安珠も首を傾げた。美羽よりも交友関係が広い杏珠が知らないなら、美羽が知っているはずがない。


 その様子を見た女子が、美羽と杏珠の方を見る。


佐倉さくらみやこ。京都の京って書いて、ミヤコって読むの」


 とニコッと笑った。




「え、じゃあミヤちゃんって年上?」


「そうそう。2年浪人しちゃって」


 その日の昼食は賑やかだった。


「すっげぇ。倍率高いとはいえ、浪人した人って会ったの初めてかも」


「まぁ、月光園志望じゃなきゃ浪人してまでこの学科に入らないし、1回で諦めちゃう人は多いよね」


 博之の軽い賞賛に、京は明るく答える。


「京さんは、月光園に入りたくて入学したんですよね」


 その輪の中に杏珠も入っていく。


「もちろん。小さい時に月狼を見てから、この子たちのそばにいたい!って思ってたの。やっと夢が叶いそうで嬉しい」


 美羽たちよりも2歳年上。童顔で小柄なその外見からは想像もできない、あふれ出るエネルギー。美羽は感心するばかりだった。


「この代で5人が入職できれば豊作だね」


 杏珠が笑った。


「実際、毎年何人くらいが入ってるんだ?」


「1人か2人だよ。3人入れば奇跡って言われてる」


 恒例の杏珠の内情暴露に、京が不思議そうに杏珠を見つめる。


「あ、こいつ、月光園の久野園長の娘なんだって」


 博之がそんな京に説明した。


「わぁ、そうなんだ! すごいね!」


 京は小さく拍手する。


「すごくない、すごくない。たまたまだよ」


 杏珠が嬉しそうに答えた。


 そんな様子を、美羽は黙って見つめていた。自分以外に4人。月光園で働くことを希望する若者たち。その輪の中に自分がいることが、不思議だった。


「美羽? どうかした?」


 黙り込んでいた美羽に、安珠が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「なんでもないわ」


 美羽はそう笑った。


 気を張らなくていい。特別扱いもされない。この空間は居心地がよかった。


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