第13話

「みーう!」


 胸元のリボンを揺らしながら、友人が走ってくる。その手には卒業証書の盾を持って。


「転ぶわよ」


「大丈夫!子ども扱いしないでよ!」


 そうして杏珠は、美羽に飛びつく。


「卒業おめでとう!」


「杏珠もね」


 美羽は笑顔で答えた。


「合格発表は明日だけど、大丈夫そうね」


「あー、もう!それ言わないで!がんばって忘れてるの!」


 意外と明るい友人にそう言えば、安珠はふくれた。


「大丈夫って言ったでしょう?」


「そんなのわかんないじゃん!」


「はいはい」


 繊細な友人の頭を撫でて、その後ろを見る。


「ご両親がいらっしゃったのね」


「最後だからってね。美羽の方は?」


「さっきまでお父様がいたけど、お仕事に戻られたわ。お兄様は先生にご挨拶に行くって」


 わざわざ仕事を抜けて式だけ参加した父にもびっくりだが、大学を休んで妹の卒業式に顔を出す兄もおかしいと思う。かつてお世話になった恩師に挨拶するためだったのだろうか。


「美羽」


 そこに、兄が戻ってきた。


「やぁ、安珠さん。久しぶりだね」


「……どうも」


 杏珠は美羽を抱きしめて那月から距離を取る。未だに嫌っているらしい。


「お兄様、先に車に戻って。すぐ行くから」


「わかったよ。また後でね」


 兄を追い払い、美羽は友人を引き離す。


「明日が楽しみね」


「緊張しかないけど?」


「やれることはやったんだもの。あとは神頼みくらいじゃない?」


 美羽の笑顔に、安珠は少し考え、


「今から神社にでも行く?」


 と答える。


「残念だけど、遠慮しておくわ。これからお母様のお墓に行くの」


「そっか」


 本当なら家族3人で行くところだった。父が緊急の仕事が入ったというから、仕方がない。


「じゃあ、またね」


「大学の入学式に会えるといいわね」


「いじわる!春休みの間に遊びに行くよ!」


「はいはい」


 唇を尖らせる友人に笑い、美羽はその場を去った。




「美羽、まだ?」


 隣から兄の切迫した声が聞こえてくる。


「まだだから。落ち着いて」


 PCの画面で時計を見る。合格発表の時間まで残り数分。リビングでPCを開いているせいで、父もいるがソファで新聞を読んでいる。


「緊張するね」


「しないわ」


 兄の声に、美羽は笑う。うそだ。きっと、兄の何倍も緊張していると思う。マウスを握る手に汗がじわりと滲んできて気持ち悪い。


「なった」


 兄の声が聞こえた瞬間、反射的にクリックしていた。大学のホームページを開くと


「……なんで」


『アクセスが集中しています』の文字。


「明泉大は受験者が多いから……。もう一回してみよう」


「え、えぇ……」


 美羽がそう頷いた時。美羽のスマートフォンに電話がかかってきた。


「あぁ、もう……。お兄様、見てて」


 美羽はPCを兄に頼んで電話に出る。


『美羽!』


 杏珠だった。


『受かった!受かったよ!』


 かなり興奮しているようだ。


「おめでとう」


 美羽も興奮を抑えて応える。


『あら、冷たい』


「当たり前じゃない。これくらい当然よ。わたしたちはその先を見てるんだから」


 そう言いながら、美羽は口元に手を当てて笑みを隠す。見られているわけでもないのに。


 やっぱり、友人の嬉しそうな声は嬉しい。友人と喜びを共有することが、こんなにも嬉しいものなのか。


『美羽は?番号あった?』


「まだ見てないわ」


 そう答えた時、


「美羽、見えたよ」


 兄に呼ばれ、美羽はハッと振り返る。慌ててPCに駆け寄り、受験票を手に番号を探した。


「……っ」


 言葉が出なかった。


『美羽?』


 電話の向こうから聞こえる、安珠の心配そうな声。


「……ある」


『え?』


「受かったわ」


 その瞬間、美羽の肩からふっと力が抜けた。


『ほんと!?』


「えぇ。確かにあるわ」


『やったぁ!これでまた一緒ね!』


「えぇ」


 杏珠との電話を切ると、


「美羽、おめでとう」


 兄が微笑んでくる。


「これくらい当然よ」


 美羽はそう言って、リビングから出て行く。


 部屋に飛び込んだ瞬間、ベッドに倒れこみ、お気に入りのぬいぐるみを抱き寄せる。


「……ふふ」


 小さく笑って、コロンと転がった。




