第6話 散髪のお時間


森には朝からカンカンと、鉄と木がぶつかり合う音が響いていました。

三角屋根の中腹から顔を覗かせたのはエディです。ハンマー、そして何本かの釘を片手に、珍しく半袖シャツと半ズボンに身を包んでいます。




ダルシーが屋根を吹っ飛ばしたあと、その穴から鳥の糞やミミズやネズミたちが侵入し、3人は大騒ぎでした。風もビュンビュン入ってきてとても寒いです。

挙げ句の果てにはメルヴィンは『これは夢だこれは夢だ』と自分の部屋に逃亡してしまいました。もちろんエディも、糞が部屋中に落ちてくるのには耐えられないので、早めの修復を望んでいました。

しかし、この家で直せるのはエディ以外にいませんでした。



屋根が崩壊し、翌朝。エディは修復にとりかかりました。

ハシゴで屋根の上に登ると、最初に、散らばった破片を箒で落としていきます。木屑や枝を掃き、砕けた瓦を剥がすとぽっかりと穴が現れました。

この穴を塞いで応急処置をするのが今日の目標です。

厚さ3センチほどの木の板を穴に被せると、4つの角に釘を打っていきます。

大工仕事が初めてのエディは、打ち方を知りません。釘を板の上に立たせると、トンカチを思いっきり振り落としました。もちろん釘は斜めに刺さり、胴体はぐねりと曲がってしまいました。エディは首を傾げます。先ほどからこれを5回以上繰り返しています。

やっと4箇所打ち終わりましたが、穴は1枚の板だけでは塞ぎきらず、もう1枚必要でした。



「そこの板とってくれるかい」


頬の煤をこすりながらエディが訊ねます。


『これのこと?』


下で待機していたダルシーは、1枚の板を屋根上から伸びる手に届けます。



『日曜大工とはこのことね、よいしょ』



板を渡すと、ダルシーは家の中へ入り、三本脚の椅子を持って出てきました。直す手伝いをしたいと伝えましたが、エディに断固拒否されたので、下で応援役に徹することにしました。



『釘を一気に打つと斜めになるわよ!垂直になるように持って、始めはトントン優しく打ち込むの。半分くらいまで入ったら、大きく打ち込んでいくのよ!』


「分かって‥‥」


そこまで言って、エディは言葉を止めました。分かっているなら手伝ってくれるかい?と言いかけましたが、その先の未来が簡単に想像でき、同時に恐ろしくなったのです。



『私がやった方が早いわね、きっと』


「そうしたら午後には全部の屋根が崩れ落ちてるよ」


『やだ失礼しちゃうわ。釘打ちくらいやったことあるわよ』



エディは聞く耳を持ちません。すぐに、カンカンと大きく釘を打ちつける音が聞こえてきて、やれやれとダルシーは肩をすくめました。

エディもなかなかの頑固者なので、自分が言っても聞かないだろうと、ダルシーはすぐに助言するのを止めました。




「はぁ、もうやめやめ。休憩だ」


力強い打撃音が止まると、ハシゴをつたってエディが屋根から降りてきました。


『終わったの?』


風を感じながらマグカップ片手にそう訊ねるダルシーに、エディは二の句も継げませんでした。

あまりにも優雅なこの姿を見れば、ダルシーが屋根を吹っ飛ばした張本人だなんて誰も思わないでしょう。



「誰のせいでこうなったんだか」


『本当ね。メルヴィンさんに、使ったものはちゃんと片付けるよう伝えておかなくっちゃ』


「掃除もダメ。料理もダメ。おまけに屋根を吹っ飛ばすなんて。おっちょこちょいもここまでくると感心に値するよ。ネズミの尻尾に猫じゃらしを引っ付けておくほうが埃が集まるかもしれない」


