第5話

 数日後、那月は学校で、妹の担任から美羽がいないという連絡を受けた。


 学校のどこにいるのか、何をしているのか。それがわかれば、妹のことがわかるのに。


 那月も授業を1時間休んで学校中を探したが、見つけることはできなかった。




 その頃、美羽の姿は月光園にあった。


「こんにちは、美羽さん。今日も来てくださったのですね」


 美羽が行くといつも、久野が声をかけてくれる。


 もう見慣れた制服姿の美羽に、学校のことを聞くこともなく迎え入れてくれる。


 久野を始めとする月光園の人々の温かさが助かっていた。


「今日はふれあいをやってますよ」


「ありがとうございます」


 ふれあいと聞いて、美羽の心が弾む。いつも通りゲートを通ると、幼獣が駆け寄ってきた。


「こんにちは、ニーナ。今日も会えたわね」


 美羽を気に入っているらしい幼獣のニーナだ。


 柵を越えることはなく、ただ嬉しそうに尻尾をぶんぶん振りながら、美羽について歩く。


 かわいい妹ができたようで、美羽は嬉しかった。


 ふれあいのサークルに入ると、ニーナはさっそく美羽の足に乗ってくる。


「キュー、キュー」


 甲高い声で鼻を鳴らすように鳴くニーナに、美羽もその体を撫でて応える。


 平日の一般公開は、休日よりも客が少なく、のんびりと楽しめる。


 だから美羽は、休日よりも平日の方が好きだった。


「お、また来たのか、お嬢様」


 そこへ、幼獣を抱えた男性職員が歩み寄ってくる。


「……わたしはお嬢様ではありませんと何度お伝えしたらご理解いただけますか」


 彼の登場に、美羽はムッとした表情を隠さない。


「残念ながら無理だな」


「あなたの頭の中は空っぽのようですね」


「いや、月狼のことは入ってる」


 月狼バカ、とでも言うのだろうか。それだけの愛を持って月狼たちに接しているのだろう。


「またニーナか」


「ニーナはあなたと違っていい子ですから」


「どういう意味だ」


 本音を隠さずに話せるこの空間が、不思議と心地がいい。


 今まで出会ったどんな人も、美羽に対しては上品な敬意を向けてきた。


 彼はそんな美羽に乱暴な言葉を向け、月狼たちを優先して美羽を雑に扱うことも多い。そんな場所が、美羽にとっては落ち着く場所になっていた。


 学校が終わる前には、月光園を出てまたタクシーで学校に戻らなければいけない。自宅から迎えが来る時に学校にいなければ、兄に知られてしまう。


 しかし今日は、ニーナと、この場所と離れたくないと思ってしまった。


 そうしてずるずると時間だけが過ぎていく。


 さて、どうやって言い訳しようか。


 閉園時間ギリギリまで座っていた美羽が、ようやく腰を浮かした時、


「へぇ~、お嬢様は学校もサボり放題ってわけ?」


 女性の声がした。その声の主に目を向けると、見慣れた制服の女の子が立っていた。


 美羽の顔から、一気に表情が抜け落ちた。


「やぁ、おかえり、安珠あんじゅちゃん」


「ん、ただいま」


 職員に「おかえり」という温かい言葉を向けられる、同じ制服の女の子。


「九條美羽さん。学校が終わって一番に帰ってきたわたしより早くここにいるってことは、学校をさぼったってことでいいんだよね?」


「……あなたに関係ありますか?」


「なくはないでしょ。ってゆーか、なんか腹立つんですけど」


 敵意。彼女から感じるものを、美羽もまっすぐに突き返す。


「おい」


 そこへ、目の前の女の子の頭を叩きながら、あの男が出てきた。


「補習受けて帰ってきたやつが威張るな」


「ちょ、兄貴!頭叩かないでよ!」


「ここでキャンキャン喚くな。月狼に食われたいのか?」


 確かにここはまだゲートの中だ。


 それに気づいたらしい女の子は、


「ちょっと来て」


 美羽の手を取ってゲートの外のロビーに連れ出す。


「なんでオレまで。オレ仕事中なんだけど」


 美羽と同じく手を引かれてロビーに出てきた男が、不満そうに女の子に告げる。


「うるさい。兄貴、九條美羽がここに来てること、知ってたの?」


「九條家のお嬢さんでお前と同じ学校の生徒ってことはな。お前の友達とは知らなかった」


 おそらく、この女の子は男の妹。制服で気づかれていたのか。


「目の前で学校サボってる高校生がいるのに無視するってどうなってんのよ」


「今日は公開日だからな。客を拒むことはできない」


「そういうこと言ってるんじゃないの!」


 兄妹喧嘩でも始まりそうになっている。自分には関係ないと、美羽が離れようとした時、


「あんたもあんたよ」


 女の子の声が美羽に向けられた。


「いくらお嬢様だって、しなきゃいけないことくらいはわかるでしょ」


「補習受けて帰ってきたんだから、お前の方が遅いのは当たり前だろ」


「今日は補習休みだったの!だから急いで帰ってきたのに!」


 男に言われて不満そうに唇を尖らせた女の子に、


「……話がよくわかりませんが」


 ようやく美羽が口を開いた。


「貴女は同じクラスの方ですか?」


「え、知らないのか。ウケる。お前認識されてないじゃん」


「兄貴は黙ってて!隣のクラスの久野杏珠よ!」


「そうですか」


 名前を言われてもピンとこない。当然だ。学校での噂話には疎い方。そして、学校のことにそんなに興味がない。


「わたしは九條美羽です」


「知ってるわよ!」


「わたしは貴女のことを存じませんでしたので」


「あんたは有名人でしょうが!」


 確かに、学校で騒がれていることは知っている。隣のクラスの面識のない女子生徒が美羽の名前を知っていてもおかしくはない。


「では、わたしはこれで」


「ちょっと!」


 出て行こうとする美羽を、安珠がその手を取って引き留める。


 その瞬間、ひゅんっと奇妙な感覚を覚えた。


 握られた手が一気に冷たくなるような。体温が吸い取られるような不快感。


「触らないで!」


 次の瞬間、美羽はその手を振り払っていた。


「あ……」


 しまった。杏珠とその兄の驚く顔が目に入り、すぐに我に返る。


「……すみません」


 そう一言謝って、


「それでは」


 これ以上追及される前に、足早に月光園を出た。



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