第13話 アイスキャンデー
おはようございます。
昨夜の嵐は凄かったですねえ。暑気の名残を根こそぎ、さらって行ってしまいましたな。
ああ庭も荒れてしまって……涼しくなったのは、ありがたいですが。
気温が下がり、大通りに出ている氷菓売りも店じまいの季節かな。私めは子供の時分に、売り子で働いた経験がございます。
夏だけのアルバイト。果物の汁に蜂蜜やミルクを混ぜて凍らせて、棒付きのアイスキャンデーにして売るのです。
今でこそ、夏の氷は珍しいモノでもないですが。二十年、三十年前のアイスキャンデーなんぞは、ちょっとしたご馳走でした。
『好きなだけアイスが食べられる』子供らしい下心で始めた、氷菓売りの仕事。
しかし、売り物ですからねえ。私めの口に入るはずが無い。つまみ食いなんて不可能でございました。
氷菓売りは、似たような露店が幾つか通りに出ていまして、売上げが少ない日は怒られましたな。
ちょいと変わった趣向の氷菓売りが、一軒ありまして。
昼を過ぎてようやく現れる店にて、花の砂糖漬けを投入したアイスキャンデーを販売していました。
淡く白い棒氷に、アクアマリンや、ルビーに、アメジストめいた花が咲き乱れて。一本ずつ色香の違うアイスは人気がありました。
売り子は、私めの母親くらいの女性です。
花弁の一つ一つに、緩く泡立てた卵白を塗って砂糖もたっぷり塗して、丁寧に作製した甘い砂糖漬け。惜しみなく閉じ込めた氷に、くるくる舞う花々。
その贅沢なアイスキャンディーを、食べてみたくてたまりませんでした。
夏の終わり頃、やけに肌寒い小雨が降りしきる、ある日。
さあさあと一日中、雨が鳴く冷えた陽気でしたので、アイスが売れません。アフタヌーンティーの時刻を迎えても、いつもの半分程度でしたかな。
通りの反対側に立つ、花のアイス売りも同様なようで。早々とひさしを畳み店じまいを始めていました。
小さな荷車を軋ませて、女性が私めの前までやって来ました。
たくさん売れ残ってしまったから、好きなアイスをあげましょう。
蚊の鳴くような声にて、女性より魅惑の申し出。
思わぬ幸運に大喜びの私めは、さっそくアイスをつかみ出しました。初夏に咲く濃い青紫が石畳に映える、スミレの砂糖漬けのアイスキャンディーを。
美味しかったですねえ。ほっぺたが落ちそうとはこの事かと、夢見心地。
もう一本いかが。
追加の幸運を差し出す女性に、私めも腕を伸ばし……引っ込めました。
一気に氷を食して、頭がキンと痛むからでもなく。まばたきもせず、重く湿った視線を降らす女性が怖かったのでもありません。
釘付けになったのは、見目鮮やかなアイスが並ぶボックスの中の一本。
スミレに少しだけ似た印象の、薄い紫色の花を丸ごと閉じ込めた氷菓。
食材として、あってはならぬモノ。
トリカブトの砂糖漬けが咲くアイスキャンデー。
三百種類以上が現存するといわれ、全ての種がアルカロイド系の毒を含むトリカブト。コブラの牙をしのぐ強烈な毒でございます。
夏に開く花は気品があり、鑑賞用に植える方もいるそうですが。身の内に潜む危険ごと近くで愛でたいという、寛大さなのですかな。それとも恐れを知らぬ無知か。
幼い私めは、森が普段の遊び場であり住処で、それなりに動植物に詳しかったのです。
女性は不審に感じたのか、大人びたフリの遠慮と受け取ったのか。動かない私めに曖昧に微笑んで。
荷車を軋ませて、通りを去っていきました。
雨煙にくすみ、売り子の姿が判別できなくなるまで、私めは凍りついたまま立ち尽くしておりました。痺れるような甘味が舌にいつまでも残り、ひどく眩暈が致しました。
トリカブトの砂糖漬けが、私めの見間違いで無かった確信として。次の日。
威厳を高々と掲げて通りを封鎖した巡査が、露店を並べる我々を、いきなり一箇所に集めて、取り調べを開始しました。
私めは面倒を恐れて、全てを黙っていました。
花のアイスキャンデー売りは、毎日売る分に一つだけ……トリカブトを仕込んでいたようです。
甘美に念入りに、白い悪意で包んだ遅効性の毒。恐ろしい死の当たり付き。
犯人はすぐ捕まったとか、捕まえる前に自殺したとか、我が子を不幸な事故で亡くした意趣返しだったとか。様々な流言が飛び交って、正確な情報は私めにまで伝わりませんでした。
騒ぎのおかげで誰もアイスを買わなくなり、失業です。
割と最近まで、この事件を記憶する者も多かったのですが。
今年も去年もその前も、大通りに平然と期間限定の露店が並んでいましたので。皆は忘れてしまったのでしょう。
何だか寒い? いけませんな。
季節の変わり目に吹く強い風は、良いモノも悪いモノも運んでくるとか申します。体調も崩しやすい。
あなた様をお昼ご飯に招待しまして、ジンジャーティーを淹れて差し上げましょう。身体が温まりますぞ。
美味しい砂糖漬けを頂戴しまして、お茶のお供に是非…………あ、今日は忙しいから無理?
それは残念。
【了】
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