第七章―拠りどころ―#2


 今日の夕飯は、野菜がゴロゴロ入ったグラタンである。


 ギドさんのところで、新鮮で美味しそうな野菜をたくさん買ってしまったので、せっかくだから使いたかったのだ。


 あとは何にしよう。


 オーブンを使わない料理がいいよね。コカトリス──鶏のような本体に蛇のような尾を持つ魔物──の肉がまだいっぱいあるから、何かチキンを使った料理───あ、チキンソテーにしよう。


 スープは何がいいかな。


「レド様は休んでいてくださっていいんですよ?この半日は休息日にしたんですから」

「それなら、リゼだって休むべきだろう?」

「だって…、それでは料理を作る人がいないではないですか」

「リゼにだけやらせて休んでいられるわけがないだろう。それに───リゼと一緒に料理を作るのは楽しいから、俺がやりたいだけだ」


 …そんなこと言われたら、駄目だと言えなくなってしまうではないですか。



 夕食も後片付けも終え、厨房のテーブルで一息つく。


「明日は、ロヴァルとロドムの祖父が到着予定だったな」

「はい。出迎えたいところですが、旅路の疲れもあるでしょうから、遠慮した方が良さそうですね」

「ああ、そうだな。そうすると、挨拶は明後日か。明日はどうする?」

「そうですね───」


 なんて話していたときだった────


 カタン────と、微かな物音を、能力が強化された耳が拾った。


「「!?」」


 レド様にも聞こえていたようで、私たちは瞬時に神経を尖らせる。


≪ネロはどこにいる?≫

≪サンルームです。今の音は───応接間の方からしました。ネロの可能性は低いです≫


 【念話テレパス】でレド様に訊かれ、私も【念話テレパス】でそう答えた。主である私には、ネロの居場所はどこにいても掴める。


≪【案内ガイダンス】、外から何者かが侵入した形跡はあるか?≫


────いいえ、セキュリティーが破られた形跡はありません────


≪【案内ガイダンス】───では、先程、この厨房以外の場所で、何かが動いた形跡はあるか?≫


────はい、隠し通路の扉の一つが開いた形跡があります────


≪隠し通路?そんなものがあるんですか?≫


 私は驚いて、レド様に訊く。


≪いや…、俺も知らない。────【案内ガイダンス】、その隠し通路について教えてくれ≫


────了解。隠し通路はこの邸の至る所に通っており、護衛が控えるためのものと推測されます────


≪それは、【最適化オプティマイズ】によって追加されたものではなく、以前からあったということか?≫


────はい、元々、この邸に造り込まれていたものとなります────


≪【案内ガイダンス】、今現在───この邸の中に、俺たち以外の何者かが存在しているか?≫


────はい、隠し通路の先にある隠し部屋に、成人男性が2人、存在しています────


案内ガイダンス】の答えに、私たちは息を呑む。全然気づけなかったことに戦慄が走る。


≪……どう思う?リゼ≫

≪この邸のセキュリティーをそう簡単に破れるとは―――しかも破ったことすら認識させずに出来るとは思えません。おそらく、【最適化オプティマイズ】によって邸が変わる前から潜んでいたのではないかと思います≫

≪敵だと思うか?≫

≪…判りません。ただ、レド様にさえ気づかれずに潜んでいられた者なら、寝首を掻こうと思えばいくらでも出来たはずです。こんな初歩的なへまをするとも思えません≫


 考えられるとしたら────ファルリエム辺境伯が残したレド様の護衛だ。


 だけど、ファルリエム辺境伯が亡くなって、もう8年になる。ずっと潜んでいたなんて、ありえるだろうか?