 その日、美羽は家族の許しを得て外出した。春休みということで、安珠からショッピングに誘われた。


「大学だよ!?ちょっとはオシャレな恰好しないと!」


 らしい。


 美羽の方は特に気にしていなかったが、それなら、と付き合うことを決めた。


「ねぇ、美羽、こっちと、これ。どっちがいいかな」


「杏珠にはこっちの方が似合うんじゃない?」


「え、そう?じゃあこっち買う~」


 美羽が来たことのないショッピングモールは、全てが新鮮に見える。


「美羽は買わないの?」


「服には困ってないわ。お兄様が勝手に買ってくるし」


「それはそれで怖いけど。なんで妹のサイズ知ってるのよ」


「知らないわよ。お兄様に聞いて」


 それはそれで話したくない、と杏珠は服を選びながら答える。


「杏珠はお兄さんに買ってもらわないの?」


「ないない。兄貴がわたしの服買ってきたら、何企んでるのか気になるよ」


 そういうものなのか。そういうところで、自分の家庭は特殊なのだと知る。


「あ、でも、お母さんはたまに買ってくるかな」


「お母さん?」


「うん。たまにだけど、お母さんとは買い物とか行くよ」


 美羽に母親の記憶はほとんどない。こういう時は羨ましいと思う。


 母親がいたら、一緒に買い物することもできたのか。少し寂しい。


「美羽は行くならお兄さん?」


「……そうね」


 父親と買い物なんて想像もできない。休日も関係なく仕事で忙しい父に、そんな暇があるとも思えない。


「普段はどういうところに行くの?」


「普通の百貨店よ。お父様のお知り合いが経営しているところだから安心だって」


「……相変わらず別世界だよね」


 呆れる杏珠に、美羽は考え込んでしまった。やはり自分の常識はずれているらしい。


「ねぇ、安珠は?他の子と買い物行く時とか、どこに行くの?」


「んー?そうねぇ……。ごく普通だと思うけど、たぶん美羽にとっては普通じゃないよね」


 今まで友人といえる友人がいなかったせいで、気づくのが遅くなってしまった。


「わかった。今日は、わたしのおすすめのデートコースを紹介してあげる!」


 不安そうな美羽に相反して、安珠は楽しそうに声を上げた。




「今日は遅かったみたいだね」


 夕飯の時、兄から話しかけられた。


「杏珠と遊びに行くって言ったはずだけど?」


「わかってるよ。さっき帰ってきたんだろう?」


「門限は破ってないわ」


 夕飯までという杏珠の誘いを断ったのだから、褒めてほしいくらいだ。


「タクシーで帰ってきたんだろう?遅くなる時は連絡してね。迎えにいくから」


「遅くって……」


 夕飯に間に合うような時間に帰ってきても遅いと言われるのか。なんとなく不満を覚える。


「いいお買い物はできた?」


「……杏珠とおそろいのアクセサリーを買っただけよ」


 話題を変える兄の明るい声に、美羽はぶっきらぼうに答えた。




 夕食の後、美羽はひとりで仏間となっている部屋を訪れる。


 使用人によって綺麗に掃除された清潔な部屋は、かつて母が使っていた部屋だと言われていた。


 家具や小物は、生前のまま置かれている。今でも生活感があるレベルだ。その中で、たった1つ、生前にはきっとなかったもの。


 大きな仏壇の前に座り、仏壇の中の遺影をじっと見つめる。


 明るい笑顔。兄に似ている。そして、美羽と同じくらい伸びた髪の毛。自分と兄の母なのだと実感した。


「お母様」


 今まで何度となく口にしてきた。しかし、そう呼びかけたことはなかった。


「……どうして……?」


 父や兄には聞けない。母がどうして亡くなったのか。どうしてそばにいてくれないのか。


 小学生の時だったか。母の日に、母親の似顔絵を描く時間があった。


 あの時、美羽は困って、考えて、世話係の絵を描いた。その絵を、誰も責めなかった。女性だったし、同級生たちはその絵を母親と解釈し、教師はおそらく知っていて何も言わなかった。


 母の絵を描きたかった。母と買い物に行きたかった。母に甘えたかった。


 全て叶わない夢だとわかっているのに。たった1つ夢が叶いそうになると、人間は欲張りになってしまうものらしい。


 これ以上母の前にいるのはつらくて。美羽は足早にその部屋を出た。



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