第6話

「美羽! どうして学校にいないの!?」


 タクシーで家に帰ると、さっそく兄が駆け寄ってくる。


「……」


 が、今の美羽には、そんな兄を相手にする余裕はない。


「美羽! 聞いてるの!?」


「……疲れたの。放っておいて」


 美羽はそう呟いて、部屋に入った。兄は追ってこなかった。




 部屋に入った美羽は、着替えることもなくベッドに倒れこむ。


「お嬢様、制服がしわになりますよ」


「……出ていて。自分で着替えられるから」


 心配する世話係を部屋から出し、ぎゅっと片手を握る。


 久野と言っていた。それに、帰ってきた、とも。彼女にとって、あそこは家。園長の親戚か、家族か。


 突然のことに、動揺してしまった。もっと冷静に対応するべきだった。


 手を握られることに強烈な嫌悪感を覚えるのは昔から。だから、初対面の人とは握手さえもまともにできない。家族にさえもうまく隠していたのに。


 それだけではなく、同じ学校に通う生徒に、美羽が月光園に通っていたことを知られたのも問題だ。学校で噂が広がり、兄に知られるのも時間の問題。


 どうして。なぜ。後悔ばかりが次から次に浮かんできて。どうしたらいいかも、美羽にはわからなかった。




 それでも美羽は、学校を休まなかった。というよりも、休めなかった。父や兄に、学校を休む理由を説明できない。


 いつも通りの日常を過ごした。数日過ごしても、気になる噂は流れてこなかった。


 元々、噂を流してくれる友達もそうそういないのだが。


 噂が流れていないのか、当事者に流れてこないだけなのか。


 後者だとしたら、兄から何も言われないのはおかしい。きっと兄にも噂は届いていないのだろう。


 月光園での出会いから1週間後。美羽はついに隣のクラスを訪れた。


 がちゃっと扉を開ける。ざわっと、どよめきが広がった。


 美羽が他クラスに入ること自体が珍しい。注目を浴びながら、目的の人を見つけるのは簡単だった。


 彼女だけが、美羽の方を見ていなかったから。真面目に勉強するように、一心に机に向かっている。


 いつも通り淡々と歩いて、彼女の前に立つ。


「ちょっといいかしら」


「……」


 美羽が声をかけると、彼女はゆっくりと顔をあげ、少しだけ意外そうな顔をする。


「話がしたいの」


 黙って席を立ち、教室中の注目を浴びる中、2人は教室を後にした。




 誰もいない屋上。校舎裏とも迷ったが、誰にも聞かれないのはここだと思った。


「この前のことだけど」


「月光園での?」


 彼女、久野杏珠はようやく口を開く。


「誰かに話した?」


「なんで?話す理由がなくない?」


 どうやら誰にも話していないらしい。それを聞いて、美羽は安堵した。


「それならいいの。よければこれからも秘密にしてちょうだい」


「言われなくてもそうするつもりだけど、理由があるなら聞いてもいい?」


 秘密主義の美羽に対して、安珠はなんでもまっすぐに聞いてくる。


「……あなたには理解できないと思うわ」


「じゃあそれがおかしいってことは理解してるのね」


 遠慮のない口調。それは、あの場所で何度となく耳にしてきた。こちらが一般的なのだ。


「わたしからも聞いていいかしら。ここは家の格を重視する家柄の生徒が多いはずよ。どうしてあなたみたいな人間がいるの?」


「とげのある言い方ね。まぁ、そういう言い方しかできないんだろうから、いいけど」


 杏珠はそう言って、はぁっと息を吐く。


「わたし、月光園で働きたいの。そのために行かなきゃいけない大学はレベルが高い。最短ルートがこの高校だったというだけ」


「月光園で働く方法を知ってるの?」


 美羽はつい食い気味になってしまった。今、彼女が何よりも知りたかったことだ。


「こう見えても園長の娘だから、多少はね。なに、働きたいの?」


「……まぁ、希望は」


 美羽の希望はそうだが、家族が許すとは思えない。何より、まだ出会って2日目の人間に、軽々しく夢を語れる性格でもない。


「へぇ。まぁ、いいんじゃない?あなたは、月狼がちゃんと好きみたいだし」


「ちゃんとってなに?」


 杏珠のその言葉に、つい眉を寄せる。


「時々いるの。月狼は好きだけど、きついのや辛いのが嫌いな人。本当に好きなら、勉強もせずに月狼の世話がしたいなんて、思えるはずがない。わたし、コネ入社なんて絶対にしたくない」


 美羽が思っているような不快な理由ではなかったようだ。それなら、と美羽も気を緩める。


「月光園に入職するための大学って?」


「現状では1つだけね。明泉めいせん大学生物学部、月狼学科げつろうがっか。月狼のための特別なカリキュラムを持っているのは、この大学だけなの。月光園とも提携していて、入試にも専門的な知識が必要になるから、この学科の卒業試験を合格した人しか雇わないんだって」


 さすがは月光園の内部に詳しい園長の娘だ。ここまでしっかりした情報を持っているとは。


「倍率は?」


「平均約10倍。月光園に就職したい人もそうだし、有名な動物園に入職したい人からも人気なんだって。でも、かろうじて入学しても、半分以上が卒業までに脱落していくって言われてるの」


 かなり厳しい世界だ。考え込むように顔を伏せる。


「厳しいと思う?」


 気持ちを言い当てられて、美羽はハッと顔を上げた。


「でも、これくらい普通よ。月光園で働きだしたらもっときついんだもの。休日なんてほとんどないって聞いてる」


「……命を守り育てる仕事だもの。それくらいは普通だわ」


「そう言ってくれてよかった」


 杏珠がにこっと目を細め、美羽に手を差し出す。


「わたしたち、友達にならない?月光園を目指す仲間でしょう?」


 初めての友達。美羽は嬉しかった。人生で初めての友達だったから。


「杏珠さん、学校と園じゃ別人ね」


「それはお互い様。ってか、さんってやめてよ。美羽って呼んでいい?」


「えぇ。わたしも違うかしら」


「どうかな。でも、おかしいことじゃないんじゃない?学校の中と外で性格が違うのなんて、当たり前でしょ」


 杏珠のサバサバした性格が、美羽には心地よかった。


 そうして美羽は、初めての目標と、それを共有できる友人を手に入れた。



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