第九章―才能と価値―#1


 午後の鍛練を終え、地下調練場を出ると、まだ昼下がりだった。


 古代魔術帝国の技術で調練場の時間をずらしていたので、体感的には5~6時間ほど籠って鍛練していたことになる。


 夕飯の支度にはまだ早いし、厨房でおやつでも摘まみながらお茶を飲むことにした。


「この“フライドポテト”というのは、ジャガイモの甘さに塩味が利いていて美味しいですね」

「ジャガイモにこんな食べ方があるとは」


 今日のおやつは、皮つきのままジャガイモを櫛切りにして揚げただけのフライドポテトだ。


 この世界にもジャガイモはあるし、この大陸でも普及はしているから、誰でも考えつきそうなものだけど───揚げ物自体がない。少なくとも私が訪れたことのある地域では、揚げ物を見たことがない。


 揚げるという調理法を誰かが思いついてはいるものの、油を大量に使用するので贅沢に当たり、広まらなかっただけということも考えられる。



「そういえば、ジグとレナスは昼食も上級使用人用食堂で摂ったんでしたよね。どうでしたか?」

「はい。下級使用人用食堂よりはマシという程度でした」

「ええ、あまり美味しくはありませんでしたね」

「…そうなのか?」

「はい。とりあえず夕食も上級使用人用食堂で摂って、明日は官吏用食堂に行ってみようと思っていますが、あまり期待できそうもありませんね」


 皇宮の使用人の質が低いのは、扱いが酷いせいもあるのだろう。


「何か…、噂話とかは聞けましたか?」

「そうですね、使用人たちの噂によると、どうやら───皇妃の目下のターゲットがルガレド様から、取り巻きの一人に変わったようです」

「夜会で思うようにルガレド様とリゼラ様に恥をかかせられなかったのが面白くなかったらしく、お二人が退出された後、取り巻きの一人の些細な粗相を烈しく叱責した挙句、今は鬱憤を晴らすかのようにその取り巻きを貶めるのに忙しいようです」


「……そのターゲットにされている人は大丈夫なのですか?」


 軽い思い付きで他人の命を狙うような皇妃に目を付けられるなんて、一貴族ではどうしようもないのではなかろうか。皇子であるレド様だって抗えなかったのに────


「そいつはダブグレル伯爵といい、ベイラリオ侯爵家家門というわけではなく、自分から皇妃にすり寄り、皇妃と一緒になって他人を貶めたり、皇妃の手先となって他人を落とし入れるようなことを平気でしていた輩です。

自分の行いが返ってきただけですので、リゼラ様が気にかけてやる必要などありません」

「そうです。自業自得なのですから、リゼラ様が露ほども心配してやることなどありません」

「ああ、そうだな。あいつの性根はかなり汚く濁っていた。リゼは、あんな男のことなど、記憶にも留めなくていい」

「…そうなのですか?」


 レナス、ジグ、レド様に、立て続けに強い口調で断言された。三人がそう言うからには、そのダブグレル伯爵は相当なのだろう。


 まあ、でも、自分から皇妃にすり寄っていったのなら、確かに自業自得かな…。


 レド様の親衛騎士になるにあたって、主だった貴族や関わり合いがありそうな貴族の情報は調べていた。


 ダブグレル伯爵は確か────伯爵位を継いだばかりのまだ年若い青年だったはず。


 割と整った顔立ちで、皇妃のお気に入りだと聞いていた。それが今は貶める対象になっているなんて、皇妃は本当に気まぐれのようだ。



◇◇◇



「この後はどうしましょうか?」


 中途半端に時間が空いてしまった。


「よろしければ、頼まれていた隠し通路の案内を致しましょうか?」


 ジグの願ってもない提案に、私はすぐさま頷く。


「お願いします」


「…俺も行ってもいいか?」

「そうですね。ルガレド様も把握しておいた方がよろしいでしょう」

「では、皆で参りましょうか」


 レド様、ジグとレナスが立ち上がる。


「あ、待ってください」


 私は【遠隔リモート・管理コントロール】で、筆記用具や地図、図鑑などを入れてあるトランクを取り寄せる。


「リゼ、それは何だ?」

「あ、これですか?」


 レド様は、私が筆記帖とともに取り出した筆記具───“墨果ぼっか筆”が気になったようだ。これは私が、前世の世界で使われていた“鉛筆”を元に考案したものだ。


「レド様は“墨果”という果実をご存知ですか?」


 レド様が首を横に振ると、レナスが口を挟んだ。


「魔物が住むような森によく生っているという、黒い果実のことですか?」

「ええ、それです」


 墨果は毒はないので食べることは出来るが、触感も悪く不味い上に口の中が黒くなるので、よほどの飢饉にでもならない限りは誰も食べない。


「実は、これ、その墨果を細く切って乾燥させたものなんです。そうすると、固くなって、まるで炭みたいになるので、私は何かを書き留めておきたいときなどに使っているんです。

