第8話 薔薇
桜の下には死体が埋まっている、と記した有名な文学が存在するそうですが。
私めは、どちらかといえば……『アンダー・ザ・ローズ』秘密は薔薇の下に埋めるが良し、との言葉に魅力を覚えます。
香料としても使用される薔薇は、昔から非常に価値が高い物。
観賞用の美しさ以上に、香りの強い品種を好むコレクターも多うございます。
甘く華やいだダマスク香。樹木のごとく鼻を目覚めさせるガリカ香。
紅茶のように上品に漂うティ香。濃厚なムスク香にミルラ香……
風待月ともなれば、雨の香と花の香が混じって立ち昇り、これもまた風情がございます。
絡み合った棘と、鮮烈なその芳香が。根元の秘密を守り覆い隠す……私めのような無作法な男では語り尽くせぬ、妖しい魅力がありますな。
薔薇を眺めていると。どのような秘密が埋まっているのか、などと近頃は思惑が向いてしまいます。
幾つか、薔薇に纏わるお話を思い出しました。
聞いていかれますか?
屋敷の裏手をずっと行きますと。温い風の吹く時分に、白い花をこぼれんばかりに咲かせる茂みがあったそうです。
素朴で可憐な一重の薔薇。野バラの茂みです。しかし何十年も前に一斉に枯れてしまい、今は木苺の森に取って代わられています。
その野バラには、大きな大きなカタツムリが住んでいたそうです。
もちろん、最初から大きかったわけではございません。
棘だらけの住まいに守られて天敵を寄せつけず、ぐんぐん育ったのです。
しかし自分を守るはずの薔薇。これが次第に、カタツムリ自身を苦しめ始めました。
肥大化していく身体。ちょっと他で在り得ない程の、巨体を持つカタツムリ。
ぬめった身体で、棘の上でもすべらかに進めるはずなのに、そうもいかなくなってきたのですね。身体の重みで。
棘でうっかり、自身の身体を傷つけて。
ざっくり開いた傷口からバイ菌が入り、カタツムリは死んでしまいました。
やがて身体が腐って殻だけが残ると。その殻がねっとり濃厚な芳香を発し始めました。
野バラの葉や花弁を主な食料としていたカタツムリは、身の内を巡る、それはそれは芳しい花園を持っていたのですな。
持ち主が死んでカラカラに乾燥した殻は、夜も眠れぬような強香を周囲に放ちました。毎晩毎晩。
花と殻は、お互いに我が身の香を競い合い。とうとう蝸牛の殻が勝利して、咲き乱れる薔薇を全て枯らしてしまいました。
……すっかり枯れてしまった薔薇の周りを探すと、こうした花の香りを放つカタツムリの殻が。極まれに発見できるそうです。
片手に乗らぬ程に大きな、渦を巻く殻。花弁の渦でなく、固い螺旋と強香を宿すカタツムリの殻。
私めも一つ欲しいなあと考えて、探してみたりするのですが。実物にお目にかかった経験はございません。
気長に探しますよ、はは。
もうすぐ長雨の時期。蝸牛も喜び勇んで這い出してくるでしょうし、薔薇も良く育ちますからな。
はしゃいだカタツムリが、うっかりするのを待っておるのです。
【了】
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