第8話

「それで?美羽、これからどうするの?」


 翌日、学校で美羽から全てを聞いた杏珠は、意外と冷静だった。いつかこうなるとわかっていたように。


「ホテルに泊まるわ」


「は?」


「家出よ。あんな家、絶対に帰らない」


 これは思った以上に深刻らしい。スケールの違いに、安珠は驚きと同時に呆れる。


「……普通は、友達の家とかになるんだけどね、そこは」


「だって、わたしの友達は杏珠だけ。杏珠の家を巻き込んだら、父が何をするかわからないもの」


 美羽の父は月光園に投資している。そこには明確な上下関係があるのだ。


「まぁそういうわけだから。今日は一般公開の日でしょう?いつもより長く遊べるわ」


 ころっと明るく告げる美羽に、


「ダメ。いつもの時間に帰りなさい」


 と杏珠は返す。


「どうして?」


「ホテルならなおさら。迎えないんでしょ?」


「えぇ。迎えなんて呼んだら、家に連れ戻されるもの」


「兄貴に車出してもらうから。あんた、一応お嬢様でしょうが」


 杏珠なりに美羽を心配しての言葉だった。




 その日の放課後、美羽は初めて電車に乗って、月光園を訪れた。


 杏珠が兄の雅紀に事情を説明する。


「ってわけだから、兄貴、ホテルまで送ってやって」


「なんでオレが。ってか家帰れよ、わがままお嬢様」


「イヤです」


 雅紀にも、美羽は遠慮なく答える。


「……っあー、もう!じゃあ仕事終わるまで待ってろ!」


 頑なな美羽に諦め、雅紀が渋々了承する。


「よし。じゃあ美羽、それまで遊ぼうか」


「えぇ」


 美羽はいつものように受付でチケットを買ってゲートをくぐる。


「ニーナ」


「キャウン!」


 美羽と仲のいい幼獣ニーナも、もうすぐ3歳。出会った頃よりも大きくなって、もう小型犬くらいか。


「今日もかわいいわね、ニーナ」


「ニーナは美羽ばっかりだからかわいくない」


「杏珠は他の子とも遊べるからいいじゃない」


 月光園の職員寮に暮らしている杏珠は、きっと美羽よりも長い時間、月狼たちに関わっている。そのおかげで、普段はふれあいサークルに入ってこない幼獣たちにも甘えられている。それが羨ましかった。


 杏珠のようになるには、やっぱり月光園に就職しなければ。早く月狼たちに近いところに行きたい。その思いは日に日に強くなっていった。




 月光園の閉園時間になり、美羽は杏珠とともに、久野雅紀の車に乗り込む。


「すみません。お願いします」


「ん。出すぞ」


 車が動き出し、安珠と美羽は後部座席で楽しくおしゃべりをする。今日の学校のことだったり、月光園でのことだったり。話題は尽きなかった。


「なぁ、なんで親と喧嘩したんだ?」


 そんな時、雅紀が口を開いた。


「先ほど杏珠がお話しましたが、進路を勝手に決められたからです」


「九條ってすごい家だもんな。わからなくもないけど、ちゃんと話し合ったのか?」


「話し合いにならないんです。父も兄も、わたしの話なんて聞きませんから」


「それは、お前が話してないからじゃなくて?」


 容赦ない。そして、それも外れていない。美羽は不満そうに顔を逸らす。


「わっかりやす」


「……うるさいです」


 バックミラー越しにニヤリと笑みを向ける雅紀に、美羽はきっと睨む。


「それだよ。オレに言うように、家族に言えてるか?」


「言う気もありません。あの人たちには、言っても無駄なんです」


「頑固かよ」


 そんな話をしている内に、車は大きなビジネスホテルの前に止まる。


 美羽は雅紀と杏珠に見送られて、ホテルの中に入った。




 それから数日、美羽は家出を続けた。杏珠に毎日ホテルの前まで送ってもらう生活。


 最初は兄から何度も連絡が来ていたが、父からの連絡は一度もなかった。絶対に出てやるものかと無視していると、その連絡もなくなった。


 そんな時、事件は起きた。




 その日は一般公開の日。美羽は、安珠とともに月光園を訪れた。


 いつも笑顔で迎えてくれる久野が、その日は複雑そうな顔をしていた。


「美羽さん、申し訳ないんだけど、しばらく来ないでくれるかな」


「……え?」


 何があっても、それこそ学校をさぼっても、笑顔で迎えてくれた久野の言葉に、美羽は驚いて固まってしまった。


「どうして?お父さん」


 美羽の隣で、安珠が久野に尋ねる。


「理由は話せないんだ。悪いね」


「そんなの納得できない。美羽はわたしの友達だよ。連れてきて何が悪いの?」


「それはそうなんだけどね」


 そこに、久野雅紀が大きな荷物を抱えて通りかかる。


「兄貴!」


 杏珠が呼び止め、問い詰めた。


「んなでけぇ声出すなよ。月狼たちが驚くだろ」


「だったら理由を話して。知ってるんでしょ」


 妹に問い詰められた雅紀は、


「あー……」


 と少し口ごもりながら


「九條社長が今朝うちに来てな。金は出すから娘を通わせるなって」


 教えてくれた。


 恐れていたことが起きてしまった。美羽はぎゅっと唇を噛む。


「……信じられない」


「美羽」


 小さく零れた言葉を、安珠がすくうように声をかける。


「父と話します。ここに迷惑はかけません」


 震える声でそう告げ、美羽は月光園を飛び出した。


「美羽、待って!」


 杏珠が慌てて後を追いかける。


「ねぇ、どこ行くの!」


 杏珠に手を取られ、美羽は足を止めた。


「美羽……」


 それは、安珠が初めて見る美羽の表情だった。涙に濡れた顔、全てに失望したような表情。


「……お父様に会いに行く。今日は本社にいるはず」


「わたしも一緒にいく」


 今のまま美羽から離れてはいけない。直感でしかなかったが、安珠はそう感じた。


「いらない」


 しかし、美羽に断られてしまう。


「大丈夫だから」


 美羽は心配そうな杏珠の手を取り、ゆっくり微笑む。


「待ってて」


 笑顔を作る練習をしていてよかったと、初めて思えた。



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