書店のあり方
小狸
短編
俺は「難しいことは良く分かんねえが」という言葉を接頭辞の如く使う輩が大嫌いだ。難しいことなら触れるな。せめて調べてから言えって話だ。「素人質問で恐縮ですが」と似たような嫌味を感じるぜ。質問が湧き上がってくる時点で、素人じゃねーことは確定しているようなもんじゃねーか。
まあ、そんな風に日本語の
はあ? って話だよな。
確かに都内だの首都圏だのでは、そういう試みが結構あるらしいと聞くな。伝え聞いている。図書館とカフェが同じ建物にあり、自由に行き来できる。成程時代もハイカラになったもんだ。俺の通学路も、まあ首都圏の中あって、行きつけの書店もそこそこ栄えた場所にある。だからそういう改革が興ったとしても、まあ不思議じゃなかったわけだ。むしろそれに及ばなかった俺自身を恥じるべきだな、うん。
んで。
なんで書店とカフェを併設するんだ?
いや、書店ってのは製本された本を、雑誌を、漫画を売る所だろ。そこに、水だのコーヒーだのチャイだの抹茶だのを提供する店が近くにあったら、どうなるか。想像に難くないんじゃねえのか。
買った本ならまだ良いぜ。自分で購入した本には、既に自分の物だからな。
ただ、もし。
購入していない本を、カフェの飲料で汚してしまった場合、この場合はどうなるんだ?
勿論返品、弁償することになるにゃあ違いねぇな。しかしこの場合、出版社側の損失になるんじゃねえか? 結局、その本は売れたことには違いない訳だが、本一つとして見た場合は、間違いなく損失だ。
電子書籍が人口に膾炙して久しいが、それでも紙の本が無くなる訳じゃねえ。そりゃあ、何十年、百年後には無くなっているかもしれねぇが、少なくとも今は、無くなっていねぇ。そもそも電子書籍と分類するための「紙の本」って言い方ですら、俺は気に入ってねぇしな。
紙は残る。
しかし、汚れやすく、濡れやすい。
その特性を一番理解しているはずの書店が、どうしてカフェなんかとの併設を認可するのか、俺は不思議でならない。どう考えても起こるだろ、紙の本であるが故の問題が、事故がよ。それともアレか? 今はそうでもしないと、書店は生き残れない状況なのか? 俺の地元の本屋もこの前一店舗潰れたんだが、今は「そういう時代」だったりするのか。だとすると、何だかやりきれねぇ感が拭えねぇな。いや、別に古い形態が良いって言ってんじゃねぇんだよ。受験期には電子辞書に随分と世話になったし、置き場所の問題で、どうしても紙で買いたい本以外は、今や俺も電子で買うようになっている。ただ、それでも俺は、本屋に足しげく通っていて、本屋のあり方の変わりように疑問を呈している。
なぜかって?
そりゃ、本が好きだからだ。
本が好きだ。小説が好きだ。漫画が好きだ。雑誌が好きだ。棚に一斉に陳列されたそれを見て、最新刊を手に取って表紙の絵をまじまじと見回して、あるいは最新号のインタビュー記事が掲載されていることを確認して、そしてレジカウンターまで持っていくまでの緊張感と期待感。金銭を支払い、その本が自分の物になった瞬間の嬉しさ、これからこの本を余すことなく堪能できるという多幸感。たまらねぇよな。俺は本が好きだ。本屋が好きだ。
問題提起ってわけじゃねぇ。俺みたいな一端の学生が何を言ったところで、世の中が注目するのは、刺激的で感傷的な記事ばかりだ。好きなんだろ、そういうの。何でもかんでも報道機関のせいにするのみっともねぇから止めた方がいいぜ。お前らが注目するから、報道されてるって点も忘れちゃならねぇ。
ただ、たとえ目を向けられなくとも、注目されなくとも、俺は言う。言わせてもらう。
本を、もう少し大切に扱ってほしい。
後は議論するなり何なり、好きにしな。そこに俺という人間が存在している必要はないし、別に言論統制もするつもりもねぇ。「分かってもらおう」なんて微塵も思っちゃいねぇさ。どうせ一介の学生の意味のない呟きみてぇなもんだ。誰にも読まれることなく、読み飛ばされてくのがオチだろうよ。そしてそれでいい。これは主張でも苦情でもない、文句、なんだからな。
言いたいことは、これだけだ。
そして、俺にできることは、これだけだ。
(「書店のあり方」――了)
書店のあり方 小狸 @segen_gen
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