『あーら、私は"なんでも言ってください"って言ったの。"なんでもできる"なんて言ってないわ』



ダルシーは持ってきた三本脚の椅子に腰掛け、紅茶を口に運びながらなぜか強気です。目を細くしてエディを見つめると、ふんっとあっちの方向を向いてしまいました。



「まったく‥‥君は一体何ができるの?」


『うーん、私は馬の調教は得意よ!馬を飼っていたから、小さい時から一緒に遊んでたの。あとは‥‥あ!散髪も得意!』


そう言ってきらきらと目を輝かせるダルシー。エディの背中を嫌な予感が走りました。

以前から、ダルシーがエディの髪の長さについて苦言を呈していたのを思い出したのです。


「いい、いい。僕には僕のこだわりがあるんだ。余計なことは考えないでくれ」


『昔よく切ってたから大丈夫よ!あなたのながーい前髪切ってあげるわ!何を隠してるのか知らないけどずっと気になってたのよ、その前髪』


「大丈夫だ!自分のことは自分でする!君はまたそんなこと言って、なんかの機械を使って僕を丸刈り頭にする気だろ」


『そんなことしないわよ!そのわんさか生えた茂みを綺麗に整えてあげる!仕上げはオレンジの香りのヘアミルクか、シトラスの香りのオイル、どっちがいい?』



ダルシーの言うヘアミルクとオイルは、エディの化粧台に置いてある小瓶に入っていました。

エディは毎朝、顔を洗うと髪を櫛でとき、どちらかを選んで髪に馴染ませます。



『薔薇のピンを使ってヘアメイクもできるわよ!』


ダルシーは両手を腰に当てて、得意気に言いました。エディの頭の中には、ひとつの疑問が浮き上がります。


「薔薇のピン?どうして君が、薔薇のピンの正体を知っているんだい?」


ハッとして口を押さえたダルシーは、バチリと合ったグレーの瞳から目を逸らします。

エディは詮索されるのが嫌いで、絶対に部屋には入らないで、とダルシーに伝えていました。

薔薇のピンとはエディの宝物のひとつで、大切に化粧台の引き出しにしまってあります。



『そ、掃除をするために、仕方なかったの!』



椅子から立ち上がり、言い訳を始めるダルシー。

張っていた胸を丸めると、両手をもじもじとさせ、バツの悪そうな顔をしました。

すると大きく息を吸ったエディ。ダルシーは体を縮めました。怒鳴られるか、持ったままのハンマーで襲われると思ったからです。

しかしエディは、大きなため息をひとつ吐いただけでした。



「君に散々驚かされて、もう感覚が麻痺してしまったようだ。掃除なら仕方がないか、もしかしたら僕が悪いのか、という気にすらなるよ。‥‥でも、これからも一緒に暮らすのであれば約束は守ってほしい。いいかい、僕の部屋には勝手に入らないこと。部屋の中に用事がある時は必ず声をかけてくれ」 



『え、ええ。わ、分かったわ』



エディの冷静で丁寧な要求に、ダルシーは少し困惑しながら答えました。

しかしダルシーにも納得できないことがあります。自分だけ、あれはダメこれはダメと制限されていることです。ダルシーはキッチンに立つことも、掃除をすることも、洗濯をすることも、森に入ることも禁止され、家の中でひとり大人しくするよう言われています。

いくら失敗したからといって、一度もチャンスをもらえないなんてやりすぎよ!とダルシー思っていました。自由に生きる権利はあるはずだと。




『ねぇ、じゃあひとつだけ。その前髪を少し切らせてくれない?私、意地悪で言ってるんじゃないのよ。あなたの表情をよく見ていたいの。あなたの言う通り、これから一緒に暮らしていくなら、ただの居候なんて寂しすぎるでしょ?』