 それに、レド様のこの苦境で、姿を現さないというのも疑問が残る。



≪レド様、とにかく私が確認してきます≫

≪それなら、俺も行く≫

≪駄目です。万が一敵だった場合、危険です。どうか待っていてください≫

≪だったら猶更なおさらだ。リゼ一人で行くのは、絶対に許可できない≫

≪レド様────私は、レド様の婚約者である前に親衛騎士です。レド様を護るのが役目なんです≫


 私の答えにレド様は黙り込み、少し何かを考えた後、口を開いた。


≪……俺たちを分断するのが敵の目的だった場合、俺が一人で残る方が危険ではないか?≫

≪それは───≫


 確かにその可能性もある。でも…、もし本当に敵だった場合、敵地に自ら飛び込んでいくことになる。


 レド様さえ把握していない場所なのだ。通路や部屋の規模、何処に繋がっているかなど判っているなら、まだ違ったのだけれど─────


≪それに、俺は敵である可能性は低いと思っている。リゼもだろう?≫

≪…はい。ですが、可能性が低いというだけで、まったくないわけではありません≫


 レド様は一息いてから、私に言い放つ。


≪では────これは主としての命令だ。二人で確認に行く≫



◇◇◇



≪────ここだな≫


 念のため、あまり音を立てないようにして応接間に入ると、カーテンと揃いの上飾りのついた窓型ライトの隣に立つ、角ばった柱の腰壁の一部に隙間が開いていた。


≪レド様、少し下がっていてください≫


 レド様がほんの少し距離を開けたのを見届けると、私はその周辺の気配を探る。誰もいないと思ったが、今まで感じ取れなかったことを考えると、警戒心は解けない。


 腰壁の隙間が開いている部分をよくよく観察してみると、それは扉になっているようだった。私は短剣を抜き、短剣の刃先を使って扉を開く。


 そして、あらかじめ取り寄せて腰に提げていた自前のランタンを手に取った。ランタンは【最適化オプティマイズ】で古代魔術帝国のハイテク仕様になっているので、摘みを捻るだけで灯が点る。


 ランタンで扉の先を照らしてみたが、見る限りは誰もいない。扉は小さいので、私は身を屈めて潜るようにして、扉の中に入った。


 人一人が通れるくらいの通路が、ヌックスペース側に向かって伸びているのが見て取れた。ランタンで辺りを照らしてみたが、人影は見当たらない。


≪レド様、大丈夫です。入って来てください≫


 長身のレド様は、這うように入って来た。


 通路を進むと、すぐに曲がり角に当たった。通路はヌックスペースを囲う形で通っているみたいだ。


 曲った先の通路───つまりヌックスペースとサンルームへ続く森の小道風の廊下の外側に造られたその通路は、先程よりも広く、人が二人並んで歩けるくらいの幅があった。


≪生まれてからずっと住んでいたが…、こんな通路があったとは全然気づかなかった≫

≪7歳までは神眼は見えていたんですよね。神眼でも視認できなかったのですか?≫

≪この壁…、模様も凹凸もないだろう?神眼では重なって見えるから、手前の壁と同化して見えていたのではないかと思う≫

≪なるほど…≫


 ということは───レド様の神眼の性質を見越した上で造られた可能性もある。


 警戒を怠らずゆっくりと通路を進んで行くと、途中に、梯子に近い急角度の階段が現れた。手摺はない。


 階段の向こうにも通路は続いてはいるが───階段の上方から人の気配が感じ取れた。


≪この階段を上ったところに、人が二人いる。…性根は濁ってはいない≫

≪…敵意も殺気も感じません。上りますか?≫

≪ああ≫

≪では、念のため、私から上ります≫


 神眼で確かめた後だからか、レド様は私の言葉に今度は反対しなかった。


 思ったよりも長いその階段を上りきると、そこには通路とは違う、部屋と呼べる空間が広がっていた。位置的には、私の部屋の天井辺りだろうか。


 そこには、【案内ガイダンス】の情報通りに、黒尽くめの格好をした年齢不詳の男性が二人、佇んでいた。


 ランタンの灯だけでは、髪の色や眼の色までは判らなかった。顔立ちは凡庸───というより、人の記憶に残らないよう、雰囲気をぼかしている?


