第九章―才能と価値―#2


 翌日、ロウェルダ公爵邸にて、レド様と私はロルスさんと対面していた。


「お初にお目にかかります、ルガレド皇子殿下。卑賎なる身でありながら、名乗る無礼をお許しください。わたくしは先々代ロウェルダ公爵に仕えておりました、ロルスと申します」


 ロルスさんは、髪と髭はふさふさだが真っ白な、細身の割に矍鑠かくしゃくとしたご老人で、物腰や口調は柔らかく、前世のフィクションなどで出てくる老執事のイメージそのままだ。


「お初にお目にかかります、ルガレド皇子殿下。先代ロウェルダ公爵の側近として仕えておりました、ロイドと申します。ロルスの息子にて、不肖ロヴァルの父でございます」


 ロイドさんは自分で言った通り、ロヴァルさんのお父様で、ロルスさんに付き添って領地から来てくれたようだ。


 ロルスさんに比べ体格が良く、髪に白いものが混じっているもののまだ若々しく、初老に入ったとはとても思えない。


「ルガレド=セス・オ・レーウェンエルダだ。二人とも、よろしく頼む。ロヴァルとロドムには、いつも世話になっている」

「不肖の孫が、御身のお役に立っているならば、何よりでございます」


 ロルスさんが言い、ロイドさんもその言葉に頷く。


「リゼラ嬢───いえ、ファルリエム子爵リゼラ様。お久しぶりでございます」

「お久しぶりです、ロルスさん、ロイドさん。私のために領地から来てくださったと聞きました。本当にありがとうございます」

「リゼラ様、貴女はもう子爵なのです。わたくし共に敬称をつけてはなりません」


 ロルスさん───ロルスらしい言葉に、私は苦笑を浮かべた。



「して───殿下は、大陸の情勢や経済、領地経営について学び直したいとのことでございますが」

「ああ。新年度の辞令で、辺境に行かされる可能性が高い。そのために、少しでも準備をしておきたい」

「大変結構な心掛けでございます。不肖───このロルス、全力を以て、お力添えをさせていただきましょう。────リゼラ様、大変申し訳ございませんが、わたくしはルガレド皇子殿下にお教えすることに注力させていただきます。財務管理につきましては、こちらにいるロイドがお教えすることになりますが、よろしいでしょうか」

「勿論です。よろしくお願いします」


 私は、ロイドに向かって目礼する。


「それでは、早速参りましょう」


 ロルスが立ち上がって、レド様を促す。え、もう?


「リゼを頼む」


 レド様はロイドに向かってそう言った後、ロルスを追いかけて出て行った。それを見送ると、ロイドが苦笑しながら私を見る。


「それでは、私たちも参りましょうか」


 レド様はこのロウェルダ公爵邸の図書室、私は書斎の一つを借りて勉強させてもらうことになっている。


「はい、よろしくお願いします。────おば様、それでは書斎をお借りします。シェリア、また後で」

「ええ、また後で」

「頑張ってね、リゼちゃん」


 黙って控えていたシェリアとおば様に声をかけてから、ロイドと書斎へと向かった。



 ロウェルダ公爵邸には、当主、夫人、それぞれが執務に使用する書斎、そして子息や息女が学習するための書斎と、全部で5か所も書斎があるらしい。


 私が使わせてもらう書斎は、現在、誰の専用でもない一番小さな規模のものとのことだが、それでも十分な広さだ。レド様のお邸の図書室の一階層部分に相当する。


 その部屋の中央に置かれたデスクの上に帳簿を広げ、ロイドに見せる。


「帳簿の記入については、お教えするまでもございませんね。計算も出来ています」


 この世界もありがたいことに十進法なので、前世で四則演算は習っているから計算は確かに出来るけど、実はこれについては、【現況確認ステータス】のおかげだったりする。


 お預かりしているレド様の予算は共通のアイテムボックスに入れているのだが、【現況確認ステータス】を開くと、どうも私の記憶が反映されるようで、支出が一覧となって表示されるのだ。