エディは空いた三本脚の椅子に座ると、膝に腕を置き項垂れました。



「君は本当に諦めが悪いな。どうしてそこまで僕の前髪に執着するんだ」


『簡単に諦めないのが私のいいところなの』


「もし丸刈りに頭にすることがあれば、僕は水の悪魔になって君を森の外へ放り投げてしまうかもしれない」


『あなたがストップって言うところまで。約束するわ』



項垂れたまま、エディは考えました。これまでダルシーがしでかした失態を考えると、簡単にOKを出すことはできません。



『前髪を切らしてくれたら、今後一切!絶対に!勝手に部屋にも入らないし、机のものを触ったりしない!あなたたちに迷惑をかけないと約束する!』



エディがあれこれ考えている間も、ダルシーは熱心な訴求を止めません。

ダルシーの長所が"諦めない"ところなら、すぐにNOとは言わないエディの長所は、"お人よし"なところでしょう。

そうでないと、あんなへんてこな住人がたくさんいる森を守ろうなんて思わないわ!とダルシーは考えていました。



『一回っきり!お願い!お願い!あなたの瞳、宝石みたいにとってもきれいなの!』



顔を上げたエディが見つけたのは、両手を握りうるうるとした瞳のダルシーでした。エディはまた項垂れます。枝がポキっと折れるように。根負けとはこのことです。



「‥‥ストップって言うところまで」



水をはったようなダルシーの瞳がきらきらと輝き、ニカっと白い歯が現れました。


『やったー!!すぐに準備してくるわ!』


ダルシーは走って家の中へ向かうと、洗面所からバスタオル、洗濯バサミ、櫛、手鏡。机の上の鉛筆立てから小さなハサミを取り、ものの1分で戻ってきました。

そしてそれらを草むらに大雑把に置くと、張り切った様子で腕捲りをします。


『さぁお客さん!今日はどんな前髪にしましょうか!』


まだ半分不満そうなエディにバスタオルをかけ、首元を洗濯バサミでとめます。そしてエディに手鏡を持たせると、前髪を櫛でゆっくりととかし指で挟みます。ぴんと伸ばすと、なんと唇の下まで伸びていました。



『すんごい長さと量ね。前見えてるの?』


「これで困ったことはないよ。むしろ安心する」


『長さはどれくらいがお好み?』



ダルシーはハサミを縦に持ちました。



「上手なんでしょ?任せるよ」



そっと目を瞑るエディ。

ダルシーは、急に素直になっちゃってどうしたのかしら、と思いながら、まず毛先を指で挟み1センチほど切りました。引いて見てみますが、特に変化はありません。



『どうしてここまで伸ばしてるの?』


「仮面みたいなものだよ。大切なものを奪われないように、気づかれないように隠してる。君だってそうだろ」


『私は隠し事なんてないわ』


「僕は魔法使いだから、特に狙われやすいんだ」


『そうだ、あなた魔法使いだったわね。なら、この屋根も魔法で直せないの?』


「力を使いすぎると、僕たちは魔法に飲み込まれてしまう」



このペースで丁寧に切っていては日が暮れてしまいます。大胆に鼻根まで一気に切り落とすと、エディの長いまつ毛と陶器のような白い肌が露わになりました。



『飲み込まれると、どうなっちゃうの?』



「最初のうちは人間の形くらいは保てるかな。しかし力が強まるとそれも次第に難しくなって、最後には体を乗っ取られてしまう。この世界には、悪魔になってしまった魔法使いたちがウヨウヨいる。僕はそんな者たちからこの森を守ってるんだ」



『魔法使いも楽じゃないわね』



ショキショキと髪を切る音がすれば、ひと束、またひと束と、手元に髪の毛が落ちていきます。

最後に毛先と、顔周りの毛を整えて、完成です。



『さぁ、できたわよ!目を開けて』



ゆっくりと開かれたエディの瞳。

前髪は、ちょうどまつ毛にかからないくらいの長さで揃えられていました。顔周りの毛も少し軽くなり、スッキリとしています。


「うわぁ」


エディは驚いた様子で、鏡に映る自分をいろんな角度で確認しました。前髪を右に分けたり、左に分けたりしながら楽しそうです。



「君!本当に上手なんだね!まるで新しい自分に生まれ変わったみたいだ!少し見直したよ」


『そうでしょ!私にだってできることはあるんだから!』



エディの首からバスタオルを外し、ついた髪をはたきながら、ダルシーは満足気に答えました。エディはというと、鏡に映る自分をまた見つめています。そして何かを思いついたように振り向きました。



「ダルシー!せっかくなら後ろも少し切ってくれないか。最近痛んできてしまって」



ダルシーはとても嬉しくなりました。散髪の腕を認められたこと、そして、エディが名前で呼んでくれたこと。



『もちろんよ!』


抱えていたバスタオルを広げると、エディにかけ直し、もう一度腕捲りをしました。



ふたりとも屋根のことはすっかり忘れて、修復の時間は散髪の時間へと変わってしまいました。





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