 レド様が階段を上がってきて、私の隣に並び立ったところで、二人の男性は片膝をついた。


「お待ちしておりました、ルガレド様」

「長い間ご無沙汰しておりまして、大変申し訳ございません」


 膝をつく二人を見て、レド様は右眼を見開いた。


「お前たちは───あのときの護衛か…?」

「はい。その節は我々の力が及ばず───お二人を───セアラ様をお護りすることが出来ず…、本当に申し訳ございません」

「申し訳ございません…」


 その節とは、レド様の左眼が抉られ、セアラ側妃がお命を落とされたときのことなのだろう。跪く二人の声と肩が、苦し気に震える。


「…いや。お前たちは、よくやってくれていた。悪いのは───皇妃たちだ」


 応えるレド様の声音も苦し気だ。


 私は、レド様を支えるように、レド様の背に左手を添えて傍らに寄り添う。それに気づいたレド様が、私の肩を抱き寄せた。


「お前たちは…、いつからここに?」

「この邸が建てられたときから───主…、ルガレド様のお祖父様が亡くなられた後も、ここを離れてはおりません」


「ずっと───この8年…、ここにいたのか?」


 レド様は呆然と呟く。


「何故、俺の前に姿を現さなかった…?」


 レド様の口調には、少しだけなじるような色が混じっていた。


「我々は、元々、護衛対象には緊急時以外に姿を見せることはありません。ですが、本来なら、主であるファルリエム辺境伯が亡くなられたとき、それを引き継ぐルガレド様に挨拶すべきではありました」


「ラムルとカデア、シェラは、ファルリエム辺境伯が遣わしたとはいえ、皇宮に雇われていたために強引に解雇されました。

オレたちの雇い主はファルリエム辺境伯だったから、解雇することは出来ないでしょうが、それでも存在を知られたらきっと理由をつけて追い出されていたはずです。

ですから、存在を知られる危険性を少しでも減らすために、ルガレド様にも知らせず、気づかれないように潜んでいました」


 ラムルさんとは、以前レド様に仕えていた執事でカデアさんの夫、そしてシェラさんは、その二人と一緒に仕えていたメイドだ。


「食事などは、どうしていたのですか?」

「交代で抜け出して、使用人用の食堂や浴場に紛れ込んで済ませていました」


「レド様の状況を見て、姿を現そうとは思わなかったのですか…?」

「……それは────何度も思いました。正直…、ここまで酷い状況になるとは思っていなかったのです。侍女もメイドも姿すら現さず、食事すら用意されないなどと────

メイドの一人でも来るようなら、オレたちの存在を知らせ、隠れて手助けすることも出来たでしょう。ですが、誰も世話をする者がいない状況の中、オレたちが世話をしてしまったら怪しまれます。ルガレド様が苦しんでいるのは解っていましたが、存在を知らせずお命をお護りする方を選んだのです」


「それに、1年ちょっと我慢すればルガレド様が成人して、もっとましな状況になる───そう考えていたのです。それが、あの皇妃め───成人すら邪魔をして───まさか…、まさか8年近くも────」


 後を続けたもう一人が、悔しそうに唇を噛みしめる。


「では───今姿を現したのはリゼが来たからか?」

「はい。リゼラ様が来られたことにより、ようやくオレたちも、陰で護るだけでなく手助けが出来ます」

「姿を現さなかったことにお腹立ちかもしれませんが────どうか、我々がお仕えすることをお許し願えないでしょうか」


 レド様は緩くかぶりを振る。


「いや、先程は責めるような言い方をしてすまなかった。主である爺様が亡くなったのに、放棄せずに8年も俺を護ってくれていたことに感謝する。そして、俺に仕えたいと言ってくれる、その気持ちにも────」


「では────」

「ただ、一つ条件がある。ここにいるリゼラも俺と同じように護ることだ」


「レド様!?」


 彼らはレド様の護衛だ。それに、私はレド様の婚約者とはいえ、親衛騎士なのだ。


「それは言われるまでもありません。リゼラ様は、ルガレド様の妃となられるお方であり、ファルリエムの名を継ぐお方です。我々は、ルガレド様同様に、リゼラ様を主としてお護りする所存です」

「リゼラ様のことは、あらかじめ調べ、そして、この一週間、失礼ながら為人ひととなりを見ておりました。リゼラ様は主として仰ぐに相応しいお方です。命をかけてお護りすることに異存はありません」


 二人は跪いたまま、レド様だけでなく私に向かってそう告げて、こうべを深く垂れた────

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