強く擦ると滲んでしまうので、後でちゃんと書き写さないといけないんですけど、ペンにインクを付ける手間もいらないですし」


 本当は鉛筆のようにしたかったのだが難しくて────仕方がないのでパステルのような形にして、持ち手部分に端切れを巻き筆先をナイフで削って使っている。


「ほら、こんな風に書くことが出来るんです」


 私は皆に見えるように、筆記帖を開いて、空いたスペースに線を引く。


「これは…、リゼが考案したのか?」

「ええ。前世でこういう筆記具があって便利だったので、似たようなものを創りたいなと思っていて。以前、ドライフルーツを作ることはお話ししたでしょう?色々なフルーツを試していて、そのとき、思いついたんです」



「リゼラ様…、こちらは────」


 開いたままのトランクの中に入っている何かが気になったようで、ジグが躊躇いがちに訊いてきた。


「何ですか?」

「…この地図、見せていただいても?」

「?ええ、いいですよ」


 ジグは大小二つの地図のうち大きい方を手に取り、畳んであった地図を厨房のテーブルに広げた。


「これは───」


 地図を広げたジグだけでなく、それを覗き込んだレド様とレナスまで、何故か絶句している。


「あの…、どうしたんですか?」

「リゼラ様、こんな大きな地図を何処で手に入れたんですか?」

「え?ああ、ほら、この地図を元に自分で作製したんです」


 私はもう一つの小さい方の地図を指し示す。


 この小さい地図は冒険者ギルドと商人ギルドの共同で作製したもので、冒険者か商人しか手に入れることは出来ない。


「……ご自分で?」

「ええ。この小さい地図の3倍の大きさで作ると決めて、紙もそれに合わせて造って、計算して拡大したんです」


 これが結構大変だった。懇意にしている職人さんにまず“定規”を創ってもらって、自分でコンパス擬きを創って────墨果筆で何度も下描きして見比べて、何度も描き直して、やっと満足いくものを作ったのだ。


「自分で計算して…、こんな正確に?」


 ジグは、テーブルに広げた地図と小さい地図を、見比べながら呟く。


「いや…、それより───この物凄く細かい書き込みは────」


 そう呟いたのはレナスだ。


 この大きい地図には、私がこれまで冒険者として集めた情報が書き込んである。主要な街道だけでなく、枝道など仕事で一度でも通った道は、どんなに小さな道でもすべて描き込んでいる。


「すごいですね、こんな細かく…。この普通の線と点線はどういう違いなのですか?」

「普通の線の方は、ちゃんと距離や道の幅や形を計測して描き込んだものです。

点線の方は、護衛などの仕事で通っただけで、計測している暇がなくて、通った時の感覚とか、かかった日数で目測で描き込んだので、あまり正確ではないんです」


「…計測、ですか?」

「ええ。こう地面に手をつけて、地中の魔素を探るんです。そうすると、道の幅や形、それに大体の距離が判るので、方位計で方角も確かめながら記録します」


 墨果筆で筆記帖に記録しておいて、後で地図に描き写すようにしている。


「そんなことが───可能なのですか?」


 レナスだけでなく、レド様やジグも驚いているようだ。


 確かにこれは、誰にでも出来ることではないかもしれない。


 これは────幼い頃、森で採取するときに身につけた術なのだ。


 採取を依頼されるような植物は、葉先から根まで魔素を大量に含んでいるものが多い。


 魔素を多く感じる場所を地中から探って、そこに向かうと大抵、お目当ての植物が生えていた。


 何度も何度も探るうち、木や草などの種類、果ては川や空き地、小道のその幅や距離などが、段々と解るようになった。


「この所々にある〇印や×印、日付と時間は?」

「〇印は無事に野営が出来た場所で、×印は野営には向かない場所です。日付と時間は、その街道や道を通過するのに、どれくらいの時間がかかるのか判るように記してあります」


「本当にすごいな…。生息する魔物の種類だけでなく、川や湧き水の場所、それに植生なども書き込んであるのか」


「今まで退治した魔獣の種類や出現場所まで、書き込んでありますね。こうして見ると────魔獣の出現にも法則があると解りますね。これはギルドに報告すべき事柄では?」

「ええ。すでに報告済みです。対策もされ始めています」


 実は報奨金も貰っている。


「この図形は何ですか?」

「文字で書くとスペースをとられるので、マークを決めてそれを描くようにしているんです。例えば、このマークは図書館、このマークは教会という風に」

「なるほど」


 いや、そんなに感心しないでください…。前世の地図の描き方を参考にしただけなので…。


「その都市や街のおおよその人口だけでなく人種、産業───それに、文化やタブーまで書き込んであるな」


 いや、だって、向かうにあたって、その土地やそこで暮らす民族の文化は大事ですよ?


