第七章―拠りどころ―#1


 目一杯街を巡るはずだった予定を切り上げて、お昼前に邸に帰ったレド様と私は、昼食を作る前に、お茶でも飲んで一休みしようということになった。


 私は、マジックバッグから街で仕入れたばかりの食材を取り寄せる。



 ちなみに、マジックバッグは、【潜在記憶アニマ・レコード】を元に、以前の【異次元収納袋】に戻してある。


 物を入れるのはともかく、取り出すのが面倒だからだ。


 人前で【遠隔リモート・管理コントロール】を使うわけにはいかないし、そもそも【遠隔リモート・管理コントロール】では、自分の所有物しか扱えない。


 他人の物も入れることは可能だし、【現況確認ステータス】から手動で取り出せるみたいだが、正直手間だし、人前では出来ないから不便だしね。


 それに、アイテムボックスが無限なので、マジックバッグまで無限である必要はない。



 私は食材をパントリーにしまうと、お茶の準備を始めた。お湯はコンロで沸かすよりも、魔法で出す方が時間短縮になるので、魔法を使う。


「いつ見てもすごいな、リゼの魔法は。ほとんど一瞬で、しかも出すのは、水ではなくお湯だからな」

「お湯は出し慣れていますから。水と火の魔法を上手く使うんです。レド様なら、すぐに出来るようになると思いますよ」


 午後はどうしようか────などと話しながら、お茶を飲む。


「…そういえば、リゼと初めて会ってから、ちょうど1週間になるんだな」


 会話の合間に、レド様がぽつりと呟いた。


 そう言われれてみると、そうだった。

 まだ1週間しか経っていないなんて────信じられない。


「この1週間、色々ありましたね」

「ああ、本当に」


 レド様が、しみじみといった態で頷く。


 あれ?───ということは、レド様、この1週間、全然休んでなくない?

 毎日、私に合わせて一緒に何かしらやっていたような…。


 私ってば、何て気が利かない…!


「そろそろ昼食を───リゼ?」


「レド様、今日の昼食は私一人で作ります。レド様は休んでいてください。今日は午後も何もせずに、ゆっくりしていてください」


「…どうして急に?」

「いえ、レド様、この1週間私に付き合って忙しくしていたので、全然休んでいないでしょう?ちょうど時間も空きましたし、休んでください」


「それは、リゼも同じではないか?俺が休むなら、リゼも休むべきだろう?」

「私は、これくらい大丈夫ですよ」

「駄目だ。俺も休むから、リゼもきちんと休め」



◇◇◇



 レド様に押し切られ、昼食を二人で作って食べた後、私も休むことになってしまった。


 降って湧いた半日の休み。さて、何をして過ごすべきか…。


 悩んだ挙句、サンルームで小説を読むことにする。サンルームのソファに向かうと、すでにネロがとぐろを巻いていた。


「あれ、リゼ?」

「ネロ、私もここで過ごしていい?」

「もちろん!」


 私がソファに座ると、すかさずネロが私の膝に乗り上げて、またとぐろを巻く。ああ、可愛い…。


 ネロのすべすべの毛を撫でながら────ふと、レド様は何をしているのかな、と考える。


 一緒に過ごしたい願望がもたげて、私はそれを振り払うようにかぶりを振った。いくらレド様だって、四六時中私に付きまとわれたら、気が休まらないよね。


「大人しく、小説を読もう…」


 私は、セアラ側妃が残した小説の一冊を【遠隔リモート・管理コントロール】で取り寄せ、表紙を開いた。


 その小説は、意外なことに冒険小説だった。


 とある貴族の三男坊が立身出世を夢見て家を飛び出し、次々に襲い来る困難をその機転と剣術でぶち破り、最後は途中で出会ったお姫様とハッピーエンドというストーリーである。


 荒唐無稽でありながら、軽快な文章のせいか、最後まで一気に楽しく読んでしまった。


「結構、面白かったな」


 舞台は300年ほど前のレーウェンエルダ皇国になっているけど、ここに出てくる貴族たちやお姫さまって実在した人物なのかな?