 しかも、支出の合計金額、残金まで表示される。私はこれを帳簿に書き写しているだけなので、何だかズルをしている気分になってしまう…。


「…はい。ですから、私が教えていただきたいのは、どういったことに予算を割くべきなのか、またその場合、予算はどのくらい充てるべきなのか───ということなんです」

「なるほど。それでは、まず皇宮の参加必須の行事や式典の確認から行いましょう。その後は、殿下が辺境に着任した場合、どういったことに皇子としての経費を充てるべきか教えていくことに致しましょうか」

「はい、お願いします。それと、もし負担にならなければ、補佐官としての他の仕事についても教えていただけないでしょうか」

「私は構いませんが…」

「特に、公的書類の書式を教えていただきたいのです」


 ラムルさんを呼び戻すことになっているので、私がそこまでする必要はないかもしれないが、知識があれば手伝えることもあるはずだ。


 少しでも────レド様の役に立ちたい。


 それに、いつまでも、おじ様やロヴァルさんに頼りきっているわけにはいかない。書類をこちらで用意出来たら、それだけでもおじ様たちの負担が減るだろうし。


「解りました。リゼラ様がそれを望むのであれば、お教えいたしましょう」


 私の決意があまりに意気込んで見えたのか、ロイドは少し微笑まし気に笑って、承諾してくれた。



※※※



「これは────」


 ロウェルダ公爵邸の図書室で、ルガレドの邸のダイニングテーブルよりも大きいデスクに広げられた地図を見て、ロルスはそう呟いた後、言葉が続かないようで絶句した。


 それは────昨日見せてもらったリゼラが作製した地図の複製だった。


 ルガレドが大陸の情勢を学び直すのに役立つだろうからと、あれも魔術なのだろうか───リゼラが、ルガレドのために自分の地図とそっくり同じものを創り出してくれたのだ。


「これは…、何て素晴らしい────これを、リゼラ様が…?」

「ああ。リゼが、長年かけて、集めた情報を少しずつ書き込んだものだそうだ。何か───間違って認識しているものや欠けている情報があったら、ぜひ教えて欲しいとのことだ」

「…いえ、ざっとではありますが、見る限り、間違っていそうな情報はございません。それどころか―――私でさえ知らない情報がある…。

これは────これは本当にすごい…。さすがは────リゼラ嬢だ……」


 ロルスは話しながらも、地図から目を離せないようで、まるで目に焼き付けるかのように、地図を凝視している。


「たとえば、こちらの───ガルトバランという街。この書き込みの通り、ここは小麦の生産で成り立っておりますが、時折、小麦が強い魔素に侵されて黒い炭のようになってしまう“黒炭病”というものが発生します。その原因は判明してはおりませんでしたが───ほら、ここをご覧になってください。この近くを流れる大きな川の上流にあるこの森────」

「この森の向こうにあるのは────“デファルの森”か?まさか、繋がっているのか…?────川がこの森の側を流れている距離は短いが…、ここで────この森から流れ出る小川が合流している…?」


 “デファルの森”は、魔獣が多く存在する危険な森だ。


 森の奥に魔素を排出する何かが存在しているとまことしやかに囁かれているが、魔獣の数が多いことに加え、奥に行けば奥に行くほど魔獣が強大になるため、それを確かめられた者はいない。


「この情報が確かなら────確証はございませんが、これが────この小川の水が黒炭病の原因である可能性は高いでしょう。

『討伐した魔獣』────なるほど、リゼラ様はその小川には依頼で訪れたのですね。しかも複数回に渡って────魔物の魔獣化もこの小川が原因である可能性が高いですね」

「小川の水を飲んで魔獣化している可能性はリゼも気づいているようだな」


 三度目の討伐の記録箇所に、小さく『小川が原因?デファルの森に源泉?───ギルドに報告済み』と赤いインクで書かれている。


「それから────この紙…、魔獣の鞣革であることは間違いなさそうですが、こんな薄くて平らなものは見たことがない」

「リゼが自分で造ったものだそうだ」


「この色がついたインクもですか?」

「そうらしい。魔物の血を使用していると言っていた。赤いインクと青いインクには、果汁を混ぜ込んでいるみたいだ。魔物の血で出来たインクは、早く乾いて滲まない上、今のところ経年劣化もないようだ」