「この黒い文字と青い文字、それとこの赤い文字はどう違うのですか?」

「黒い文字で書かれた情報は、自分で見たり現地の人に聞いて確かめたものです。青い文字の情報は、文献で読んだり、人伝に聞いただけのものです。赤い文字の情報は、間違っていることが解って訂正したものや、私が重要だと思ったものです」


「…この地図だけで、一財産築けますよ」

「確かにな。大陸の主要国家の主だった都市の情報だけでなく、周辺の村や町、街道や枝道、河川まで描き込んであるんだ。商人だけでなく、欲しがる国家も多いはずだ」


 ジグとレド様が真剣な表情でそんなことを話すので、私は驚いてしまった。


 確かに地図の重要性は判るけど────書き込みの内容はそこまでのものではない。


「道も河川も私が知覚したものしか描き込んでいないですし、この情報の方も大したことは書いてないですよ?すぐ手に入る情報ですし」


 実際、本で読んだり、冒険者仲間や商人、現地の宿屋や食堂の従業員さんなどに聞いただけのものだし。


「この小さい方の地図だって、これだけでも十分、財産になりますよ」


 レナスが小さい方の地図をしげしげと眺めながら、口を挟む。


 大きい方の元になった小さい地図には、主だった街道や枝道、小道でも必要と思うもの、それから野営が可能な場所、注意すべき魔物の生息地などが描き込んである。


 大きい方は依頼を受けた際、計画を立てるために使い、小さい方は移動中に道や野営場所を確かめるために使う。


「植物図鑑と魔物図鑑────こちらも見せていただいても?」

「ええ、どうぞ」

「これは何ですか?」

「え?ああ、それは、見たいページがすぐに開けるように、つけてあるんです」


 ジグに訊かれたのは、樹皮で創ったクリップタイプのブックマークだ。


 この世界の紙は、魔物の鞣革から作るので分厚い。私が創ったあまり出来の良くないクリップでも外れ難いので、十分役に立つ。


「これまた…、すごい書き込みですね」

「この植物図鑑、どのページにも、びっしりと情報が書き込んでありますね…。どのような場所に生えるのか…、一番良い採取の仕方…、どんなことに利用できるのか────」


「魔物図鑑の方もすごいな。生息地や習性───弱点や急所だけでなく、解体するにあたって何処にナイフを入れればいいのか、ナイフを入れる際の注意点だけでなく、どの部位がどのように重要なのか───本当に事細かに記録してある」


 さっきから何か────皆して、やけに大げさ過ぎない?


「いや、でも、冒険者は情報が命ですよ?こんなの、皆やっていることだと思いますけど…」


「リゼラ様…、確かに、大きな依頼を受けた場合は、事前に下調べして、地図に目的地までの道を描き込むことはあります。ですが、もっと大雑把ですし、ここまで描き込む人はいないです」

「そうですよ。図鑑だって、持ってすらいない者がほとんどです。リゼラ様のようにすぐに情報を書いておける筆記具は持っていないですし、そもそも、文字の読み書きだって出来ない者の方が多いですから」


 ジグに言われて、そういえばそうだ────と気づく。


 あれ?それじゃあ────『冒険者は情報が命』というのは、誰から教えてもらったんだっけ…?


『冒険者は情報が命だ。どんなに実力のある奴でも、下調べをしなかったばかりに命を落とすことだってあるんだ。いいか、どんな些細な情報もバカにしちゃいけない。聞いたり、見たり、気づいたりしたら、すぐに書き込むようにしろ』


 渋い声とセリフは思い出せるんだけど、顔が出てこない。


 そこで、私はおかしなことに気づいた。このセリフ────“日本語”だ。


 そして、私は思い出した。


 これは、あれだ────“お兄ちゃん”が見ていたラノベが原作のアニメ。“冒険者養成学校”に入った主人公が、“ダンジョン攻略”の授業で聞いた、教師役のベテラン冒険者のセリフだ……。


 え、じゃあ、何───私、これを信じて、これまでやってきたってこと…?


「しかし…、これは、ガレスが称賛するわけだな」

「ええ。Sランカーたる所以ゆえんですね」

「本当に。さすがはリゼラ様です」


 いえ…、アニメのセリフを信じ込んでやっちゃっただけなんです…。ああ、いたたまれない…。

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