 後で、調べてみよう───などと考えながら、本を閉じる。


「あれ?」


 何故だか、身動きがとれない。

 横から、誰かに───抱き抱えられている?


 振り向くと、レド様が私を抱き抱えたまま、本を読んでいた。


 ええっ、何これ───いつの間に?


「ああ、リゼは読み終わったのか。ちょっと待ってろ、俺もあと少しで切りのいい所まで行くから」


 うう、レド様には何度か抱き締められてはいるけど、それでも、緊張というか────その温もりにドキドキしてしまう…。


 レド様は、切りのいい所まで読み進んだらしく、本を閉じて【遠隔リモート・管理コントロール】で片づけると、私を抱き締める腕に力を入れ、私の頭に自分の頬を寄せた。


「悪い。リゼは一人になりたいのではないかとも思ったんだが────どうしても一緒に過ごしたくなって」


 少し心細そうな声音で、レド様が不安気に言う。


「ふふ、私も同じことを考えていました。レド様と一緒に過ごしたいなって」


「本当か?」

「はい。でも、レド様は一人になりたいかもしれないと思って、一人で本を読むことにしたんです」

「そうか…。本当に同じことを考えていたんだな」


 レド様が嬉しそうに笑ってくれたので、私も嬉しくなる。


「それでは、レド様、こうしませんか。一人でいたいと思ったときは自分の部屋に籠るんです。それ以外の場所にいるときは一緒にいてもいい────ということにしませんか?」

「それはいい考えだな。それなら、悩まずにリゼの傍に行ける」


「あ───図書室で執務や学習をしているときを除いて、ですね」

「………まあ、それは仕方がないか」


 私が追加すると、レド様は少し不服そうに息を吐いた。


「では…、今は?」

「今───ですか?」

「ああ。この決め事は今度からだろう?今は一緒にいてもいいのか…?」


 勿論、私は満面の笑みでこたえる。


「一緒にいて欲しいです」



◇◇◇



「あの…、一緒にいては欲しいのですが────この体勢はちょっと…、その、困るというか…」


 何せ、レド様に抱き抱えられている状態なのだ。心臓が脈打ち過ぎて、寿命前に使い潰してしまいそう…。


「本を読んでいるときは、自分からすり寄って来たのに?」


 おかしそうにレド様が言う。


 そう言われて思い返してみれば、仲間を失った主人公が慟哭どうこくするシーンで、感情が昂って何か温かいものにすがりついた覚えが…。


「いや、その…、それは無意識というか────状況が判っていなかったというか…」


「リゼは、俺以外の前で本を読むことは禁止だな」

「え?」

「呼びかけにも反応しないくらい集中するなんて、危ないだろう。俺がこうやって横に座って抱き抱えても気づかなかったくらいだしな」


「え、いや、さすがに他の場所ではこんな風にはなりませんよ?いつもはもっと、何かやっていても────寝ているときですら、常に気を張っている状態ですし…。あれ───そういえば、こんなに何かに集中できたことは初めてな気がします…。

 イルノラド公爵邸は勿論、孤児院でも、宿屋でも、何かあったらすぐ対応できるよう、気を張らずにいられないですし────ロウェルダ公爵邸では、シェリアの家ということであまり気を張らずにいられますけれど、ここにいるほどは気が抜けないですから…」


 言いながら、自分でも驚いてしまう。


 勿論、古代魔術帝国の技術がもたらすセキュリティーによる安心感もあるだろう。でも───それだけではない気がする。


 セアラ側妃の部屋も、最初は広過ぎて気後きおくれしたけれど、夜は気兼ねなくぐっすり眠れているし───【最適化オプティマイズ】されたせいなのか、今は“自分の部屋”と認識できている。