「ペンも硝子ペンではありませんね?硝子ペンだと、ここまで細い線で書くことは無理でしょうから」

「ああ。鳥系の魔物の羽根を削ってペンにしているようだ。魔物の羽根は、小さい文字を書けるだけでなく、魔物の血で出来たインクをよく吸い込むらしく、硝子ペンで書くよりもインクを付ける回数が少なくて済むそうだ」


「あの方は…、本当に────」


 ロルスはそう呟いて、呆れともとれる溜息をいた後、ルガレドに強い視線を向けた。


「殿下、リゼラ様を決して手放しなさいますな。あの方を他国へやってしまったら────この国にとって大きな損失となるでしょう」


 ルガレドは、すっと表情を落とした。


 この男は────ルガレドを、リゼラの価値も判らない愚かな人間だと考えているのだろうか。


 ルガレドがリゼラを手放すなど────絶対にありえるはずがないのに。


「言われるまでもない。リゼは唯一無二の俺の宝だ。何処にも───他の誰にもくれてやるつもりなど、毛頭ない」


「…これは、失礼をいたしました」


 ロルスは、ルガレドの怒りを察したのだろう。だが、さして動揺している様子もなく、静かに頭を下げる。


 そして────再び頭を上げたときには、好々爺とした笑顔を浮かべていた。そのにこやかな笑顔のまま、口を開く。


「それでは、授業を始めるとしましょう」



※※※



 午後、昼食を終えた後、私はラナ姉さんがリフォームしてくれた服を試着していた。


 私のロイドによる授業は午前中のみという、取り決めになった。レド様は、午後も引き続きロルスに教授を受けている。


「結局、黒く染めるのね……」


 シェリアが残念そうな口調で呟く。


 今試着しているのは、皇子の親衛騎士───あるいは補佐官に見えるようにあつらえてもらったジャケットとベストだ。


 古着に手を加えたもので、レース生地でパイピングしてある部分が縁取りされている。


「二人の気持ちは嬉しいけど、【最適化オプティマイズ】したとしても、やっぱり魔獣の血で染めたものの方が、その分だけ丈夫になるし、動きやすいから」


 綺麗な深緑色のジャケットだけど、染めた方が性能が良くなるのだから仕方がない。


「残念だわ……」


 シェリアは諦めきれないようで、溜息をいている。


「動きづらいとか、気になるところはない?」

「大丈夫。ベストもジャケットも着心地いいよ」


 ラナ姉さんはもう何度も私の服を作ってくれているので、測るまでもなく私の体形が解っている。


「これを染める魔獣の血を調達してこないとな……」


 今のうちに一人で行ってくるかな。


≪レド様───授業中に申し訳ありません。私、ちょっと出かけてきます≫

≪何処へ?≫

≪魔獣の血が必要なので、狩りに行ってきます≫

≪解った。────レナス、いるな?≫

≪はっ≫

≪リゼに付いて行け≫

≪御意≫


 一人でも大丈夫だし、正直、レナスにはレド様を護っていて欲しいけど…。


 まあ、でも、ジグがレド様の傍に残るようだし、断れば行かせてもらえなさそうなので、異存は唱えないことにする。


≪それでは、行ってきます≫

≪気を付けてな≫

≪はい。夕方までには戻りますので≫


 レド様の了解ももらえたし、行ってきますか。


「シェリア、ラナ姉さん、私、ちょっと狩りに行ってくるね」

「解ったわ。リゼなら大丈夫だと思うけど、気を付けてね?」

「いってらっしゃい、リゼ。気を付けるのよ」

「ありがとう、シェリア、ラナ姉さん」


≪レナス、転移するので傍に来てくれますか?≫

≪了解しました≫


 【認識妨害ジャミング】で姿をくらませているレナスの気配が、私の傍に現れる。シェリアとラナ姉さんは、勿論、気づかない。


「それじゃ、行ってくるね。二人とも」


 私は【転移テレポーテーション】を発動させた。

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