第10話 薔薇その三
おお、申し訳ない。
あなた様が聞き上手なので、私めは話し込んでしまいました。
盛りは過ぎましたが、この庭も薔薇が見事でございましょう。
ご希望の色を切って、花束をお作りします。是非お持ち帰り下さいませ。
花を切るのは可哀想と?
大丈夫でございますよ。少し切り落とした方が、後追いで開く蕾に栄養が回り、良く咲いてくれます。
薔薇の気持ちを思いやるとは。お優しい。
あなた様の他にもう一人。薔薇の気持ちを第一に考えて大事にして、生涯を過ごし続けた方を知っておりますぞ。
薔薇のコレクターだったのですが。譲って頂いた、珍しい薔薇も庭に植わってございますね。
これです、緑の薔薇。
花弁にほんのり青みが掛かって、一枚一枚がヒスイの粒のようでございましょう。
緑色の薔薇も、幾つか種類がございまして。ここに咲くのは、花弁が葉っぱに変化した変異種です。
八重の薔薇に見えますが、全て葉っぱ。秋になると紅葉しまして、赤色に変化します。
香りがほぼ無く、ちょっと地味なので……育てている人間は少ないかもしれません。
しかし、こよなく緑の薔薇を大事にしたのが、さきほど申し上げた方で。その方は『バラ男爵』と呼ばれておりました。
集めた薔薇で虹の絨毯のごとく、鮮やかに敷地を埋め尽くし。
服の柄、身に着けるアクセサリーも薔薇を模った物。
代々受け継がれた家の紋章を、薔薇を付け加えたデザインに直したほどでございます。
男爵は薔薇を活けた花瓶を、屋敷の至る所に飾っておりました。
ん、花を無残にも切っているじゃないか?
もうしばし、お話させて下さいませ。
毎日飾られる新鮮な切り花から、屋敷には華やかな香りが満ち満ちていました。
お若い頃のバラ男爵。ある日ふと。異なる香りがひとすじ流れているのに気づいたのです。
虫や動物や人をおびき寄せ桃源に誘う、快い匂いではなく。
カビのような……鉄のような……凶悪な血の臭い。
大広間に活けられた、緑の薔薇が発しているのでした。
緑の薔薇はピンクや赤薔薇の引き立て役として。数本が無造作に花瓶へ刺さっておりました。
じわじわと薔薇の持つ緑は、紅色へ変化したそうです。男爵の見ている間に。秋でも無いのに。
大広間に強くしたたる紅色。
それ以来。生きた薔薇を部屋に飾るのを止めて、男爵は花の絵を飾るようになったのです。
まあ男爵は、薔薇の収集は止めませんでしたがね。
雇う庭師を増やして、一層念入りに世話をさせたそうですぞ。特に緑の薔薇を。
粗末に扱って、凶事が降りかかるのを怖れたのでしょうな。
男爵の寵愛を独り占めしたい緑の薔薇が、一芝居打った。私めなんぞは、そう思うのですがねえ。
呪われた花の演出などしてみせて。
男爵はとてもお優しくて、薔薇マニアな好々爺で。呪いなど、似合わない気が致しまして。
植物の情念も、時には人間に迫るほど凄まじいものですな。
それが目の前にあるのは何故ゆえかと?
実は、バラ男爵は数年前にお亡くなりに……いえいえ、花は関係ありません。ご高齢で。
珍しいモノ大好きな旦那様が、後の扱いに困った男爵の遺族から、花を譲り受けてきました。
緑の薔薇は、それがご不満のようです。秋になっても赤く色づこうとしません。
青筋立てて怒っているのか、普通の薔薇に変化してしまおうというのか……ご覧の通りです。青みを帯びた緑で、宝石のヒスイが咲いたよう。
さて。どれを、あなた様のお土産にお切りしましょうか。
カップ咲きの白い薔薇? 花弁の先が三角に尖った赤い薔薇?
緑色の薔薇も一本。話の種にお切りしましょうぞ。
【了】
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