 応接間とダイニングルームに関してはまだよそよそしく感じてしまうけれど、それ以外の場所───特にサンルームと厨房は、確実に寛げる場所になっている。


 レド様が、横から抱き抱えるのではなく、こちらに身体を向けて、正面から私を両腕で抱き締めた。


「レド様?」


「この邸は…、皇妃たちにどんなに馬鹿にされようと────俺にとっては生まれ育った大事な家だ。この大事な家を────リゼも“自分の家”だと思ってくれているんだな…」


 レド様の言葉で気づく。そっか────ここは“私の家”なんだ…。


「リゼは、いつも邸に戻るとき、『邸に帰ろう』と言ってくれるだろう?俺はそれが嬉しいんだ。リゼと一緒にこの邸に帰って来れるのが────本当に嬉しい」


「レド様…」


 私も両腕をレド様の背中に回し、ぎゅっとレド様を抱き締める。


 私は、馴染み切る前に実家を失ってしまった。孤児院は私を救ってはくれたけれど、“家”にはなり得なかった。


 今世では私に“帰る家”なんてなかったのに────


「私も嬉しいです…。ここは私の───レド様と私の“帰る家”なんですね…」

「リゼ…」


 レド様が私のこめかみに口づけるのを感じた。


 レド様は腕を解いて少し身体を離して、今度は顔だけを私に近づける。咄嗟に目を瞑ると、唇に温かく柔らかいものが触れた。


 その感触に驚いて目を開けると、間近でレド様が私を見ていた。その熱っぽい眼差しに、少し戸惑ってしまう。


 今のって────私…、レド様とキスしたってことだよね…?


 前世含めて初めての経験に、頭が沸騰しそうになる。


 レド様がもう一度顔を近づけたので、私は無意識にまた目を瞑った。今度は、さっきよりも強く長く口づけられる。


 温かい感触が離れ、ゆっくり眼を開けると、やっぱり熱っぽい眼差しをしたレド様と目が合った。


 視線を外せなくて、しばらく見つめ合っていると────私たちを見ている気配を感じて我に返る。


「ネネネネネネネネロ!?い、いつからそこに…!?」

「いやだな~。リゼ、忘れちゃったの。ボク、最初からこのサンルームにいたでしょ?」


 そういえば、そうだった…。


「リゼとルードはつがいになったの?」


 ネロは、今見たことなど何てことないように、きらきらと目を輝かせて無邪気に訊く。


「いや、まだつがいになる約束をしただけだ」

「人間て変な生き物だね。約束なんてしてないで、そのままつがいになっちゃえばいいのに」

「ああ、そうだな。本当は俺もその方がいいんだが」


 そんなこと真面目に言わないでください、レド様…。


「でも、よかったね~、ルード、リゼが大好きだもんね。ボクがリゼに抱っこされてると、うらやましそうにしてるし」


 え、そうなの?ネロを撫でたいのだと思ってた。


「いや、それは…、羨ましいというか────」

「リゼを抱っこするんじゃなくて、抱っこしてもらったら?」

「いや、だから、別に抱っこが羨ましいのでなく────」

「抱っこじゃないの?」

「それは…、お前があまりにもリゼの胸にしがみついているから────」


 そこまで言って、レド様がはっとしたように口をつぐむ。


「そっか~、ルードもリゼの胸にしがみつきたかったんだ。リゼの胸は柔らかくて気持ちがいいもんね」

「っ!」


 レド様の顔が、今までになく赤く染まる。


「…その、レド様?」

「頼む…、忘れてくれ…」


 否定はされないんですね…。


 確かに、思い当たる節はあるような…。まあ、でも、レド様だって男の人だもの。当然───なんだよね?多分…。


「き、聞かなかったことにします……」

「そうしてくれ……」


 真っ赤になった顔を両手で隠して項垂れるレド様が何だか可愛くて、私は恥ずかしさも忘れ口元を緩めた。

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