第12話

「美羽、忘れ物はない?」


 階段を降りる美羽を、那月が慌てて後を追う。


「大丈夫よ、お兄様」


 美羽は笑顔で答えた。


「筆記用具も受験票も持ったわ」


「そっか……。緊張してない?」


「全然。やれることはやったもの」


 受験する美羽以上に、兄が緊張しているらしい。


「頑張って」


「えぇ」


 美羽は心配そうな兄に頷き、その隣の父を見た。今日は仕事を休んでいるらしく、美羽を見送るために出てきてくれた。


「お父様、行ってまいります」


「……あぁ」


 この親子には、これだけの会話で十分。心配そうな家族の視線を受けながら、美羽は車に乗り込んだ。


「美羽、本当に大丈夫?受験票見せて」


「もういいから」


 詰め寄ってくる兄を押しのけて車の扉を閉める。


「出してちょうだい」


「はいっ」


 運転手が車を発進させた。




「美羽」


 大学の前で車を降りる。杏珠が駆け寄ってきた。


「遅い」


「ごめんなさい。お兄様が離してくれなくて」


 膨れながら手を握ってくる杏珠の手は、ひんやり冷たかった。


「……緊張してるの?」


 美羽がそれを感じてふふっと笑う。


「笑わないで。しかたないでしょ」


「心配ないわ。わたしたちは、やれるだけのことをやってきたもの」


「……美羽はすごいからね」


 たくさんの知識を詰め込んだ。ただ合格するだけではない。試験で満点を取るための勉強をした。本番では実力の8割しか出ないという言葉もある。だから、10割を狙って勉強をした。その努力は、きっと実るはず。


「ねぇ、美羽」


 杏珠が不安そうに見つめる。


「なに?」


 美羽もその目を見つめた。


「落ちても、仲良くしてね」


「弱気なこと言ってないで、受かることだけを考えなさい」


 弱気な友人に美羽は笑って、さっさと歩き出した。


「待ってよ!」


 杏珠も慌てて駆け寄ってくる。


 大丈夫。勉強はしてきた。そう言い聞かせて、やっぱり緊張するものは仕方がない。


 正直言えば、美羽だって緊張していた。心臓が飛び出そうなほどに。


 それを杏珠にさえも隠せたのは、美羽が幼い頃から受けてきた教育のおかげ。感情を人に悟らせてはいけない。その言葉を胸に、上手く感情を隠して友人を元気づけた。


 父の権力は通用しない。使いたくもない。全て実力で。


「はじめ!」


 試験監督の声が響く。それと同時に響く、紙が擦れる音。カツカツと鉛筆が机をたたく音。


 全てが緊張を煽る。その中で、美羽はふうっと息を吐いた。


 大丈夫、大丈夫。そう言い聞かせて、美羽は問題に向き合った。




「美羽~!」


 筆記試験が終わった瞬間、安珠が駆け寄ってくる。


「どうだった?」


「美羽に教わったところはたぶん大丈夫……」


「よくやったわね」


 よしよしと頭を撫でて褒めてあげると、それでも友人は不安そうな表情が消えない。


「お昼休憩の後は面接よ。切り替えて、頑張りましょう」


「……美羽は強いね」


「そうでもないわ」


 事実、美羽だって食欲はない。それでも、気丈にふるまう。それは、必ず受かると信じる心を弱らせないためだ。


 月光園を目指す者にとって、これで今後の人生が決まるといっても過言ではない。そう思うからこそ、緊張は収まらないのだ。




「次の方、どうぞ」


 面接室から呼ばれた。美羽をはじめ5人が並んで入っていく。


 試験官も5人。そこで、ハッと気づいた。試験官の中に月光園の園長、久野の姿があったから。


 どうして?この学科が、月光園と提携しているのは知っている。入試の問題には、高校の生物で習う内容の他に、わずかに月狼に関する知識も入っていた。


 入試にまで関わるほど深く関連しているのか。


 月光園には何度となく通った。おかげで、月光園で見覚えのある試験官たちはなんとなく落ち着く。


「では、志望動機からお願いします」


 美羽はふっと笑みを浮かべた。




「美羽!」


 無事に終わり、大学の玄関の外で待っていた美羽に、安珠が駆け寄ってくる。


「お疲れ様」


「うー……っ」


 杏珠は美羽にしがみついて小さくうなる。美羽は優しく友人の頭を撫でてあげながら、


「失敗したの?」


 と穏やかな声で聞いた。


「面接で、頭が真っ白になって……。何答えたか覚えてないよ……」


「それくらいなら大丈夫よ。面接対策だってやったじゃない」


「でも……!」


 心配そうな友人の顔を、美羽は両手で挟んだ。


「緊張しているのは本気の証。気づいたでしょう?面接官、月光園の人がいた。さすがに全員ではなかったみたいだけど」


「え、あ、うん……びっくりした……」


 杏珠も知らなかったらしい。知っていたら美羽にも教えてくれていたはずだ。


「この大学に入学したい理由よりも、月光園に就職したい理由を求められているみたいだった。その点、安珠は有利よ。月光園に入る以外、この大学に入る理由がないもの」


「……そう、だよね」


 美羽に両頬をつぶされた情けない顔で、安珠は頷く。


「安心して。あなたは絶対に落ちないから」


 美羽はそう笑ってみせた。




「ただいま」


 家に帰った瞬間、


「美羽!」


 兄が駆け寄ってくる。


「どうだった?ミスしなかった?」


「大丈夫よ、お兄様。わたしがミスなんてすると思う?」


「それはないと思うけど……」


 杏珠といい兄といい、この心配そうな顔を何度見せてくるのだろう。


「ただいま戻りました、お父様」


 玄関に出てきた父にそう挨拶する。


「あぁ」


 父からは短い返事だけが返ってきた。


「疲れたわ。少し休んできてもいい?」


「あぁ、うん。ゆっくり休むんだよ。興奮してるだろうから、寝かしつけてあげようか?」


「いらないわ」


 兄のありがたい申し出は断って、階段を上がって部屋に入る。


 その瞬間、美羽はその場に座り込んだ。


「はぁあ……っ」


 足のつま先から全ての空気を吐き出すように、勢いよくため息が零れた。


 情けなく震える両手を、ぎゅっとつなぎ合わせる。


「……かみさま」


 口をついて出た声もまた、震えていた。


「……どうか、受からせてください」


 そう祈ることしかできなかった。


「お嬢様?」


 すぐそばの扉が、コンコンと音を立てる。


「お着替えをお手伝いいたしましょうか?」


 ハッと顔を上げ、声を張る。


「大丈夫よ」


 合格を祈願する声と同じ声とは思えない、しっかりとした声だった。




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